第15話:ランチタイムの座席争い
正午。
それは、社畜たちが唯一、首輪を緩めることを許された安息の時間。
ウェイソルの社員食堂(といっても、自販機と長机があるだけの狭い休憩スペースだが)は、弁当を手にした社員たちでごった返していた。
だが、勇(司馬懿)の目には、この狭い部屋が「中華全土」の縮図に見えていた。
「おい剛田、あそこには座るな」
勇は、窓際の席へ向かおうとした剛田を制した。
「あそこは『漢中』だ。定年近い窓際族や、出世コースから外れた者たちが集まる僻地。あそこに座れば、我々も『負け組』のレッテルを貼られるぞ」
「げっ、マジかよ」
「逆にあの中央テーブルは『荊州』。各部署のエースやバリキャリたちが情報交換を行う要衝だ。新参者の我々が座れば、集中砲火を浴びる」
「じゃあどこで食えばいいんだよ!」
勇が選んだのは、入り口近くの、一見すると落ち着かない隅の席だった。
不人気な席だが、ここには重大な利点がある。
社長室へと続く廊下が、壁の隙間から唯一見える「監視ポイント」なのだ。
(トップの動向、来客の顔ぶれ、そして役員の機嫌。全ての情報はこの動線を通過する)
勇がコンビニ弁当(兵糧)を開こうとした時、その廊下をふらりと歩く影があった。
長い髪を乱し、目の下にクマを作った女性。
首から下げたIDカードには「PM:玲奈」とある。
入社以来、数々の炎上案件を鎮火させてきたと噂の、29歳の若き女傑だ。
だが今の彼女は、度重なるデスマーチで摩耗し、幽鬼のように揺れていた。
休憩室は満席だ。彼女は座る場所を探し、諦めたようにため息をついた。
(……好機)
勇は即座に立ち上がり、弁当の蓋を閉じた。
「お疲れ様です。ここ、どうぞ」
「え……?」
玲奈が驚いて顔を上げる。
「僕はもう食べ終わりましたので」
勇は爽やかに嘘をついた。まだ一口も食べていない。
だが、恩を売るには「自己犠牲」の演出が必要だ。
「あ、ありがとう……助かるわ」
玲奈は力なく微笑み、椅子に崩れ落ちるように座った。
その手には、栄養ゼリーと頭痛薬。
まともな食事すら喉を通らないほど追い詰められている証拠だ。
勇は去り際、ポケットから一粒のチョコレートを取り出し、彼女のデスクの端に置いた。
カカオ70%。疲れた脳に効く、少し苦い兵糧だ。
「糖分、切れてますよ。……無理なさらないでください」
それだけ言い残し、勇は背を向けた。
背後で、玲奈が驚いたようにチョコを手に取り、少しだけ表情を緩めた気配を感じる。
(落ちたな)
勇は廊下の陰でニヤリと笑った。
これは親切心ではない。「投資」だ。
激務に疲れた中間管理職は、ふとした優しさに弱い。
この些細なチョコ一粒が、いずれ彼女が権力を握った時、あるいは彼女を私の傀儡とする時に、百倍の利息となって返ってくるのだ。
「勇、お前、弁当食ってねーじゃん」
剛田が不思議そうに聞く。
勇は空腹の腹をさすりながら答えた。
「餌を撒いたのだ。……いずれ大魚を釣るためのな」
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.015:天の時、地の利、人の和
『孟子』の言葉だが、ビジネスにおいても場所選び(地の利)は重要である。
オフィスの座席、休憩室のポジショニング、あるいは飲み会の席次。これらを戦略的に抑えることは、情報の流通経路(補給路)を支配することに等しい。
そして、疲弊した上司への気遣い(人の和)。缶コーヒー一本、チョコ一粒のコストで、将来的な「決裁権」へのアクセスパスが手に入るなら、安い投資である。




