自分よりも
図書館を出たシャルロットは真っ直ぐ帰るために駐輪場に直行する。
「あっ! シャルロットちゃん!」
自転車に乗ろうとしているシャルロットの耳に自分の名前を呼ぶ声が聞こえたので、そちらを見ると、シャルロットよりも少し小さな男の子が車道を挟んで手を振っていた。その男の子は、教会の近くで遊んでいた子供達のうちの一人だった。
「ユウキ?」
シャルロットよりも二歳年下のユウキ・タウロスだ。ユウキの両親は、シャルロットがいる教会で祈りを捧げる事があり、その際に遊んであげる事もある関係だった。なので、ユウキはシャルロットに少し懐いている。
ユウキはシャルロットを見つけたので駆け寄ろうとする。それだけなら良かった。だが、ユウキはあろうことか横断歩道のない車道を横断しようとしていた。シャルロットは即座に駆け出す。
「馬鹿っ……!」
急に飛び出したユウキの真横から車が走ってきていた。その車の姿がシャルロットからは見えていたのだ。逆にユウキから街路樹で少し見えにくい。加えて、ユウキがシャルロットしか見ていないというのもある。
運転手もユウキに気付いて、即座にブレーキを踏むが間に合わない。
シャルロットは即座に魔力を身体中に満たして思いっきり踏み込み、一気に移動する。だが、それでもユウキを抱いて車道を渡るには時間が足りない。なので、魔素を込めた手でユウキを突き飛ばして歩道に戻した。その際、手に込めていた魔素でユウキの身体を保護する。これで突き飛ばしたユウキが怪我をする事はない。
だが、先程までユウキが居た位置にシャルロットが留まる事になった。車はシャルロットの目前まで来ていた。ゆっくりと流れる時の中で、シャルロットは運転手と目が合ったような気がした。
魔素を使えば、車程度であれば破壊は簡単だ。だが、そうなれば運転手が死ぬ。
もう一つの方法としてシャルロットが車を受け止めるという方法があるが、突き飛ばした体勢から、受け止める体勢に移る時間はない。
(間に合え……!)
シャルロットが魔素で身体を覆おうとしたのと同時に車が接触し、大きく吹っ飛ばされる。三メートル程吹っ飛んだシャルロットは、地面を転がっていって止まる。
「お、おい!! 大丈夫か!?」
車が止まったのと同時に運転手が慌てて飛び出してくる。ユウキは、目の前で起こった事を理解しきれず困惑していた。
そんな中、シャルロットは朦朧とする意識の状態で地面に手を付いて上体を起こす。視界が揺らぐのと同時に耳鳴りがしていた。
(……耳がおかしい……頭を打ったかな……ユウキは……)
シャルロットは、突き飛ばしたユウキを確認する。段々とクリアになっていく視界の中で、他の歩行者が気付いてユウキの近くにいるのが見えたので、シャルロットは安堵した。
「だ、大丈夫なのか!?」
運転手はシャルロットに駆け寄る。それと同時に立ち上がったシャルロットの頭から血が落ちる。それを見た運転手は、携帯電話を取り出す。
「す、すぐに救急車を呼ぶからな! 座って待ってろ!」
「あっ……大丈夫です……」
ようやく耳がちゃんと聞こえるようになったシャルロットは、救急車を呼ぼうとした運転手を止める。運転手は困惑した表情でシャルロットを見る。
「いや、だけどな……」
「大丈夫です……回復魔法が使えるので……それより車は大丈夫ですか? 凹んじゃったりしてません?」
シャルロットは回復魔法で身体の怪我を治しながら、自分を轢いた車の状態を気にする。魔素による防御はあまり間に合ってはいなかったが、僅かに防御出来ていたため、車への負担が大きくなっていたはずだったからだ。
運転手は、自分よりも車を心配するシャルロットに更に困惑する。
「轢いたのは俺だ。そんな事を気にしないでくれ。そんな事よりも本当に大丈夫なのか?」
「はい。ほら、もう血は止まったでしょう?」
シャルロットはそう言って怪我をしていた場所を見せる。シャルロットの言う通り止血はされており、傷も少しずつ塞がっていた。それはシャルロットが回復魔法を使っている事を物語っている。
「あの子は知り合いなので、私からキツく言っておきます。ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
「いや、だから、君が謝る事じゃなくてな……どちらかと言えば、俺が謝る方なんだ。本当に申し訳ない」
「はい。許します」
シャルロットが即答するので、運転手は面食らっていたが、シャルロットは運転手に頭を下げてユウキの元に向かっていった。
「ユウキ!」
シャルロットの怒声を聞いて、ユウキは肩を縮こまらせる。だが、それで甘やかす程シャルロットも甘くはない。悪い時には悪いと叱る。それがリーシェルから受け継いだものだ。
「急に車道に飛び出したら危ないでしょ! しかも、横断歩道すらない場所を! あのまま車に轢かれていたら死んでいたかもしれないんだよ!? 分かってるの!?」
「う、うん……ごめんなさい……」
ユウキは涙混じりに謝る。それだけでも反省をしているという事はある程度分かる。だが、それでもシャルロットは顰め顔をやめない。
「ま、まぁ、この子も反省している事だし……」
ユウキに寄り添っていた通りすがりの女性がシャルロットの剣幕に少し宥める。それを受けて、シャルロットは深く息を吐く。
「はぁ……怪我はない?」
「う、うん……」
シャルロットの魔素により守られていたので、ユウキには一切傷がない。それが分かっていても、万が一という事もあるので確認はしなければいけなかった。
「なら良かった。次から絶対に車道に飛び出さない事。毎回私が助けられるわけじゃないって事を覚えておいて。自分の身を自分で守れないのなら、ちゃんとルールを守って安全に過ごしなさい。分かった?」
「う、うん……ごめんなさい……」
「全く……お父さんとお母さんは?」
「家」
「取り敢えず、家までは送ってあげるから。ユウキに寄り添って頂いてありがとうございました」
シャルロットは、ユウキに寄り添ってくれていた通りすがりの女性にお礼を言って深々と頭を下げた。ユウキとそこまで変わらないシャルロットがそんな風に振る舞うので、女性は少し困惑しながらも両手を横に振る。
「い、いや、偶々通りがかっただけだから。それじゃあ、お姉ちゃんを心配させないようにね」
「うん……」
シャルロットがいる事で通りすがりの女性は去って行った。そのまま一緒にいる理由もないからだ。
シャルロットは駐輪場から自転車を取ってきて、ユウキを家まで送る。ユウキの両親に事情を説明すると、深く感謝され、お礼を受け取って欲しいと言われたが、シャルロットは固辞した。
見返りが欲しかった訳では無いのとどちらも無事で済んだのだからというのが理由だったが、それ以外にもここでお礼を受け取ると教会でリーシェルとマザーから何があったのか訊かれる事になって、下手すれば外出にリーシェルなどが同行するようになる。
それはリーシェルに迷惑が掛かる。ただでさえ、育てて貰っているのだから、リーシェル達の仕事の邪魔はしたくないと考えていた。
取り敢えず、魔法を使って転がった時に破れた服を繕う。そうして目立つ証拠をけしてから、シャルロットは教会へと帰っていった。
「ただいま」
「おか……ん?」
教会の入口で落ち葉などを掃除していたリーシェルは、シャルロットをジッと見る。
「喧嘩でもしたの?」
「へ? 何で?」
「靴」
「靴?」
シャルロットは靴に視線を落とす。すると、白い靴紐が一部赤黒く染まっていた。シャルロットは、それが頭部に負った傷から垂れた血だと、すぐに気付く。
(ヤバ……ここまでは気が回らなかった……)
視線を逸らすシャルロットをリーシェルはジト目でジッと見る。どうやっても逃れる事は出来ないと判断したシャルロットは正直に白状した。
すると、リーシェルはジト目をやめて深々と息を吐いた。
「はぁ……全く……ユウキ君が無事だったのは喜ばしい事だけど、シャルが怪我をしていたら世話がないでしょ? まぁ、ユウキ君を叱ったのは良い事ね。次がないと、より良いけど。しばらくは、シャルに付き添った方が良いかな……」
「いや! 大丈夫!」
シャルロットが恐れていた事態になりかけているので、シャルロットは全力で固辞する。それを受けて、リーシェルがジト目に戻る。
「あのね。シャルに怪我をされる事が、私にとってどれだけの心的負担になるか分かる? 私に気を遣ってそう言っている事も全部分かっているのよ?」
「うぅ……だって……」
シャルロットは、何と言えば良いか分からなくなる。初代魔王であった時には、大きな怪我をする事はほぼなかった。本当に大怪我をした時は、聖剣による攻撃を受けた時くらいだろう。そのため、ここから切り抜ける良い方法など思い付くはずも無かった。
困っているシャルロットを見て、リーシェルは深々とため息を零す。
「はぁ……まぁ、良いわ。とにかく、シャルの事を心配する人もいるって事を忘れない事。良い?」
「う、うん」
頷くシャルロットにリーシェルは優しく微笑んでから、頭を優しく撫でた。大切な妹が大怪我をしたかもしれないと知って、リーシェルが心配しない訳がない。シャルロットは、その事を改めて認識した。