表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/61

第50話:嵐の前の静けさ ~社長の咳~

「来年4月。ウェイソルは東証プライムへ上場(IPO)する!」


社長・曹ヶ谷タケルの宣言に、役員会議室は熱気に包まれた。

時価総額予想は1000億円。

雑居ビルの地下から始まった小さなベンチャーは、ついに日本の表舞台に立とうとしていた。


「上場すれば資金調達力は桁違いになる。これでGAFAとも対等に……ごほっ! ごほっ!!」


突然、曹ヶ谷が激しく咳き込んだ。

単なる喉の不調ではない。肺の奥から絞り出すような、湿った咳。

彼はハンカチで口元を押さえ、苦痛に顔を歪めた。


「しゃ、社長? 大丈夫ですか?」

側近が水を差し出す。


「……ああ、すまん。最近、少し偏頭痛がしてな。……どこまで話したっけ?」


一瞬の沈黙。

曹ヶ谷の瞳から、いつもの覇気が消え、焦点が泳いでいた。

あの鋼鉄の記憶力を持つ男が、直前の文脈を見失っている。


(……ほう)


末席でその様子を見ていた勇(司馬懿)の眼鏡が、冷たく光った。


(顔色が土気色だ。指先が微かに震えている。そして今の記憶の欠落……。ただの風邪ではないな)


勇の脳裏に、前世の主君・曹操孟徳そうそうもうとくの最期が重なった。

大陸を制覇しながらも、慢性の頭痛に蝕まれ、志半ばで病に倒れた英雄。

現代の曹操もまた、会社という国が最大版図に達した瞬間に、肉体の限界を迎えようとしているのか。


会議後。

トイレの洗面台で、曹ヶ谷が一人、鏡を睨みつけていた。

勇が入っていくと、曹ヶ谷は慌ててハンカチを隠した。だが、その白い布に赤いシミが付着しているのを、勇は見逃さなかった。


「……お疲れのようですね、社長」


「司馬か。……フン、ただの過労だ。上場までは倒れるわけにはいかん」


曹ヶ谷は強がったが、その背中は以前よりも一回り小さく見えた。


(巨星、墜つるか)


勇は、曹ヶ谷の背中に向かって、音もなく一礼した。

それは労りではない。

「貴方の時代が終わる」という、冷徹な観測だった。


   *  *  *


カリスマの動揺は、瞬く間に社内の空気を変えた。

これまで曹ヶ谷の独裁によって抑え込まれていた野心家たちが、蠢き始めたのだ。


「社長も還暦近いしな……次は誰が継ぐんだ?」

「順当にいけば、創業メンバーの夏侯かこう専務か?」

「いや、最近実績を上げている司馬執行役員も侮れんぞ」


廊下の隅々で、次期政権を巡る囁き(陰口)が聞こえるようになった。

求心力の低下。派閥の形成。

会社が「成長」から「政治」のフェーズへと移行し始めた証拠だ。


勇の元にも、夏目部長や、外国人部隊のメンバーが擦り寄ってくるようになった。

「司馬さん、これからは貴方の時代ですよ」と。


勇は彼らを適当にあしらいつつ、自室のモニターで株価チャートを眺めた。


「愚かな。……内輪揉めをしている場合ではないというのに」


画面の向こう、海を隔てたアメリカ市場で、不穏な動きがあった。

Applexの子会社が設立した、謎の投資ファンド。

その名も――「Five Plains Fund(五丈原ファンド)」。


代表者は、ジェームズ・K・モロクズ。

そのファンドが、ウェイソルの株式を市場外で静かに買い集め始めている。


「五丈原……か」


勇は苦笑した。

あの孔明モロクズが、そんな皮肉な名前をつけるとは。

かつて自分が死んだ場所の名を冠し、今度はそこで司馬懿ウェイソルを葬るつもりなのだろう。


「曹操が倒れれば、ウェイソルは揺らぐ。そこを突いて、外から買収のっとる気か」


勇は、窓の外に広がる東京の夜景を見下ろした。

雨が降り始めていた。

嵐が来る。

創業社長の死、後継者争い、そして敵対的買収。

全ての災厄が同時に襲いかかる、乱世の幕開けだ。


「面白い。……曹公が倒れた後、この国を支えるのが誰か、思い知らせてやろう」


勇の瞳に、忠臣の仮面の下から、簒奪者さんだつしゃの炎がゆらりと灯った。


---


【史実から学ぶビジネス兵法】


No.050:巨星墜つ

建安25年、魏王・曹操が病死した。

絶対的なカリスマの死は、国家(組織)にとって最大のリスクであると同時に、野心を持つナンバー2にとっては、実権を握る千載一遇の好機となる。

カリスマが弱った時、組織のタガが外れ、内部では後継者争いが、外部からは敵の侵攻が同時に発生する。

この混乱期を制した者が、次の時代の覇者となる。

Warning: メインシナリオはこれより「忠義ルート」から「簒奪さんだつルート」へと移行します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ