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第37話:PM玲奈の陥落 ~共犯者のキス~

午前6時。

戦場と化したオフィスに、白々とした朝日が差し込んでいた。

サーバーの負荷は安定し、SNSの炎上も鎮火。

デスマーチ開発部のメンバーは、泥のように床で眠りこけている。


起きているのは、二人だけ。

勇(司馬懿)と、PMプロジェクトマネージャーの玲奈だ。


「……終わった……のよね?」


窓際で朝日を浴びながら、玲奈が震える声で呟いた。

ここ数日、彼女は極限状態にあった。

上層部からの圧力、クライアントの罵倒、システム崩壊の恐怖。

29歳の女性が背負うには、あまりに重すぎるプレッシャーだった。


「はい。我々の勝利です」


勇がコーヒーを差し出すと、玲奈はカップを受け取ろうとして、手が震えてこぼしてしまった。


「あ……ごめん……私……」


彼女は床に座り込み、両手で顔を覆った。


「怖かった……。私、もうダメかと思った。プロジェクトは失敗して、みんな路頭に迷って、私の人生も終わるんだって……」


張り詰めていた糸が切れ、嗚咽が漏れる。

それは、指揮官としての鎧を脱ぎ捨てた、一人の弱い女性の姿だった。


勇は、静かに彼女に近づいた。


(……脆いな)


勇の瞳に、憐憫の色はない。あるのは、所有物を鑑定するような冷徹な光だ。

このプロジェクトを成功させたのは勇だが、社内的な名義はあくまで「PM・玲奈」の功績となる。

ならば、彼女自身を私の意のままに動く「傀儡かいらい」にしてしまえば、実権は永劫に私のものだ。


勇は膝をつき、震える彼女の体を優しく抱き寄せた。


「玲奈さん」


「……っ!」


「もう、震える必要はありません。……貴女が倒れそうになったら、私が支えます。貴女が間違えそうになったら、私が正します」


勇は、彼女の耳元で、呪文のように囁いた。


「俺がいる限り、貴女は負けません。……絶対に」


それは愛の告白ではない。

「思考を放棄し、私に委ねよ」という、悪魔の契約書へのサインの要求だ。


玲奈が顔を上げる。

涙に濡れた瞳が、勇を捉える。

極度の吊り橋効果と、絶対的な安心感。彼女の中で、部下への信頼が、依存的な恋慕へと変質した瞬間だった。


「……勇くん」


玲奈はすがるように、勇の首に腕を回した。

そして、重なり合う唇。

朝のオフィスに、衣擦れの音だけが響く。

それは、共犯者たちの契約の儀式。


玲奈は目を閉じ、陶酔の中にいた。

だが――。


勇の目は、カッと見開かれたままだった。


彼が見つめていたのは、玲奈の柔らかな髪越しに見える、デスク上のモニター画面。

そこには、アプリの大ヒットを受けて急上昇を始めた、ウェイソルの「株価チャート」が表示されていた。


(愛などいらぬ。私が欲しいのは、貴女という『決裁印』だけだ)


勇は玲奈の背中を優しく撫でながら、冷ややかにチャートの天井を見据えていた。

魏の皇帝を操り、天下を牛耳った司馬一族のように。

この瞬間、玲奈政権の実権は、完全に勇の手中に落ちたのである。


---


【史実から学ぶビジネス兵法】


No.037:傀儡かいらい政権

魏の明帝の死後、幼くして即位した皇帝(曹芳、曹髦など)は、司馬師・司馬昭兄弟によって守られ、そして支配された。

組織において、実力のない上司を追い落とすのは下策である。

むしろ彼らを助け、精神的に依存させ、「君がいないと何もできない」状態に追い込むことこそが上策。

愛や信頼という名の鎖で縛られた上司は、もはや上司ではなく、自分の起案をノーチェックで通してくれる、最も使い勝手の良い「自動承認マシーン(傀儡)」となるのである。

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