第34話:孤高のUIデザイナー・陳(ちん)
「……ない」
剛田がスマホの画面をタップしながら困惑している。
デスマーチ開発部で制作中の新アプリ。その画面は、まるで現代アートのように洗練され、余白の美が支配していた。
だが、致命的な問題があった。
「どこにも『購入ボタン』がないぞ!? これじゃ何も売れねぇじゃん!」
「フッ……。剛田くん、君には『行間』が見えないのかい?」
優雅に紅茶を啜りながら振り返ったのは、UI/UXデザイナーの陳。
彼は社内でも一二を争う気難しい男だ。
常にスカーフを巻き、デスクには高価なアロマ加湿器。
彼は魏の名臣・陳群のように規律と秩序を重んじるが、その基準は「美しさ」のみに置かれている。
「購入ボタン? あんな下品な原色の長方形を、僕の神聖なキャンバスに配置しろと? 愚問だね。そんなノイズは、画面の右端を3回スワイプすれば出るように隠しておいたよ」
「わかるかそんなもん! ユーザーが迷子になるだろ!」
「迷う? それはユーザーの感性が低いからだ。僕のデザインに人間が合わせるべきだ」
陳は聞く耳を持たない。
剛田が怒りで顔を真っ赤にする中、勇(司馬懿)は静かに陳のモニターを覗き込んだ。
(……厄介だな。だが、この手の『文官』タイプは、論理で攻めても無駄だ。彼らにとっての正義は美学であり、売上ではない)
勇は、陳の隣に椅子を引き寄せ、深々と頭を下げた。
「陳さん。……感動しました」
「ん?」
「このデザイン、もはやアプリの領域を超えている。ルーヴル美術館に飾られるべき『第一品』の芸術です」
陳の眉がピクリと動く。
勇は畳み掛けるように続けた。
「しかし……残念ながら、世の中のユーザーは無知蒙昧な輩ばかり。彼らの審美眼は、陳さんの高尚なデザイン(ランク1)を理解できるレベルにありません。彼らは悲しいことに、下品なボタンがないと買い物すらできない『第九品』の愚民なのです」
「……ふむ。まあ、大衆とは常に愚かなものだ」
陳はまんざらでもない顔で頷く。
勇はここで、かつて陳群が制定した人材登用制度「九品官人法」の概念を持ち出した。
「そこで陳さん、提案があります。このアプリに『九品デザイン評価制度』を導入しませんか?」
「なんだい、それは?」
「貴方の本気である『第一品』のデザインは、高尚すぎてユーザーには伝わらない。……ですから、あえて、わざと、レベルを下げてあげるのです。愚民にも理解できるよう、慈悲の心で『第五品』くらいの実用的なデザインまで、手加減してやってはくれませんか?」
「手加減……だと?」
「はい。貴方のプライドを曲げるのではありません。王が平民の目線まで降りて話を聞いてやるような、高貴な譲歩です」
陳は顎に手を当て、天井を見上げた。
「なるほど……。僕が完璧すぎることが、逆に罪ということか」
「その通りです。彼らのために、あえて『わかりやすいボタン』という餌を置いてやる。……それこそが、真の強者のデザインかと」
陳は、ふぅ、とため息をつき、マウスを握った。
「仕方ないな。君に免じて、少しだけ『俗世』に降りてやるとしよう」
数分後。
画面中央には、誰が見てもわかる鮮やかな「購入する」ボタンが配置されていた。
陳にとっては屈辱的な修正だが、彼は「愚民に合わせてやった」という優越感に浸っているため、機嫌はすこぶる良い。
「ありがとう、陳さん(チョロいものだ)」
勇は心の中で冷笑した。
クリエイターの自尊心は、正面から叩けば折れるが、下から持ち上げて転がせば、面白いように望む方向へ転がっていく。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.034:文官のプライド
陳群は「九品官人法」を制定し、人材をランク付けして管理する制度を作った。文官や学者、クリエイターといった人種は、武人と違って「面子」や「美学」を何よりも重んじる。
彼らに修正を命じる際、「売上のため」「使いにくい」といった実利的な指摘は逆効果となり、彼らの殻を閉ざしてしまう。
「君の作品は高尚すぎる」「一般人には理解が追いつかない」と、相手を上のランク(第一品)に置いた上で、「下の者に合わせてやってほしい」と頼むこと。この「おだて」こそが、頑固な職人を動かす魔法の鍵である。




