第45話:メタバースの幻影 ~五丈原のバグ~
メンローパークにある「Facemask」社(旧SNS王者)の本社。
勇(司馬懿)は、最新鋭のVRヘッドセット「Meta-Vision Pro」を装着していた。
「素晴らしい没入感だ。解像度、遅延、どれをとっても現実と区別がつかん」
勇の視界には、光溢れる近未来的なバーチャル会議室が広がっていた。
アバターとなった世界中のビジネスマンたちが談笑している。
ここが、Facemask社が社運を賭ける新大陸、メタバースだ。
「これがあれば、物理的な移動は不要になる。……軍隊の移動コストもゼロか」
勇が感心して周囲を見渡した、その時だった。
『ザザッ……』
視界の隅にノイズが走った。
美しいオフィスの壁面のテクスチャが剥がれ落ち、どす黒いポリゴンの塊が露出し始める。
「ん? バグか?」
『ザザザ……ザザザザザッ!!』
ノイズは爆発的に広がり、勇の視界を塗り替えた。
白い会議室は消滅し、土埃の匂い(嗅覚への電気信号)と、肌を刺すような寒気が勇を襲う。
「な、なんだここは……?」
勇が立っていたのは、荒涼とした枯れ野だった。
どこまでも続く荒野。吹きすさぶ秋風。
そして、遠くに見える古びた陣営の旗。
「……まさか。ここは……五丈原か?」
勇の記憶の底にある、絶対に忘れられない光景。
宿敵・諸葛亮孔明と対峙し、彼が陣没した因縁の地。
だが、あの時とは「空」が違っていた。
ヒュオオオオ……!
夜空を切り裂いて、巨大な「赤い星」が落ちてくる。
かつて勇は、星が落ちるのを見て孔明の死を悟った。
だが、今、その星は真っ直ぐに勇の眉間を目指して落ちてきている。
『Target: Sima_Yi... Detection...』
空から、機械合成されたような、しかし聞き覚えのある男の声が響く。
『お前は、ここで死ぬ運命だ』
「ッ!?!?」
死の宣告。
赤い星(死兆星)が視界いっぱいに膨れ上がる。
死ぬ。潰される。データとして消滅する――!
「う、うわあああああっ!!」
勇は絶叫し、力任せにVRヘッドセットを引き剥がした。
* * *
「Hey! Are you okay!?」
現実世界。Facemask社のデモルーム。
スタッフが驚いて駆け寄ってくる。
勇は床に座り込み、肩で息をしていた。全身から冷や汗が噴き出し、心臓が早鐘を打っている。
「はぁ、はぁ……! い、今のは……なんだ……?」
「Sorry, Sir. バグかな? すぐにログを確認するよ」
スタッフは不思議そうにヘッドセットを点検するが、画面には平和な会議室が映っているだけだ。
勇は震える手で眼鏡を拭いた。
あれは単なるバグではない。
あの風景、あの星、そしてあの声。
(幻術か……? いや、左慈のような妖術使いは実在しない。……だとすれば)
勇は、黒い画面の向こう側を睨みつけた。
(メタバースの基盤システム(OS)そのものに、私の脳波パターンにだけ反応する『サブリミナル・コード』が埋め込まれていたのか?)
五丈原のトラウマを具現化し、精神を直接破壊するプログラム。
そんなことができるのは、このデジタル空間の神(管理者)に近い存在しかいない。
「……モロクズ(孔明)。貴様、私の脳内までハックするつもりか」
勇は立ち上がった。
足の震えは止まっていた。
恐怖は、やがて激しい怒りと闘志へと変わる。
「上等だ。……夢幻の世界で私を殺せなかったことを、後悔させてやる」
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.045:幻術と心理戦
三国志の演義において、左慈という仙人が幻術を使って曹操を脅かすエピソードがあるが、正史にはそのような魔法は存在しない。
しかし、現代のVR(仮想現実)技術は、視覚・聴覚を完全に支配することで、脳に「偽の現実」を誤認させることができる。
システムに悪意あるバグ(トラウマ映像など)を仕込めば、相手の精神を物理的に摩耗させることは可能だ。これは現代における幻術であり、洗練された心理戦である。




