第12話:コピー機前の攻防戦 ~兵站を制す者~
インターン初日。
勇(司馬懿)と剛田に与えられた任務は、地獄のように退屈なものだった。
「コピー取り」。
過去の議事録や営業資料の山を、ひたすら複写し、ホチキスで止める。それだけだ。
「なんだよこれ! 俺たちは『世界を変える』ために来たんだぞ!?」
剛田が複合機の前で吼える。
「こんな誰でもできる仕事、バイトにやらせろよ!」
不満を爆発させる剛田の横で、勇は淡々と、しかし機械のような正確さで用紙をセットしていた。
その目は、ただ紙を見ているのではない。獲物を狙う鷹の目だった。
「愚か者め。誰でもできる仕事? ……違うな」
勇は刷り上がったばかりの温かい紙束を手に取り、不敵に囁いた。
「ここは単なる印刷室ではない。社内の全情報が集まる『長安』だ」
「は? 何言ってんだお前?」
「見ろ、剛田」
勇は一枚の書類を指差した。それは営業部長の「経費精算書」だ。
「この部長、先週だけで三回も六本木の高級寿司屋に行っている。しかも同伴者は『接待』となっているが、日付は全て金曜の夜だ」
「それがどうした?」
「同時刻、社長のスケジュールは『会食』。場所は銀座だ。……つまり、この部長は社長の目の届かない場所で、会社の金を使って私腹を肥やしている可能性がある。弱味が一枚手に入ったな」
「げぇっ!?」
勇の手は止まらない。
次に出力されたのは、開発部の「次期プロジェクト仕様書(極秘)」。
その次は、人事部から出力された「リストラ候補者リスト」。
さらには、誰かが取り忘れたままの「不倫相手への私信メール(プリントアウトして確認しようとした痕跡あり)」。
「社内の人間は油断している。複合機という公共の場に、自らの首を絞める機密を無防備に晒しているのだ」
勇はコピーを取るフリをして、それらの重要情報を脳内の「社内勢力図」にマッピングしていく。
誰が誰と繋がり、誰が失脚寸前か。
たった1時間のコピー作業で、勇は新人社員よりも深く会社の裏事情を把握していた。
その時だった。
複合機が悲鳴のような警告音を上げた。
『トナーがありません。交換してください』
「あーあ、止まっちまった。総務の人呼んでくるか」
剛田が動こうとした時、給湯室の方から、ヒールの音が近づいてきた。
現れたのは、総務歴30年のベテラン社員、通称「お局様(50代)」。
その鋭い眼光は、役員ですら直立不動になるという社内の裏番長だ。
「ちょっとアンタたち! トナー切らしたならさっさと交換しなさいよ! 若いんだから気が利かないわね!」
ヒステリックな罵声。剛田が縮み上がる。
だが、勇は待っていたとばかりに一歩前に出た。
「失礼しました。直ちに」
勇は予備のトナーカートリッジを取り出すと、慣れた手つきで数回振った。
(トナーは振ることで粉末が均一になる。これを怠れば印刷にムラが出る)
カシャン、と小気味よい音を立ててセット完了。
さらに、勇は懐からポケットティッシュを取り出し、トナー交換時に飛散した微細な粉を、ドラムを傷つけないよう優しく、かつ迅速に拭き取った。
「完了しました。ついでに給紙ローラーの埃も取っておきましたので、紙詰まりも減るはずです」
完璧な所作。
お局様の目が丸くなった。
「……アンタ、やるじゃない。最近の若いのには珍しく、道具への愛があるわね」
「恐縮です。戦場において武器(複合機)の手入れは兵士の命ですので」
勇が恭しく頭を下げると、お局様の氷のような表情が溶け、少女のような(?)笑みが浮かんだ。
「名前は? ……司馬くんね。覚えたわ。何か困ったことがあったら、総務に来なさい。特別にお菓子あげるから」
お局様は機嫌よく去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、勇は剛田に向かってニヤリと笑った。
「見たか、剛田。これで我々は、社内の備品管理権限と、総務発の『人事異動の噂』を最速で入手するルート(パイプ)を手に入れた」
「お、お前……コピー機一つでそこまで……」
剛田は戦慄した。
この男にかかれば、雑用すらも天下取りの布石となるのだ。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.012:宦官と情報網
後漢末期、朝廷を牛耳り政治を腐敗させたのは「十常侍」と呼ばれる宦官たちであった。彼らは皇帝の身の回りの世話をする「雑用係」であったがゆえに、皇帝への取次役として絶大な権力を握った。
現代のオフィスにおいても、清掃員、警備員、そして総務のベテラン社員(お局様)を軽視してはならない。彼らはオフィスの「汚れ」と共に、最もディープな「機密情報」を握っている影の支配者であり、彼らを敵に回した者は、足元から崩れ去る運命にある。




