表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/62

第15話:ランチタイムの座席争い

正午。

それは、社畜たちが唯一、首輪を緩めることを許された安息の時間。

ウェイソルの社員食堂(といっても、自販機と長机があるだけの狭い休憩スペースだが)は、弁当を手にした社員たちでごった返していた。


だが、勇(司馬懿)の目には、この狭い部屋が「中華全土」の縮図に見えていた。


「おい剛田、あそこには座るな」


勇は、窓際の席へ向かおうとした剛田を制した。


「あそこは『漢中かんちゅう』だ。定年近い窓際族や、出世コースから外れた者たちが集まる僻地。あそこに座れば、我々も『負け組』のレッテルを貼られるぞ」


「げっ、マジかよ」


「逆にあの中央テーブルは『荊州けいしゅう』。各部署のエースやバリキャリたちが情報交換を行う要衝だ。新参者の我々が座れば、集中砲火を浴びる」


「じゃあどこで食えばいいんだよ!」


勇が選んだのは、入り口近くの、一見すると落ち着かない隅の席だった。

不人気な席だが、ここには重大な利点がある。

社長室へと続く廊下が、壁の隙間から唯一見える「監視ポイント」なのだ。


(トップの動向、来客の顔ぶれ、そして役員の機嫌。全ての情報はこの動線を通過する)


勇がコンビニ弁当(兵糧)を開こうとした時、その廊下をふらりと歩く影があった。

長い髪を乱し、目の下にクマを作った女性。

首から下げたIDカードには「PMプロジェクトマネージャー玲奈れな」とある。

入社以来、数々の炎上案件を鎮火させてきたと噂の、29歳の若き女傑だ。

だが今の彼女は、度重なるデスマーチで摩耗し、幽鬼のように揺れていた。


休憩室は満席だ。彼女は座る場所を探し、諦めたようにため息をついた。


(……好機)


勇は即座に立ち上がり、弁当の蓋を閉じた。


「お疲れ様です。ここ、どうぞ」


「え……?」


玲奈が驚いて顔を上げる。


「僕はもう食べ終わりましたので」


勇は爽やかに嘘をついた。まだ一口も食べていない。

だが、恩を売るには「自己犠牲」の演出が必要だ。


「あ、ありがとう……助かるわ」


玲奈は力なく微笑み、椅子に崩れ落ちるように座った。

その手には、栄養ゼリーと頭痛薬。

まともな食事すら喉を通らないほど追い詰められている証拠だ。


勇は去り際、ポケットから一粒のチョコレートを取り出し、彼女のデスクの端に置いた。

カカオ70%。疲れた脳に効く、少し苦い兵糧だ。


「糖分、切れてますよ。……無理なさらないでください」


それだけ言い残し、勇は背を向けた。

背後で、玲奈が驚いたようにチョコを手に取り、少しだけ表情を緩めた気配を感じる。


(落ちたな)


勇は廊下の陰でニヤリと笑った。

これは親切心ではない。「投資」だ。

激務に疲れた中間管理職は、ふとした優しさに弱い。

この些細なチョコ一粒が、いずれ彼女が権力を握った時、あるいは彼女を私の傀儡かいらいとする時に、百倍の利息となって返ってくるのだ。


「勇、お前、弁当食ってねーじゃん」

剛田が不思議そうに聞く。

勇は空腹の腹をさすりながら答えた。


「餌を撒いたのだ。……いずれ大魚を釣るためのな」


---


【史実から学ぶビジネス兵法】


No.015:天の時、地の利、人の和

『孟子』の言葉だが、ビジネスにおいても場所選び(地の利)は重要である。

オフィスの座席、休憩室のポジショニング、あるいは飲み会の席次。これらを戦略的に抑えることは、情報の流通経路(補給路)を支配することに等しい。

そして、疲弊した上司への気遣い(人の和)。缶コーヒー一本、チョコ一粒のコストで、将来的な「決裁権」へのアクセスパスが手に入るなら、安い投資である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ