第21話:地獄の合宿研修と、黄巾の乱のようなシュプレヒコール
4月1日。
桜舞う入社式からバスに揺られること3時間。
ウェイソルの新入社員20名が連行されたのは、地図にも載っていないような山奥の研修施設だった。
「これより、貴様らの『学生気分』を殺処分する!」
迷彩服を着た外部講師(元傭兵という触れ込みだが、たぶん嘘)が、金切り声で叫んだ。
「まず、スマホを全て回収する! 外部との通信を遮断し、退路を断て!」
没収される現代の命綱。
勇(司馬懿)は、箱に放り込まれるスマホを冷ややかに見送った。
(通信遮断に、外界からの隔絶。古典的だが、兵の精神を崩壊させるには効果的な包囲戦術だ)
そこから始まったのは、地獄だった。
朝5時起床。20キロのランニング。食事は冷たい握り飯のみ。
そして、メインイベントは夜に行われる「大声出し訓練」だ。
体育館に整列させられた20名。
全員が、ウェイソルの社名が入った黄色いジャージ(ビブス)を着せられている。
「声が小さい! 腹から出せ! 社訓第一条!」
「「「我々は! 圧倒的成長を! 渇望する!!」」」
「聞こえん! もう一度!」
「「「我々はァァッ!!」」」
喉が裂けんばかりの絶叫。
床を叩き、涙を流しながら社訓を叫ぶ同期たち。
その光景を見た勇の脳裏に、かつての記憶が蘇る。
(黄色い布をまとい、呪文のようなスローガンを叫びながら行進する集団……。まるで『黄巾の乱』ではないか)
後漢末期、宗教的指導者に扇動され、全土を焼き尽くした農民反乱。
彼らを突き動かしたのは「蒼天已死(蒼天すでに死す)」というスローガンと、集団ヒステリーだった。
今、目の前で起きていることも同じだ。
思考を停止させ、喉を潰し、ただ「会社」という教祖に帰依させるための儀式。
「うおおおお! 俺はやるぞおおお!」
隣では、剛田が完全に目に光を失い(あるいは変な光を宿し)、トランス状態で叫んでいる。
早川も「成長……成長……」とブツブツ呟きながら泣いている。
(哀れな。凡夫はこうして個を消され、兵隊蟻へと作り替えられるのか)
勇は口パクと、適度なボリューム調整でやり過ごしていた。
講師の動きを観察する。奴は15分おきに腕時計を見ている。
(あの講師も本気で怒っているわけではない。ただタイムスケジュール通りに「怒鳴る演技」をしているだけだ。本質を見抜けば、恐れるに足りん)
その時。
勇の前列にいた女子社員が、激しく咳き込んだ。
「ゲホッ、ゴホッ……! あぅ……」
春香。
インターンで生き残った同期の一人だ。
気が強く、鋭い目つきをした美女だが、無理な発声で喉を痛めたらしい。
講師が鬼の形相で近づく。
「おい! 何休んでる! 貴様の成長意欲はその程度か!」
春香は涙目になりながらも、講師を睨み返している。
(ほう……。いい目だ)
勇は、その不屈の眼差しに、かつての妻・張春華の面影を重ねた。
喉は潰れても、心は折れていない。この女は使える。
講師が他の生徒を怒鳴りに行った隙に、勇は春香の背後から小声で囁いた。
「喉で叫ぶな」
「え……?」
「丹田(へそ下)に空気を溜めろ。そして喉ではなく、頭蓋骨を響かせるイメージで音を出せ」
「な、なに言って……」
「講師は『声の大きさ』ではなく『必死な形相』を見ている。顔だけ苦しそうに歪め、音は骨伝導で響かせれば、喉は痛まん。……やってみろ」
勇の的確かつ冷徹なアドバイス。
春香は半信半疑ながらも、腹に力を入れ、頭蓋骨を鳴らすイメージで声を出した。
「我々はァッ!!」
スコーン! と、よく通る音が体育館に響いた。
喉への負担は軽い。
講師が振り返り、満足げに頷いた。「ようやく本気になったか! 合格だ!」
春香は驚いた顔で自分の喉をさすり、そして後ろの勇を振り返った。
「……アンタ、何者?」
「ただの同期だ。……喉を潰されては、明日からの私の盾にならんからな」
勇はそっけなく答えたが、春香はその背中を、興味と警戒が入り混じった複雑な目で見つめ続けていた。
夜10時。
洗脳完了したゾンビのような同期たちの中で、勇と春香だけが、正気を保ったまま冷たい弁当を噛み締めていた。
現代の黄巾の乱は、こうして静かに鎮圧されたのだった。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.021:黄巾の乱と集団心理
後漢末期、太平道の教祖・張角が起こした「黄巾の乱」は、数百万の信徒が黄色い頭巾を巻き、同じ言葉を叫んで体制に反逆した。
疲労、飢餓、そして睡眠不足の極限状態で、特定のスローガンを連呼させると、人間の前頭葉の機能(批判的思考力)は低下し、強烈な帰属意識だけが肥大化する。
宗教反乱も、ブラック企業の新人合宿研修も、その洗脳メソッドは生理学的に同一である。「感動の涙」を流した時、人は思考を放棄した奴隷となるのだ。




