第44話:特許(パテント)トロールの包囲網
帰国便への搭乗まであと3時間。
ホテルでのチェックアウトを済ませた勇(司馬懿)たちのもとに、一通の封書が届いた。
差出人は、現地の連邦地方裁判所。
「……嘘でしょ?」
内容を読んだ美咲の手から、書類が滑り落ちた。
『特許権侵害に基づく損害賠償請求』
『請求額:1億ドル(約150億円)』
『原告:アローヘッド・ホールディングス』
「150億……!? ウェイソルの年間売上より多いじゃない!」
玲奈が悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。
帰国直前に仕掛けられた、逃げ場のない罠。
勇は、眉一つ動かさずに書類を拾い上げた。
「アローヘッド(矢尻)か。……わかりやすい名前だ」
勇は即座にスマホで原告企業を検索した。
住所はネバダ州の砂漠の真ん中にある私書箱ひとつ。
従業員ゼロ。自社製品なし。
あるのは、買い漁った特許の束だけ。
「『パテント・トロール(特許ゴロ)』だ」
勇は吐き捨てるように言った。
「自らは何も生み出さず、他社の成功に乗じて『その技術はウチの特許だ』と因縁をつけ、巨額の和解金を巻き上げる亡者どもだ」
「で、でも、裁判になったら勝ち目ないよ! アメリカの裁判なんて何年かかるか……弁護士費用だけで破産する!」
美咲が震える。
「フン。タイミングが良すぎる」
勇の脳裏に浮かぶのは、あの白いスーツの男、ジェームズ・K・モロクズ(諸葛亮)。
これは彼からの「挨拶」だ。
正面から戦えば負ける。和解しても吸い尽くされる。
まさに、諸葛亮が発明した「連弩(れんど・連発式の石弓)」の一斉射撃による包囲網だ。
「……正面から受けて立つ必要はない」
勇はジャケットを羽織り直した。
「美咲。この街で一番『金に飢えている』落ちぶれた弁護士を探せ。一流の事務所である必要はない」
* * *
1時間後。
勇たちが訪れたのは、ダウンタウンの寂れた雑居ビルにある個人弁護士事務所。
出迎えたのは、酒の匂いがする中年弁護士・スミスだった。
「1億ドルの特許訴訟? クレイジーだ。勝ち目はないぞ、ジャパニーズ」
「勝つ必要はない。……この特許を『無効』にすればいい」
勇は、アローヘッド社が権利を主張する特許番号「US-987654(非同期データ通信の最適化手法)」を指差した。
「特許とは、世界で最初に発明されたものに与えられる権利だ。……逆に言えば、『それ以前に、既に世の中にあった技術(先行技術)』であると証明できれば、特許そのものが消滅する」
「理論上はな。だが、奴らは狡猾だ。英語圏の文献は調べ尽くしているはずだ」
「英語圏になければ、東洋を探せばいい」
勇はノートPCを開き、日本の古い学術データベースにアクセスした。
検索ワードは、特許の技術要素。年代は1990年代。
勇の目は、数千の論文タイトルを高速でスクロールし、瞬時に取捨選択していく。
その姿は、膨大な木簡の中から敵の策を見破る、古代の宰相そのものだった。
「……あったぞ」
勇の指が止まった。
画面に表示されたのは、1995年に日本の地方大学の教授が発表した、一本のマイナーな論文。
タイトルは日本語だが、そこにはアローヘッド社が主張する特許技術と、全く同じアルゴリズムが記載されていた。
『先行技術(Prior Art)』の発見。
「スミス、これだ。この論文を英訳し、内容証明郵便で奴らに送りつけろ」
「こ、これは……! 完全に一致している! 特許出願の10年も前だ!」
スミスの目が醒める。
「これがあれば、奴らの特許はただの紙切れだ! 逆に無効審判を請求できるぞ!」
勇はニヤリと笑った。
「『裁判をやるなら受けて立つ。ただし、この論文を証拠として提出し、貴様らの持つドル箱特許を全て無効にしてやる』……と伝えろ。奴らにとって、特許(武器)を失うことは死を意味する」
* * *
帰国便の搭乗ゲート。
美咲のスマホが鳴った。弁護士のスミスからだ。
「……え? 『訴訟の取り下げ』? ……本当!?」
美咲が歓声を上げる。
「アローヘッド社、訴えを取り下げて逃げたって! 勇くん、私たちの勝ちよ!」
玲奈が安堵のあまり涙ぐむ。
「よかった……本当によかった……」
勇は、窓の外に広がるアメリカの大地を見下ろした。
アローヘッド(矢尻)は砕けた。
だが、これはモロクズが放った無数の矢の一本に過ぎない。
「……連弩の仕組みさえ分かれば、矢は防げる。だが、次は火計か、落石か」
勇は搭乗券を強く握りしめた。
この国には、まだあの男がいる。
知略と技術の限りを尽くした、現代の「北伐」は始まったばかりだ。
「帰るぞ。……日本で、迎撃の準備をせねばならん」
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.044:連弩の改良
諸葛亮が開発したとされる「元戎」、通称「連弩」は、一度に十本の矢を連続発射できる驚異的な兵器だった。
現代ビジネスにおける「パテント・トロール」もこれと同じく、買い集めた大量の特許を弾薬とし、手当たり次第に訴訟という矢を放ってくる。
これに対抗する最強の盾は、法律論争ではなく「先行技術(Prior Art)」の発見である。「お前の武器は、実は新しいものではない」と証明し、武器そのものを破壊する。
古文書(過去の知見)は、時として最新鋭のミサイルすら無力化する。




