第27話:社内不倫の目撃者
深夜23時。
残業という名の持久戦が続くオフィスに、奇妙な音が響いた。
「……ん? ……やだ、部長……ここで……?」
微かだが、艶めいた声。
勇(司馬懿)の手が止まった。
声の発生源は、廊下の奥にある第三会議室。
通常、この時間は施錠されているはずの密室だ。
勇は足音を消し、忍びのように接近した。
ブラインドの隙間から、内部を覗き込む。
そこにいたのは、営業本部の実力者・大槻部長(既婚・子供2人)と、今年入社したばかりの広報部の女子社員だった。
二人は会議テーブルの上で、書類ではなく、互いの身体を貪り合っていた。
(……ほう)
勇は眉一つ動かさず、ポケットからスマホを取り出した。
カメラアプリを起動。フラッシュ・シャッター音はオフ。
動画モードで10秒。
二人の顔と、状況が確実に特定できるアングルで、その「動かぬ証拠」をデジタル空間に保存した。
(情欲に溺れ、戦場(職場)で隙を晒すとは。脇が甘いにも程がある)
勇は、何事もなかったかのように自席に戻り、データを暗号化フォルダに格納した。
翌日。
剛田が興奮気味に話しかけてきた。
「おい勇! もしあの大槻部長の不倫ネタ掴んだらどうする? 週刊誌に売るか? それとも脅して金にするか?」
「愚か者め」
勇は即座に否定した。
「告発すれば、部長は失脚するが、私も『密告者』として組織から警戒される。金を脅し取れば、それは犯罪だ。……切り札は、切ってしまえばただの紙切れになる」
「は? じゃあどうすんだよ?」
「見ていろ」
昼休み。
勇は、社員食堂でコーヒーを飲んでいる大槻部長に近づいた。
「大槻部長、お疲れ様です」
「ん? ああ、司馬くんか」
大槻は、若手社員など眼中にないという尊大な態度だ。
勇は周囲に人がいないことを確認し、少しだけ声を潜めて囁いた。
「最近、夜遅くまで大変ですね。……昨夜も23時頃、第三会議室の電気がついていましたが、重要な『極秘会議』でしたか?」
「ッ!?!?」
大槻の手が止まり、カップの中のコーヒーが大きく波打った。
その顔から、瞬時に血の気が引いていく。
勇は、あくまで純粋な労いの表情を崩さない。
「あまりご無理をなさらないでくださいね。……奥様も心配されますよ?」
「き、君……まさか……」
「では、失礼します」
勇はそれ以上何も言わず、深く一礼して去っていった。
「見た」とも「証拠がある」とも言っていない。
だが、大槻の脳内では疑心暗鬼が爆発しているはずだ。
(どこまで知っている? 写真はあるのか? 誰かに話したか? こいつを敵に回したら破滅する……!)
その効果は、即座に現れた。
数日後。
勇が提出した、少し強引な予算申請に対し、大槻部長から異例の速さで承認が下りたのだ。
しかも、わざわざ勇の席まで来て、
「司馬くん、君の企画は筋がいいね。期待しているよ(震え声)」
と、媚びるような笑顔で肩を叩いてきた。
勇はニッコリと微笑み返した。
「ありがとうございます、部長。……部長のご期待(秘密)に応えられるよう、精進します」
大槻はヒッと息を呑み、逃げるように去っていった。
(恐怖こそが、人を縛る最強の鎖だ)
勇は承認された書類を眺めた。
この鎖は、大槻が役員になっても、社長になっても、勇が握り続ける限り決して解けない。
たった10秒の動画データが、将来の出世ルートを約束する「見えない手形」へと変わった瞬間だった。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.027:弱みの掌握
敵の弱み(スキャンダルや不正の証拠)を握った際、三流の策士はすぐにそれを公表したり、直接的な脅迫に使ったりする。だが、それは相手を窮鼠にし、反撃を招く下策である。
真の策士は、証拠を隠し持ち、ただ「私は知っているぞ」という匂わせだけを行う。
「いつ切り札を切られるかわからない」という恐怖を与え続けることで、相手を生かしたまま、意のままに操る傀儡とすることができるのである。




