第38話:苦肉の策 ~自作自演のバグ報告~
プレスリリース前日の夜22時。
デスマーチ開発部に、死神が舞い降りた。
「……おい、嘘だろ」
猪口(許褚)の顔色が、土気色を通り越して透明になっている。
彼が指差したモニターには、赤い警告ログが表示されていた。
「致命的なセキュリティホールだ。……特定のパケットを送ると、管理者権限なしで個人情報が全抜きできる。……修正には最低3日はかかる」
「明日の正午がリリースだぞ!?」
剛田が悲鳴を上げる。
勇(司馬懿)は、氷のような冷徹さで状況を計算した。
正直に報告すれば、リリースは中止。会社の信用は失墜し、プロジェクトは解散。我々のこれまでの苦労は水泡に帰す。
かといって隠蔽して強行すれば、リリース後に情報漏洩が起き、会社ごと消滅する。
(進むも地獄、退くも地獄。……ならば)
勇は、猪口の肩を掴んだ。
「猪口。今から私の言う通りにコードを書き換えろ」
「ああ、すぐに修正パッチを……」
「違う。『トップ画面のデザインを盛大に崩壊させるバグ』を埋め込め」
「……はぁ!?」
猪口が耳を疑う。
「何言ってんだ! 明日が本番だぞ!? そんなことしたら……!」
「いいからやれ! 致命的なホールは裏で見えない。だからこそ、誰の目にも明らかな『軽微なバグ』を大量発生させ、システム全体を不安定に見せるのだ!」
勇の策は、兵法三十六計が一つ「苦肉の計」。
自らの身を傷つけることで、敵(上層部や世間)を欺く捨て身の戦術。
「お前のプライド(肉体)を切れ、猪口。……美しいコードを書きたいお前が、わざと汚いバグを仕込む。それは身を裂かれるよりも辛いだろう。だが、プロジェクトの命を救うにはそれしかない!」
「くっ……! 鬼か、テメェは……!」
猪口は唇を噛み締め、血が出るほどの力でキーボードを叩いた。
『CSSを破壊』『画像のリンク切れを誘発』『文字化け発生』。
天才エンジニアが、断腸の思いで自らの作品を汚していく。
その背中は、かつて曹操を欺くために、味方の周瑜から鞭で打たれることを志願した老将・黄蓋のようだった。
* * *
翌朝9時。
最終確認のため、曹ヶ谷社長や役員たちが集まった会議室。
デモ画面が投影された瞬間、悲鳴が上がった。
「なんだこれはァッ!!」
画面上のロゴはズレ、文字は豆腐のように化け、レイアウトはピカソの絵画のように崩壊していた。
見た目は最悪。だが、中身(セキュリティ以外)は動いている。
「社長! 申し訳ありません!」
勇が深刻な顔で進み出た。
「直前の調整で、予期せぬ表示エラーが多発しました! 機能は動いていますが、ウェイソルの美学であるUI(見た目)が、この有様です!」
「馬鹿野郎! こんな恥ずかしいもん出せるか!」
「はい! ですが、これはあくまで表示の問題! 技術的な欠陥ではありません! ……3日ください! 我々のプライドに懸けて、完璧なデザインに仕上げてみせます!」
勇は「セキュリティの問題」という言葉を一切使わず、「品質(見た目)へのこだわり」という論点にすり替えた。
曹ヶ谷も、機能不全なら激怒するが、「クリエイティブの調整」と言われれば、無理にリリースしてブランドを傷つけるわけにはいかない。
「……くそっ。仕方ない。リリースは3日延期だ。『クオリティアップのための最終調整』と発表しろ!」
「ありがとうございます!」
勇は深々と頭を下げた。
その顔は、反省しているように見えて、口元だけで笑っていた。
* * *
3日後。
リリースされたアプリは、完璧だった。
表示崩れは当然直され、その裏で、致命的なセキュリティホールも誰にも知られることなく塞がれていた。
「……終わったな」
猪口がげっそりとした顔で呟く。
わざとバグを作り、それを自分で直すというマッチポンプ。精神的疲労は計り知れない。
「よく耐えた、猪口。この傷跡は、勲章だ」
勇は、猪口に最高級のエナジードリンク(1本3,000円)を差し出した。
自らの身を傷つけて得た3日間。それは、組織の崩壊を防ぐための、最も尊い欺瞞(嘘)だった。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.038:苦肉の計
赤壁の戦いで、呉の老将・黄蓋は、味方の周瑜から公衆の面前で激しく鞭打たれるという芝居を打った。これにより「周瑜を恨んで裏切った」と曹操に信じ込ませ、偽装投降(火船の突撃)を成功させた。
システム開発において、致命的な欠陥が見つかった際、正直に報告すればプロジェクトは死ぬ。
そんな時、あえて目に見える軽微なトラブル(自作自演のバグ)を起こし、「品質向上のため」というポジティブな理由で時間を稼ぐことは、現代の苦肉の策である。
自らの評価を一時は下げることになるが、最終的な破滅を回避できるなら、安い代償である。




