第42話:Giga-Link帝国への謁見(えっけん)
シリコンバレーのマウンテンビュー。
そこに広がるのは、一つの都市と見紛うばかりの巨大な敷地。
検索、OS、AI……世界の情報を支配する皇帝、「Giga-Link」の本社キャンパスである。
「す、すごい……! 遊園地みたい!」
カラフルな自転車、無料のビュッフェ、至る所に置かれた巨大なドロイド(ロボット)のオブジェ。
玲奈は観光客のように目を輝かせているが、勇(司馬懿)の表情は険しかった。
「騙されるな。我々が案内されているのは、一般人に開放された『見世物小屋』のエリアに過ぎん」
勇は、奥にそびえ立つセキュリティゲートの向こう側を睨んだ。
そこにあるはずの「コア技術」の研究棟には、決して近づけさせてもらえない。
我々は、帝国の繁栄を見せつけられ、威圧されるためだけに呼ばれた「辺境の蛮族」なのだ。
案内されたのは、ガラス張りの明るいミーティングルーム。
現れたのは、パートナーシップ担当のクラークという男だ。
Tシャツにパーカーというラフな格好だが、その笑顔は能面のように完璧だった。
「ようこそ、ウェイソルの皆さん! 君たちのアプリ、日本で話題だね。素晴らしいUIだ」
「光栄です」勇が恭しく頭を下げる。
「単刀直入に言おう。君たちのアプリを、我が社の『Giga-Link 公式パートナープログラム』に招待したい。我が社の最新APIを無制限に使わせてあげるよ。……もちろん、無料でね」
「えっ! 無料で!?」
玲奈が身を乗り出す。Giga-Linkの地図や検索技術を使えば、アプリの性能は何倍にも跳ね上がる。
「契約書はこれだ。サインするだけでいい」
クラークがタブレットを差し出す。
玲奈が喜び勇んでペンを取ろうとするが、勇がそれを制した。
「失礼。……田舎者なもので、紙で確認させていただきたい」
勇はタブレットを無視し、事前にプリントアウトさせておいた契約書の束を取り出した。
クラークの目が一瞬、冷たく細められる。
勇は素早く条文を読み込んだ。
表面上は友好的な提携契約。だが、裏面にある微細なフォントで書かれた「第44条」に目が止まる。
『本APIを通じて取得された全ユーザーデータ、および派生する知的財産権は、全てGiga-Link社に帰属するものとする』
(……やはりな)
勇は心の中で舌打ちした。
これは提携ではない。「併合」だ。
ウェイソルが汗水垂らして集めた顧客データを、Giga-Linkが全て吸い上げる。
そして用済みになれば、APIの仕様変更一つでウェイソルを切り捨てるつもりだ。
「……素晴らしい契約です」
勇は顔色一つ変えず、満面の笑みを浮かべた。
今ここで拒否すれば、その場でアプリはストアから削除され、ウェイソルは死ぬ。
圧倒的強者の前では、面従腹背しか道はない。
「ぜひ、サインさせていただきます。……おや、インクが切れている」
勇は胸ポケットから、自前のボールペンを取り出した。
「日本の文房具は優秀ですよ。書き味抜群だ」
勇はサラサラと署名し、契約書を渡した。
クラークは満足げに頷いた。
「賢明な判断だ。ようこそ、Giga-Link帝国へ」
* * *
本社を出た後、美咲が不安そうに勇に尋ねた。
「勇くん……本当によかったの? あの契約、どう見ても不平等条約だったけど……」
「問題ない」
勇は空を見上げた。
「私が使ったペンは、特殊なインクでな。……60度以上の熱、あるいは強い摩擦を加えると透明になる」
「えっ? それって、消えるボールペン……?」
「今頃、契約書は空調の効いた部屋にあるだろうが……奴らがそれをスキャンし、サーバーの排熱で熱くなったマシンに取り込んだ瞬間、私の署名は消滅する」
「そ、そんな子供騙しが通じるの!?」
「通じるさ。奴らは『蛮族が我々に逆らうはずがない』と驕っているからな。署名が消えたことに気づく頃には、我々は日本に帰り、対策(APIに依存しない独自サーバーの構築)を終えている」
勇は、陽気に手を振るGiga-Linkのロゴマークに、冷徹な視線を送った。
「属国になるつもりはない。……今はまだ、な」
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.042:朝貢
古代中国において、周辺国は皇帝に貢ぎ物(朝貢)を捧げることで、初めて交易を許された。これは対等な貿易ではなく、主従関係の確認儀式である。
現代のデジタル経済圏においても、プラットフォーマー(AppleやGoogle)に対する「手数料30%」や「データ提供」は、まさに現代の朝貢そのもの。
彼らの領土で商売をする以上、税金を逃れることは難しい。だが、全てを差し出して属国になるか、表向きは従いつつ独自の経済圏(自社決済や独自ID)を築くか。その選択が、企業の寿命を決める。




