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第59話:黒い噂とコンプライアンス委員会

「へへっ、いい取引ができたな」


深夜の西麻布。

個室の高級会員制バーで、ソウ専務は上機嫌でグラスを揺らしていた。

向かいに座っているのは、強面の男たち。

彼らの名刺には「黒龍コンサルティング」とあるが、その実態は指定暴力団のフロント企業(反社会的勢力)である。


「ウェイソルの販促イベント、全部ウチに任せてもらえれば、裏でうまく捌きますよ」

「頼むよ。面倒な契約書とかナシで、キックバック(裏金)は現金で頼むわ」


ソウは、自分が「虎の尾」を踏んでいる自覚すらなかった。

彼はただ、小遣い欲しさに、会社のコンプライアンス規定を真っ向から踏み越えたのだ。


   *  *  *


翌週。ウェイソル社内。

「……おい、聞いたか? ソウ専務が『反社』と繋がってるって噂」

「マジかよ。上場企業でそれは一発アウトだろ」


噂は瞬く間に広がった。

当然、社内の「コンプライアンス委員会」が緊急招集された。

だが、委員長の席に座っていたのは、ソウの腰巾着である人事部長だった。


「えー、調査の結果、当該企業との取引に違法性は見られなかった。……以上!」


「委員長! ちゃんと調べてください! 相手はブラックリストに載っている企業ですよ!」

まともな委員が食い下がるが、人事部長は書類をシュレッダーにかけながら怒鳴った。


「うるさい! 専務が『シロ』と言えば黒いカラスも白くなるんだ! ……この件は揉み消……いや、解決済みとする!」


自浄作用の崩壊。

ウェイソルの内部監査機能は、完全に死んでいた。


   *  *  *


その様子を、勇(司馬懿)は自席でコーヒーを啜りながら眺めていた。

手元には、ソウが密会していた現場の写真と、裏金の録音データがある。

だが、勇はこれを社内で公開しなかった。

腐った組織の中で声を上げても、握りつぶされるだけだ。


(……毒(反社)を消すには、より強い毒(外圧)が必要だ)


勇は、個人所有のノートPCを開き、Torブラウザ(匿名通信)を経由して、ある宛先にメールを送信した。

宛先は、ウェイソルの会計監査を担当している、大手「監査法人」のホットライン。


件名は『【内部告発】株式会社ウェイソルにおける反社会的勢力との取引および利益供与について』。


送信ボタンを押す。

「……賽は投げられた」


   *  *  *


3日後。

ウェイソル本社に、黒いスーツを着た集団が乗り込んできた。


「監査法人の者です。……臨時監査を行います」


彼らの目は笑っていなかった。

内部告発を受けた監査法人は、容赦がない。もし反社との取引を見逃せば、彼ら自身も業務停止命令を食らうからだ。

彼らは社長代行室に直行し、ソウのパソコンと帳簿を押収し始めた。


「な、なんだお前ら! 俺のPCに触るな!」

ソウが叫ぶが、監査人は冷徹に告げた。

「反社会的勢力への利益供与の疑いがあります。……事実なら、上場廃止もあり得ますよ」


「じょ、上場廃止……!?」


社内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

ソウは顔面蒼白で、勇の席に走ってきた。


「おい司馬! お前だろ! お前がチクったんだろ!!」


ソウが勇の胸ぐらを掴む。

だが、勇はわざとらしく目を丸くし、震える声で答えた。


「な、なんのことでしょう……? 私のような老いぼれには、PCの使い方もよく分かりませんで……」


「嘘つけ! お前以外に誰がいる!」


「専務、落ち着いてください。……これは、天罰かもしれませんなぁ」


勇は、焦点の合わない目で天井を見上げた。


「悪いことをすると、お天道様が見ているといいますから……。あぁ、怖い怖い」


「く、くそォォォッ!!」


ソウは絶叫した。

勇の目には、何の感情も浮かんでいない。

だが、社内の誰もが感じていた。

この騒動の絵を描いたのが誰なのか。

そして、この男を敵に回してはいけないということを。


---


【史実から学ぶビジネス兵法】


No.059:司馬昭の心

「司馬昭の心、路人ろじん皆これを知る」。

後に魏の実権を握った司馬懿の息子・司馬昭が、皇帝を廃そうとする野心を持っていることは、道行く人々ですら知っているほど明らかだ、という故事。

転じて、「誰の目にも明らかな野心や陰謀」を指す。

今回の勇も同様である。彼が裏で糸を引いていることは、状況証拠から明らかだ。

だが、決定的な証拠ログを残さない限り、それはただの「噂」に過ぎない。

「あいつがやったに違いないが、証明できない」。この恐怖の状態こそが、権力闘争における最強のポジショニングである。

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