第51話:社長の頭痛と、MRIの画像診断
「……ぐ、うぉぉぉっ!!」
定例役員会議の最中、獣の咆哮のような声が響いた。
社長・曹ヶ谷タケルが、頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。
書類が散乱し、ガラスの水差しが床に落ちて砕け散る。
「しゃ、社長!?」
「救急車だ! 急げ!」
役員たちがパニックになる中、勇(司馬懿)だけは静かに曹ヶ谷の元へ駆け寄り、脈を取った。
速い。そして脂汗が異常だ。
「……頭が、割れる……! 誰か、俺の頭蓋骨を斧で割ってくれぇ……!」
曹ヶ谷は錯乱し、うわ言のように叫んでいる。
かつての名医・華佗が「頭を切開すれば治る」と進言した際、疑心暗鬼になった曹操が彼を処刑したという逸話。
その伝説の頭痛が、現代のストレス社会で再現されていた。
* * *
都内の大学病院。
VIP専用の特別個室の前で、勇は担当医の説明を受けていた。
「……MRIの画像を見てください。前頭葉の奥に、影があります」
医師はモノクロの断面図を指差した。
「脳動脈瘤、それも破裂寸前です。……即刻手術が必要ですが、場所が悪すぎる。成功率は五分五分。失敗すれば、植物状態か、あるいは……」
「死、ですか」
勇は淡々と尋ねた。医師は無言で頷く。
ウェイソルの皇帝は今、断頭台の上にいるも同然だった。
勇は病室に入った。
鎮痛剤を投与された曹ヶ谷は、死人のように青白い顔でベッドに横たわっていた。
あの覇気に満ちた眼光は消え、そこにはただの老いた男がいた。
「……司馬か」
「はい。ここに」
曹ヶ谷が震える手を伸ばす。勇はその手を握り返した。
冷たく、乾いた手だった。
「俺は……もう長くないかもしれん」
「弱気はお似合いになりません。手術を受ければ、またゴルフに行けますよ」
「嘘をつくな。……俺には分かる。自分の身体だ」
曹ヶ谷は、勇の手を強く握り締めた。
「司馬。頼みがある」
「何なりと」
「俺が死んだら……『航平』を支えてやってくれ」
勇の眉が、ピクリと動いた。
航平。曹ヶ谷の一人息子だ。
まだ大学を出たばかりの若造で、親の金で遊び歩いているという噂の放蕩息子(曹丕ポジションだが、実力は未知数)。
「……息子さんを、社長に?」
「ああ。あいつはまだ未熟だ。だが、俺の血を引いている。……お前のような優秀な男が補佐してくれれば、あいつも立派な王になれるはずだ」
曹ヶ谷の目から涙が伝う。
「頼む。……ウェイソルを、俺の家族を、守ってくれ」
勇は、曹ヶ谷の顔をじっと見つめた。
かつて、「才能さえあれば、親殺しの罪人でも採用する」と言い放った実力主義のカリスマ。
その男が、死の間際になって選んだのは、能力ではなく、血縁(血統)だった。
(……失望したぞ、曹公)
勇の心の中で、熱いものが急速に冷えていく音がした。
(英雄も老いれば、ただの親バカか。……能無しの息子に、この巨大な帝国を委ねるとは)
勇の手から力が抜けた。
彼は、もはや曹ヶ谷を「主君」としては見ていなかった。
これからのウェイソルは、実力なき皇帝(息子)と、それを支えるふりをした野心家たちの草刈り場になる。
「……承知いたしました」
勇は、表情を完璧な能面に変え、深々と頭を下げた。
「航平様のこと、この命に代えてもお支えいたします。……どうぞ、ご安心を」
「そ、そうか……! ありがとう、司馬……!」
曹ヶ谷は安堵の息を漏らし、眠るように目を閉じた。
勇は病室を出た。
廊下に出た瞬間、彼は胸ポケットから消毒用のアルコール綿を取り出し、曹ヶ谷に握られた手を念入りに拭いた。
「……御意。支えてやるとも。……私が喰らい尽くす、その時まではな」
病院の窓の外、東京の空に暗雲が垂れ込めていた。
巨星が光を失い、魔王が産声を上げた瞬間だった。
---
【史実から学ぶビジネス兵法】
No.051:英雄の老い
若き日の曹操は「唯才所挙(才能のみを挙げる)」を掲げ、徹底した実力主義で魏を強国にした。
しかし晩年、彼は後継者選びに悩み、結果として曹丕を選んだが、その過程で多くの有能な家臣を粛清し、組織に亀裂を生んだ。
現代のカリスマ経営者も同様である。老いは判断力を鈍らせ、最後には「会社」という公器を「家宝」と混同し、血縁継承という最大のリスクを選択してしまう。
その失望こそが、忠臣を簒奪者へと変えるトリガーとなる。




