第1話:五丈原より愛を込めて、圧迫面接を
風が、冷たい。
五丈原の秋風が、老いた身体の熱を奪っていく。
(孔明よ……先に行くぞ)
魏の太傅・司馬仲達。
幾多の戦場を駆け、天下をその掌中に収めようとした稀代の軍師は今、陣中の寝台で静かに息を引き取ろうとしていた。
曹操に警戒され、孔明と知恵を競い、曹爽の専横に耐え忍んだ生涯。
勝利は常に、忍耐の果てにあった。だが――。
(まだだ……まだ足りぬ。次は、もっとうまくやる。もっと完璧に、誰にも邪魔されず、我が覇道を描いてみせる……!)
薄れゆく意識の中で、強烈な渇望が魂を焦がす。
視界が白く染まる。意識が途切れる。
そして――。
「おい、聞いてんのか? 君だよ、君」
不快な濁声が、鼓膜を叩いた。
「……ッ!?」
司馬懿はカッと目を見開いた。
そこは戦場の天幕ではなかった。鼻をつくのは血と鉄の臭いではなく、乾燥した空調と安っぽい整髪料の臭い。
目の前には、仕立ての悪いスーツを着た、脂ぎった中年男がふんぞり返っている。
そして自分は、窮屈な黒い衣服に身を包み、パイプ椅子に座らされていた。
(ここは……どこだ? 私は死んだのではなかったか?)
混乱する脳内に、奔流のような情報が雪崩れ込んでくる。
司馬 勇。22歳。三流私立大学・経済学部4年。
趣味は三国志のゲーム。特技は節約。性格は事なかれ主義。現在、就職活動50連敗中――。
(なるほど……転生、か。この軟弱な若造が、今の私というわけか)
瞬時に状況を理解する。かつて幾多の戦況図を一瞬で読み解いた頭脳は、現代においても健在だった。
今は「メンセツ」の最中。目の前の男は、この小規模な「カイシャ」の人事担当者だ。
「君さぁ、こんな平凡な経歴で、ウチみたいな成長企業の戦力になると思ってんの? まじで時間の無駄なんだけど」
面接官は嘲笑いながら、勇の履歴書を指先で弾いた。
ペラ、と舞う紙切れ。
それはまるで、敵将からの挑発状のようだった。
勇(司馬懿)の瞳から、学生らしい怯えが消え失せた。
背筋が凍るほど冷徹な、古の軍師の光が宿る。
(ククッ……。戦力、か)
勇はゆっくりと顔を上げた。
その動作は異様だった。体は正面を向いたまま、首だけが真後ろを向くのではないかと思わせるほどの可動域で、ぐるりと回る。
「狼顧の相」。
かつて英雄・曹操をして「この男は野心を隠し持っている」と震え上がらせた、捕食者の視線。
「ひッ……!?」
面接官の喉が引きつる。目の前の冴えない学生が、突然、巨大な狼に見えたのだ。
勇は静かに、しかし重低音の声で告げた。
「貴殿こそ、戦力を見誤っているのではないか?」
「な、なんだと……?」
「その焦り。その安直な威圧。貴殿、社内での立場が危ういのであろう?」
勇の眼光が、面接官の瞳孔の奥を覗き込む。
履歴書を見るフリをして手元のスマホを気にしている仕草。袖口が擦り切れたシャツ。そして何より、この部屋の空気だ。
「この部屋の備品、リース切れのシールが貼られたままだ。廊下ですれ違った社員たちの目は死に、覇気がない。この城(会社)の財務状況、火の車とお見受けする」
「き、貴様! 何を適当なことを!」
「図星か。貴殿は、私のような弱そうな学生をサンドバッグにしてストレスを解消しつつ、なんとか頭数を揃えて上層部に報告したいだけ。……違うか?」
勇は一歩、身を乗り出した。
面接官は椅子ごと後ずさる。
「兵站(資金繰り)も尽きかけ、将(上司)の信頼も失った貴殿ごときが、この私を値踏みするなど……笑止千万」
「あ、あ、あ……」
面接官の顔面から血の気が引いていく。過呼吸のように息が荒くなり、脂汗が滝のように流れ落ちた。
完全に、精神的な支配関係が逆転した瞬間だった。
「ま、待て! 合格だ! 内定を出そう! だからその目をやめろぉ!」
面接官が悲鳴交じりに叫ぶ。
しかし、勇はフンと鼻を鳴らし、ゆっくりと席を立った。
「合格? 断る」
勇は履歴書をひったくり、出口へと踵を返す。
「このような泥舟、頼まれても乗れぬわ」
バタン! と扉を閉める音が、静まり返ったオフィスに響き渡った。
廊下に出た勇は、ネクタイを少し緩め、ビルの窓から東京の摩天楼を見下ろした。
無数に輝くビルの明かり。それはまるで、かつて見上げた星々のようであり、群雄割拠の陣営のようでもあった。
「ふん……悪くない。乱世ならば、私の独壇場だ」
現代の五丈原(東京)に、狼の遠吠えのような笑い声が微かに響いた。
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【史実から学ぶビジネス兵法】
No.001:狼顧の相
司馬懿の特徴として知られる身体的特徴。身体を動かさずに首だけを真後ろに向けることができたとされ、その眼光は警戒心が強く、並々ならぬ野心を秘めた人物の象徴として曹操に恐れられた。
現代の面接や交渉の場において、過度なアイコンタクトや不自然な挙動は相手に不快感を与えるリスクがある。しかし、圧倒的な実力差を見せつける際の「威嚇」として用いるならば、相手の思考を停止させ、心理的支配権を奪取する極めて効率的な手段となり得る。




