第4話:エントリーシートという名の檄文(げきぶん)
3月1日。就活解禁日。
それは、何百万もの学生が一斉にゲートを飛び出す、狂気の徒競走の始まりだ。
勇(司馬懿)のボロアパートは、さながら前線司令部と化していた。
ノートPCに向かう剛田と早川の背中には、早くも敗走兵のような悲壮感が漂っている。
「無理だ……。志望動機なんてねぇよ……」
「勇ぅ、これ『御社が第一志望です』って、30社全部に書いていいのか? バレたら即死だろ?」
二人は頭を抱えていた。
エントリーシート(ES)。それは企業という城門を叩くための最初の手形。
だが、何百もの城に対し、いちいち熱烈なラブレターを書くなど、正気の沙汰ではない。
勇は、コンビニの安コーヒーを啜りながら、鼻で笑った。
「愚か者め。貴様らはESを『自分語りの作文』だと思っているから筆が止まるのだ」
「ち、違うのかよ?」
「違う。ESとは『檄文』だ」
勇は立ち上がり、演説するように腕を広げた。
「かつて、陳琳という文官がいた。彼が書いた袁紹軍の檄文は、あまりの名文ゆえに、読んだ曹操様の頭痛が治ったという逸話がある。……いいか、ESとは事実を書くものではない。読み手である人事担当者が『こうあってほしい』と願う幻想を見せてやり、彼らの脳内麻薬を分泌させるための装置なのだ!」
「プ、プロパガンダ……?」
「見ろ。これが私の『量産体制』だ」
勇が自らのPCに向き直った瞬間、その指が残像となって消えた。
タタタタタタタタッ!
キーボードを叩く音が、まるで機関銃のようなリズムを刻む。
「まず、創業100年の老舗メーカー! ここが求めているのは『変革』ではなく『従順』だ。よって私の性格設定は『石橋を叩いて渡る忠義の士』とする!」
勇は、サークルでの地味な会計係のエピソードを、「組織の規律を守り抜いた鉄壁の守護者」という壮大な物語へと昇華させた。
「次! 新興ITメガベンチャー! 彼らが好むのは『野心』と『突破力』だ。よって設定変更……『荒野を駆ける一匹狼』!」
今度は、ただのアルバイトでの失敗談を、「既存のルールを破壊し、新たな価値を創造しようとした挑戦の記録」へと書き換える。
剛田が目を丸くする。
「おい勇! お前そんな性格じゃねぇだろ!?」
「黙れ。カメレオンが色を変えるのに、いちいち『これは本当の俺じゃない』と悩むか? 背景に合わせて色を変えるのは、生存本能だ」
勇の手は止まらない。
かつて魏の国政を担い、山のような竹簡の書類を処理してきた行政処理能力は、現代のキーボードとショートカットキーを得て、神速の域に達していた。
「コピペは下策だが、モジュール化は上策だ。『リーダーシップ』『協調性』『忍耐力』……これら10パターンの美辞麗句ブロックを組み合わせれば、無限にESは生成できる!」
「す、すげぇ……」
「これが、軍師の仕事……!」
剛田と早川は、後光が差すような目つきで勇を見つめた。
数時間後。
勇の送信済みボックスには、300社分のESが整然と並んでいた。
そのどれもが、嘘ではないが真実でもない。しかし、読んだ者を「この学生に会ってみたい」と昂らせる、熱量を持った檄文の山だった。
「よし。剛田、早川。次は貴様らの番だ。私の作った『最強の型』に、貴様らの薄っぺらいエピソードを流し込め。それだけで、貴様らは英雄になれる」
「はいっ! 一生ついていきます!」
勇は冷めたコーヒーを飲み干した。
文書による空爆は完了した。次はいよいよ、敵陣(面接会場)への上陸作戦だ。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.004:プロパガンダ(宣伝戦)
「建安の七子」に数えられた文人・陳琳は、言葉一つで敵軍を動揺させ、味方を鼓舞する檄文の名手であった。
就職活動におけるエントリーシートもまた、一種のプロパガンダである。
「バイトリーダーで売上を20%アップ」といったエピソードにおいて、重要なのは数値の正確性ではない(もちろん明らかな虚偽はいけないが)。重要なのは、その文章が採用担当者という読者の「採用したい人材像」というツボを突き、心地よい幻想を抱かせることができるかどうかという、高度な文学的演出力なのだ。




