第60話:宣戦布告 ~ApplexからのTOB通知~
その通知は、監査法人による強制調査の混乱冷めやらぬオフィスに、一発のミサイルのように撃ち込まれた。
『緊急速報:米IT大手Applex、日本企業ウェイソルに対しTOB(株式公開買付)を開始』
全社員のスマホとPCが一斉に鳴動した。
ニュース画面には、白いスーツを着たあの男――ジェームズ・K・モロクズ(孔明)が、涼やかな笑顔で映し出されている。
『ウェイソルの皆さん、そして株主の皆さん。これは買収ではありません。「救済」です』
モロクズは、流暢な日本語で語りかけた。
『現在のウェイソル経営陣は、コンプライアンス不全と機能不全に陥っている。我々は、そんな不幸な状況にある技術と社員を、Applexの「世界標準」のエコシステムへ迎え入れたい』
そして、画面に提示された数字が、全員の度肝を抜いた。
『買付価格:1株あたり5,000円』
「ご、5千円……!?」
社員の誰かが悲鳴を上げた。
現在の株価は、ソウの失政とスキャンダルで1,600円台まで低迷している。
その3倍以上(プレミアム300%)。
常識では考えられない、札束で頬を叩くような超高額オファーだ。
* * *
社長代行室。
曹ヶ谷ソウは、スマホの電卓を叩きながら狂喜乱舞していた。
「すっげぇ! 5000円!? 俺の持ち株売ったら……200億!? マジで!?」
ソウは監査人に押収されかけたPCを抱きしめた。
「売る売る! 即売る! 会社なんてどうでもいい、この金があれば一生遊んで暮らせる!」
「……プライドはないのですか、専務」
部屋の隅で、勇(司馬懿)が静かに問うた。
「はぁ? プライドで飯が食えんのかよ。……おい司馬、お前も持ってるストックオプション売れば億万長者だぞ? 感謝しろよな!」
ソウは下卑た笑いを浮かべた。
勇は、眼鏡の奥で完全にこの男を見限った。
国(会社)を売って自分の富を得ようとする君主。
これ以上、仕える義理はない。
「……そうですか。では、貴方はそこで豚のように金勘定をしていてください」
勇は踵を返し、部屋を出た。
* * *
1時間後。都内の大学病院。
意識不明の重体で眠り続ける社長・曹ヶ谷タケルの個室。
勇は、そこに即席の配信機材を持ち込んでいた。
「全社員に通達。……業務の手を止め、モニターを見ろ」
勇の声が、社内イントラネットを通じて全フロアに響き渡る。
画面に映し出されたのは、病床のカリスマ社長と、その横に立つ勇の姿。
『……現在、Applexより破格の買収提案がなされている。ソウ専務をはじめ、多くの株主は賛成するだろう』
勇は淡々と事実を述べた。
『だが、これだけは言っておく。買収されれば、ウェイソルという名は消滅する。君たちが作った技術は全て吸い上げられ、君たちは「英語のできない地方採用枠」として、単純労働に従事させられるか、リストラされる』
社内の空気が凍りつく。
3倍の提示額は「手切れ金」だ。その後にあるのは、完全なる植民地化と隷属。
『私は、奴隷になるつもりはない』
勇の瞳に、青白い炎が宿った。
『相手は時価総額数百兆円の巨人。資金力は向こうが100倍、いや1000倍だ。……勝てる確率は、万に一つもない』
勇は、眠り続ける曹ヶ谷の手を、画面に見えるように強く握りしめた。
『だが、その「万に一つ」を通すのが、軍師の仕事だ』
勇はカメラを睨みつけた。
その視線の先には、海の向こうにいる白いスーツの男がいる。
『聞いているか、モロクズ。……金で魂まで買えると思うなよ』
勇は宣言した。
『これより、全社防衛体制へ移行する。……ここが我々の「五丈原」だ。一兵たりとも、敵の侵入を許すな』
その瞬間、開発フロアの猪口(許褚)が立ち上がり、雄叫びを上げた。
「うぉぉぉぉッ!! やってやるぞコラァ!!」
それに呼応するように、春香率いる女性社員たち、外国人部隊、そして虐げられてきた全社員が立ち上がる。
3倍の金よりも、自分たちの居場所を選んだ。
資本主義の荒野で、小さな砦が巨大帝国に対して宣戦を布告した瞬間だった。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.060:開戦の狼煙
三国志のクライマックス「五丈原の戦い」。
圧倒的な国力と勢いを持って侵攻する蜀軍(諸葛亮)に対し、魏軍(司馬懿)は徹底した「防衛戦」で対抗した。
現代ビジネスにおける「敵対的TOB」もまた、攻める側は圧倒的な資金力を武器にする。
守る側(被買収企業)に勝ち目はないように見えるが、司馬懿は知っている。
「攻める」よりも「守る」方が、地の利(社内の結束、独自技術、毒薬条項など)を活かせる分、逆転の目があることを。
勝率0.1%。だが、死守すれば勝てる。防御の天才・司馬懿の真骨頂である。




