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魂が不滅だとしても、この自分という意識は果たして残るのだろうか

作者: ムクダム
掲載日:2025/10/17

 世の中のトレンドは既に移り変わっているのかもしれないが、自分が観察した範囲では、主人公が異世界に転生する物語が大きな人気を博しているように見受けられる。なぜ多くの人が異世界転生ものの作品を書き上げ、またそれを求める読者が後を絶たないのだろうか。

 一口に異世界転生ものと言っても、転生後の展開は多種多様だ。転生後に授かったチートスキルで無双するもの、現実社会での技能や知識を活かして異世界の開拓者となるもの、悪役キャラクタに転生して物語の定石から外れた善行に勤しむもの、冒険や戦いはせずゆったりとしたスローライフを満喫するものなど。物語の枝葉の部分は四方八方に伸び続けており、転生後のストーリー展開を網羅することは不可能だけれども、大方の作品に共通しているのは主人公の活躍する舞台が現実ではない世界であること、そしてその世界に行くために主人公が命を落としているということだ。

 物語に求められているのが、普段馬鹿されている人間が何かをきっかけに周囲を見返すことで得られる逆転のカタルシスであったり、忙しない日常から離れて得られる癒しだったりするのであれば、何も異世界を舞台にしなくてもそれらを表現することは出来るはずだ。

 何故、猫も杓子も異世界に転生してから物語を始めたがるのか不思議だったのだが、もしかしたら、魂が不滅なものであって欲しいという願望があるために、多くの人が異世界転生ものに惹きつけられるのではないだろうかと、ふと思いついた。

 転生後でも現実世界の自分の姿を保ったものもあれば、全く違う生物、時には無生物に生まれ変わる場合もあるが、いずれにせよ現実世界で生きていた自分の人生は終わりを迎えている。しかし、多くの場合、姿がどのように変わっていようと、異世界で目覚めた自分が現実に生きていた自分と同一人物であるという意識は継続している。自分が元から異世界の住人だったという認識で展開される物語はほぼないように思える(探せばあるかもしれないが、メジャーではないだろう)。そういった認識の主人公では異世界転生ものの物語が成り立たず、架空の世界を舞台にした普通のファンタジー小説になってしまう。

 異世界転生の物語の魅力は、主人公が現実社会で生きていたという認識を持ちながら、転生後の新たな世界を様々な形で満喫することにあるのだと考える。そして、なぜそれが人を惹きつけるのかというと、命が終わりを迎えたとしてもこの自分という意識は消えることがないという希望を抱かせてくれるからではないだろうか。

 人間は様々なものから目を背けて生きているが、その最たるものが自らの人生の終わりである。全ての人にいつか平等に訪れるものであるという認識を誰もが持っているものでありながら、自分がその時を迎えることを信じられずにいるものだ。それは自分という意識が完全に消え去ることを想像できない、または受け入れたくないと思うからではないだろうか。

 それを私なりに表現すると、自分が命を終え意識が消え去った後でも、自分の生きていた世界が変わらず存在するということを悲しい、寂しいと思う気持ちである。

 日本では毎日約3000人がその人生の終わりを迎えているという統計データが出ているが、それだけの人がいなくなってもこの世界は依然として存在している。電車はいつも通りの時刻表で動くし、テレビは悲しいニュース、嬉しいニュースを無節操に繋げて放送する。コンサート会場ではアイドルやタレントに歓声をあげる人波が蠢いている。社会は変わらず動き続けているのだ。社会全体のことを考えずとも、家族や知り合いがいなくなった後にも自分という存在は変わらず生きているということが、まさにこの認識を裏打ちしている。

 そういった悲しさや寂しさを紛らわすため、または解消するために人間は魂という概念を考え出したのではないだろうか。体がその役目を終えても体という器に入っていた魂は消えず、自分という意識は存在し続け、いずれは新しいに体を得ることもあるかもしれない。そのように考えることで、自分の人生が終わった後にも世界が存続するという問題と折り合いをつけているのではないだろうか。

 魂なるものが本当に存在するのかという問題は遥か昔から偉大な哲学者や芸術家が絶えず取り組んできたものであり、これだという答えは出ないと思う。ただ、仮に魂が存在し不滅のものだとしても、そこに自分個人としての意識

は残るのかは疑問だ。

 自分という意識の存続を願って魂を求める立場からすれば全てを台無しにする考え方であるが、私は自分という意識は肉体が存在してこそ成り立つものだと感じるのだ。私たちは自分という存在の確認を日々どのように行なっているか。例えば、毎朝目を覚ました時、わずかでも体を意識的に動かすことで自分が起きていることを確認し、鏡に映った顔や体を見ることでその時の自分の様子を確かめている。自分の意思で動かすことのできる体がなかったり、自分の姿を確認する術が全く失われてしまったりした場合に、自分が自分であるという認識を持つことができるのか、甚だ心許ないと感じるのである。

 というわけで、困ったことに異世界転生ものを読んでいると、この転生した主人公はどうやって自分は自分であると認識しているのだろうかという疑問が物語への没入を妨げるようになってしまった。お約束の部分に難癖をつけるのは野暮なことだとは思うが、案外、多くの読者は心の底では魂とか意識のありように関心を持ちながら異世界転生ものを読んでいるのではなかろうか。

 そもそもがなぜ異世界転生ものが流行るのかという疑問から始まったことなので、何か別の得心のいく考え方が見つかれば、私も異世界転生ものに夢中になることができるかもしれない。終わり

 

 

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