教典の記述
現代の人間が知っているはずのない情報を口にしたイグナイア枢機卿を、シャルロットは訝しむ。
「勿論。この考えは、マザー・ユキムラから聞いた訳でもシスター・リーシェルから聞いた訳でもない。その辺りは安心してくれたまえ。初代魔王キティルリア・リリア・リルスリア。この名前は、教会の中でも極僅かの限られた人物しか知らない。それこそ教皇とそれに近しい枢機卿のみだ。そして、その枢機卿の中でも知っているのは、私だけだろう。
この教典は現在私が所有している。内容は、人類の汚点と過ちだ」
シャルロットは、マザー・ユキムラの方を見て確認する。その視線に気付いたマザー・ユキムラは首を横に振った。それは、イグナイア枢機卿が嘘を言っているという意味ではなく、自分は知らないという意味だ。その事から修道院などには伝わっていないという事が分かる。
「ひとまず、続きを聞かせて頂いてもよろしいですか?」
「分かった」
シャルロットは否定も肯定もしない。今は、その教典というものが実際に初代魔王キティルリア・リリア・リルスリアの事を言っているのか確認するべきだと考えたからだ。
「この教典は、先も言った通り、人類の汚点と過ちを記したものとなっている。ただし、これはほとんどの者は読んでいない。これが教会本部に残っている事がそれを証明している」
「それを表に出せば、即座に焼かれるはずだから」
「その通り。かつて、人間と魔族は、共に暮らしていた。しかし、人間が魔族を裏切り殲滅しようとしたらしい。その中で、魔族の頂点に立っていたのが、初代魔王キティルリア・リリア・リルスリアだった。キティルリア・リリア・リルスリアは、魔族と人の共存を望み続けた。しかし、それを人間側は拒み続けた。そして、キティルリア・リリア・リルスリアが参戦した戦場にて人間の死者数は、他の戦場よりも遙かに少なかったという。
しかし、人間が狩った戦場もなかった。初代魔王キティルリア・リリア・リルスリアが敗れたのは、初代勇者との戦いのみだった。その後、魔王討伐の報酬として魔族との共存を望んだ初代勇者も人間の手により殺された。共存を望む相手を拒み、立役者すらも拒絶する人間の醜さが表れている」
その内容は、シャルロットが知っている内容に加えて、ラスティーナから聞いた内容だった。ラスティーナが口にした事だからこそ、それが真実であり、その真実が教会の教典の一つに載っているという事が本当だと分かる。
「キティルリア・リリア・リルスリアという名前を、アコニツムに現れた魔王が名乗った。その重さを理解しているのかしていないのかという問題もあるが、そもそもその名を魔族が全員共有しているのかというのもある。私は初代魔王キティルリア・リリア・リルスリア本人が生き返ったのだと考えている。そのために中央大陸でダンジョンを調べさせたが、そこに変化はなかった。その事もあり、アコニツムに調査に行きたいと考えていたところにマザー・ユキムラから手紙を受け取った。これが私がここに来た理由の一つになる。そして、ここまでの中で君の噂を改めて聞き、君が初代魔王キティルリア・リリア・リルスリアではないかと思ったわけだ。
私は初代魔王キティルリア・リリア・リルスリアと敵対したいとは思わない。あの教典を読んだ以上、人間と魔族の共存は可能であり、そうするべきと思っているからだ。なにせ、君がその気になれば、簡単に人間を滅ぼせるのだろう?」
「…………」
イグナイア枢機卿の確認に、シャルロットはすぐに返事をしなかった。
(どう返事をするべきかな。イグナイア枢機卿は、完全に私をキティルリアだと確信している。その証拠が揃っているわけじゃないけど、状況証拠や私の体質から説明が出来ちゃう。イグナイア枢機卿は口では、私の理想に協力すると言っている。これを本当に信じて良いのか……マザーが信頼しているっていうのは、私にとっては、大きな要素になるけど)
シャルロットは、ラスティーナの前に魔素を送って文字を作る。この文字は、人間には見えない。魔族ならではの秘密のやり取りだ。
『信用して良い?』
『言葉に嘘偽りはなさそうです。加えて、マザー・ユキムラが信用しているという事などを含めると、信用して良いかもしれません。ただし、あまり信用しすぎるという事はないように』
『私がキティルリアって事は?』
『今後の予定が大きく変わる可能性もありますが、ここで否定したとしても、相手が信じるかどうか。魔王様の判断に委ねます』
この会話は、大体十秒程で終わった。二人の伝達速度と理解速度が早いためだ。
「確かに、私が本気で人間を滅ぼそうと思えば、滅ぼせると思います。それが今の私でも」
「という事は……」
「はい。私がキティルリア・リリア・リルスリア。初代魔王にして、今代の魔王を名乗る人間です」
「詳しいところをお聞きしても宜しいですかな?」
イグナイア枢機卿は、口調を改める。相手が本当に魔王だと分かったからだ。
「魂がキティルリアのものとなっています。私の魂は、人間の中で修復されていき、現在人間の魂の力である聖女の力と魔族の魂の力である魔素が共存している状態です。元々千年以上生きている魔族であるため、魔素の扱いは長けています。それが人間でありながら魔素を扱える理由です。
私の目的はあの頃から一つも変わりません。人間と魔族の共存。元々あった世界を戻す事です。人間の魔族に対する認識と魔族の人間に対する恐怖を変える。それが大事です」
「同意見です。キティルリア・リリア・リルスリア様は」
「あ、名前全部言わないで大丈夫です。そんな無礼とかはありませんので。キティルリアが名前。リリアは一族の名称。リルスリアは家名です。ですので、キティルリアだけで十分です」
「配慮痛み入ります。キティルリア様の件は、教皇猊下と共有しても宜しいでしょうか? そうすれば、こちらとしてもキティルリア様に協力がしやすくなります」
「そうですね……教皇を知らないので何とも。そこまで協力して教会にメリットがあるのでしょうか?」
「正しき世を作る。それが教会のやるべき事です。その正しき世とは、悪しきを挫く事。その悪しきとは魔族とは限りません。世を乱す存在となります」
「それが魔王なのでは?」
「それは世間一般の認識です。その認識を変える必要があると考えます。私と教皇猊下は、どうにかそれが出来ないか何度も話し合ってきました。その最後のピースがキティルリア様となります」
「なるほど。マッチポンプですか」
ラスティーナがすぐにイグナイア枢機卿の考えを読み取る。
「それって、わざと騒ぎを起こして、私が解決するようにするって事?」
「はい。そうすれば、簡単に魔王様が人間達を助けようとしているというようにする事が出来ます」
「…………いや、駄目」
この案をシャルロットは却下した。
「わざと人に被害が出る事は駄目。それがバレたら一気に信用を失うし、そもそもそれで被害を受ける人を出したくない」
「そうですか……キティルリア様が教典にあるような方だという事がよく分かりました。では、他の方法を探す事にしましょう」
イグナイア枢機卿は、キティルリアが教典にあった通りの人物だと分かり、内心安堵していた。
シャルロットにとって有用な味方が増えたと考えられるが、シャルロットには、まだ完全に信用出来ない理由が存在した。




