第62話:委任状争奪戦(プロキシファイト)の檄文
ApplexによるTOB期限まで、あと1週間。
ウェイソルの運命は、来たる臨時株主総会での決戦――「委任状争奪戦」に委ねられた。
株主たちが、経営陣(勇サイド)を支持するか、買収(Applex・ソウサイド)を支持するか。
過半数の票(委任状)を集めた側が勝つ。
* * *
社長代行室。
ソウ専務は、動画配信用のカメラに向かって、派手なジェスチャーで叫んでいた。
「Hey! 株主のみんな! ソウちゃんだよ!」
背景には札束の画像と、虹色のテロップ。
「今回のApplexの提案、マジ最高っしょ!? 株価3倍だよ3倍! ウェイソルなんて泥舟にしがみついてないで、今すぐ売って『億り人』になろうぜ! 夢のハワイ生活が待ってるぞ!」
ソウのメッセージは単純明快だった。
「金」。それだけだ。
短期的な利益を求めるデイトレーダーや、外国人投資家には響くだろう。
だが、勇(司馬懿)は、日本の株式市場特有の「湿り気」を熟知していた。
* * *
深夜の執務室。
勇は、万年筆を手に、一通の手紙の推敲を重ねていた。
(……論理では、3倍の価格には勝てない。ならば、情動で勝負する)
勇の脳裏には、かつて諸葛亮が皇帝に奏上した名文「出師の表」が浮かんでいた。
読む者の涙を誘い、忠義心を奮い立たせた、伝説の檄文。
勇は、その精神を現代のビジネス文書にインストールした。
翌日。
全株主のもとに、勇の名前で一通の封書が届いた。
中に入っていたのは、無機質な報告書ではなく、上質な和紙に印刷された、熱情溢れる手紙だった。
『拝啓 株主の皆様へ』
『創業社長・曹ヶ谷タケルが、雑居ビルの地下で産声を上げさせたこのウェイソル。それは、技術立国・日本の誇りを取り戻すための灯火でありました』
勇の文章は、曹ヶ谷との創業時の苦労話から始まり、社員たちがどれほどの情熱で技術を磨いてきたかを、切々と綴っていた。
『今、海の向こうから巨人が現れ、札束で我々の頬を叩いております。現経営陣の一部は、その金に目が眩み、魂を売ろうとしています』
ここで勇は、巧みに論点をすり替えた。
「買収防衛」ではなく、「亡き創業者の意志を継ぐ者(勇)」対「金に魂を売ったドラ息子と侵略者」という構図を作り上げたのだ。
『皆様。どうか、この日本の灯火を消さないでください。目先の金銭よりも、100年続く誇りを。……不肖・司馬勇、全社員の生活と未来を守るため、ここにお願い申し上げます。 敬具』
文面からは、涙ながらに訴える実直な専務の姿が目に浮かぶようだった。
(実際、勇は無表情でタイピングしていたのだが)。
* * *
東京都内、とある一軒家。
ウェイソル株を長期保有している70代の女性株主が、郵便受けから手紙を取り出した。
「あら、あのチャラチャラした息子さんじゃなくて、司馬さんから……」
彼女は老眼鏡をかけ、勇の手紙を読み進めた。
やがて、その目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「そうよねぇ……。曹ヶ谷社長、頑張ってたものねぇ……。それをあのバカ息子が売り払おうなんて……」
彼女は、ソウから届いた派手なDMをゴミ箱に捨て、勇への「委任状」に丸をつけ、印鑑を強く押した。
「頑張りなさいよ、司馬さん。日本の意地、見せてやりなさい」
* * *
全国で同じ現象が起きていた。
「判官贔屓」という日本人のDNA。
強大な外資と、それに媚びるバカ息子。それに立ち向かう、孤高の忠臣。
このストーリーは、ロジックを超えて、個人株主たちの「義侠心」に火をつけた。
数日後。
集計センターのモニターを見て、勇は微かに口角を上げた。
「……個人株主の票、7割がこちらに流れたか」
手元には、山のように積まれた委任状と、応援のメッセージ。
ソウの「金」のプロパガンダは、勇の「浪花節」によって完全に封殺された。
「諸葛亮よ。……貴様の『泣き落とし』戦術、現代でも有効だったぞ」
勇は、集まった委任状の束を、まるで弾薬庫のように積み上げた。
決戦の舞台・株主総会への切符は揃った。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.062:出師の表
諸葛亮が北伐に出発する際、皇帝・劉禅に奉った上奏文。「これを読んで泣かない者は忠臣ではない」と言われるほどの名文であり、純粋な忠義と憂国の情が綴られている。
現代のM&Aやプロキシファイトにおいても、株主(特に個人投資家)へのレターは勝敗を分ける鍵となる。
単なる数値の羅列ではなく、企業の「歴史」「物語」、そして「大義」を感情豊かに訴える手法は、日本のような情緒的市場において、時として提示価格以上の防御力を発揮する。




