マザー・ユキムラ
壁から降りたシャルロットは、自転車を漕いで教会へと戻る。日が暮れ始めているので少し急いで漕いでいた。魔力で身体強化をしているため坂道をすいすいと上がっていく事が出来る。すぐに教会へと着いたシャルロットは、自転車を停める。すると、教会の近くで遊んでいた子供達が帰っていくところだった。
「シャルロットちゃん! またね!」
その内の一人が手を振る。
「もう暗くなるから気を付けて帰ってね!」
『は~い!』
シャルロットは子供達の返事を聞いて、小さく笑いながら裏に回っていく。
この時間帯では、教会も基本的に閉まっているので、裏口から居住スペースに入っていく事になる。
「ただいま」
「おかえりなさい。手を洗って鞄を置いてきなさい」
シャルロットを迎えてくれたのは、リーシェルではなくマザー・ユキムラだった。白髪の老婆で、柔和な笑顔が特徴的だった。シャルロットの養母である。
リーシェルは台所で夕食を作っている。
「うん。マザー」
シャルロットは言われた通りに手を洗ってから、二階の自室に荷物を置いて戻ってくる。その頃には、リーシェルが夕飯を作り終えて並べ終えたところだった。今日の夕食は、シチューとパンだ。
席に着くと、リーシェルとマザー・ユキムラが祈りを捧げるので、同じようにシャルロットも祈りを捧げる。シャルロットからすれば祈る先の神などいないのだが、形だけでも合わせておこうという事で同じように祈っている。
「いただきます」
『いただきます』
マザー・ユキムラの挨拶に合わせてシャルロットとリーシェルも挨拶する。そうして夕食を食べ始めた。
「そういえば、定期検診はどうだったの?」
食べ始めてから少しして、リーシェルが口の中の物を飲み込んでから訊く。帰ってきた時には夕食の用意をしていたので聞く事が出来なかったためだ。
「問題ないよ。もう定期検診も終わりで良いって。違和感があれば行くって感じ」
「まぁ、十年も何もなければそうなるわよね。そもそも定期検診も前例がないから記録用みたいな意味合いもあっただろうし」
「良かったわねぇ」
「うん」
リーシェルもマザー・ユキムラもシャルロットの身体に異常がない事を素直に喜んでいた。魔素を持つ人間はシャルロットが初めてなので、自身から溢れかえる魔素がどんな影響を与えるのか心配だったからだ。
「そういえば、勇者と魔王の調べものは順調なの?」
マザー・ユキムラもシャルロットが図書館で本を借りている事は知っているので、シャルロットが何を勉強しているのかある程度把握していた。
「うん。知りたい内容は知れたかなって感じ(まぁ、初代魔王と勇者に関するものは嘘ばかりだったけど)」
「そう。良かったわねぇ」
「結局何を知りたかったの?」
リーシェルも調べている内容は知っているが、その目的は詳しく知らなかった。調べものを終えたという事なので、深く聞いても良いだろうと考え訊いていた。
「う~ん……勇者と魔王の存在についてかな? 初代魔王は最初から魔王だったけど、初代勇者は最初から勇者じゃなかったみたいだから、今の勇者とはちょっと違うでしょ?」
「ああ、何だったかしら? 確か初代は聖剣を手にして魔王を倒したから勇者と呼ばれるようになったのよね。それで、今ではただ聖剣に選ばれた人を勇者と呼ぶのよね。
でも、今の聖剣って、初代が持っていた聖剣と同じような聖剣なのかしらね。聖女が祈りを捧げる事で出来るみたいだけれど、下手したらパフォーマンス用とかもあり得るわよね」
「そういう事を言うものじゃないよ。初代の聖剣は、初代魔王の身体をダンジョン奥深くに封じているのだからねぇ。今もお役目に付いているのさ」
シャルロットも確認は出来ていないが、最後に覚えているのは聖剣が身体に刺さった状態だったという事だ。身体を癒しているはずなので、聖剣が外れていてもおかしくはない。だが、そこには何の確証もなかった。
「結局ダンジョンの最奥には誰も入った事がないんでしょ? 本にも書いてあったよ。だから、初代魔王の身体を封印しているとは限らないんじゃない?」
「封印していないとすれば、初代魔王の身体が動いているはずじゃないかい? かつての魔王は、少なからず恨みを抱いているはずだよ。その復讐に動くと思うけどねぇ」
マザー・ユキムラの言葉に、シャルロットは内心苦笑いしていた。魂は復活して復讐しようとしていたからだ。
「結局今の聖剣は本物なのですか?」
リーシェルは、そこが気になったのでマザー・ユキムラに確認する。リーシェルは、教会に入っているだけで、聖剣や勇者の信奉者ではない。なので、見た事のない聖剣に懐疑的になっていた。
「そうだねぇ……勇者が戦っているところを若い頃に見た事があるけれど、あの剣は機能していたと思うよ。強い聖なる力を感じたからねぇ……ただ……」
「ただ?」
リーシェルは続きを促す。ここで止められると続きが気になって仕方ないからだ。
「聖なる力の奥に淀みのようなものも感じたねぇ……今思えば、シャルロットの身体にある魔素と似ているような感じだったかもしれないねぇ」
「魔素? 聖剣なのにですか?」
「逆に聖剣だからこそかもしれないよ。聖女の祈りにより完成する聖剣は、魔素を断ち切るための剣。魔素を切る度に、魔素を蓄えるのかもしれないよ」
「ああ、なるほど」
マザー・ユキムラの考えにリーシェルは納得する。それを聞いたシャルロットは、少しだけ眉を寄せていた。本当に些細な変化だったが、マザー・ユキムラとリーシェルは、すぐにそれに気付く。
「どうかしたのかい?」
「え? あ、ううん。何でそんなものを用意してまで、魔族を排斥したいんだろうって思って」
シャルロットは適当に誤魔化すつもりだったが、つい本心の一部が出てしまった。それだけ抱いている嫌悪が強かった。
「どうしてだろうねぇ。魔族と人間。違いなんて些細なものさ。魔素を持つか持たないか。角があるかないか。それで言えば、魔素を持つシャルロットは魔族に近い事になる。でも、シャルロットは人間だろう? 人間だって見た目に違いはある。エルフなんかは耳が尖っているしねぇ。それを考えると、本当は明確な差なんてものはないのかもしれないねぇ」
「そもそも今の時代魔族を見た事がある人の方が少ないし、魔族を本気で排斥したいと思っている人なんてほぼいないんじゃない? 見た事がないものは、そのまま存在そのものが怪しいってなるでしょ?」
「でも、本には、何回も魔王が現れて勇者が倒しているって書かれてたよ?」
「魔王の登場までの感覚が長いし、プロパガンダなんじゃない? 魔族への憎悪を煽っていた方が、この国にとって都合が良い何かがあるとか。私はまだ魔王が出たとかは聞いた事がないけど。マザーは知っていませんか?」
自分達よりも長く生きているマザー・ユキムラなら何かを知っているのではと思ったリーシェルが訊く。
「そうさねぇ。私が生まれる前に魔王自体は現れたと聞いた事があるよ。でも、見た事はないねぇ。もう討伐されていたようだから。ただ、幼い頃に魔族には会ったよ」
「えぇ!? 初耳ですが!?」
マザー・ユキムラの聞いた事がない過去話にリーシェルは驚いて目を大きく開いていた。対して、マザー・ユキムラは優しげに笑う。
「随分昔の事だからねぇ。あの頃は私もやんちゃなものでねぇ。街を抜け出して森に入ったりしたものさ」
「やんちゃのレベルを超えていると思いますが……」
戦闘力を持たない子供が街の外に出るのは、ほぼほぼ命を捨てる行為だ。なので、リーシェルからすれば、それはやんちゃというレベルではなく、完全に馬鹿な行動という風にしか思えなかった。
「当時から魔法は使えたからねぇ。そこら辺の魔物なら相手じゃ無かったのさ。その辺りはシャルロットと同じだねぇ」
「えっ? シャルも抜け出しているの?」
「えっ!? いや!?」
唐突に矛先がシャルロットに向いてきたので、シャルロットは驚きながら首を横に振った。実際、シャルロットは街から抜け出した事はなかった。街の外を無闇に捜索するよりも、街中で情報を集めたいと考えていたからだ。
マザー・ユキムラは、そのまま話を続ける。
「抜け出した森の先で、足を挫いてしまってねぇ。回復魔法は使えなかったから、困り果てていた時に魔族の女性と遭遇したのさ。巻き角の女性でねぇ。私を見てすぐに戦闘態勢を取ったけれど、私が子供だと気付くと困った顔をしていたよ。
周囲を見回して誰もいない事を確認してから近づいて来る用心深さだったねぇ。私を怖がらせないようにか、優しく話し掛けてくれて、そのまま治療までしてくれたのさ」
「世間一般で言われている魔族像とは違うじゃないですか」
「そうさねぇ。実際に魔族を見た人はどんどんと減っている事に加えて、そもそも植え付けられている魔族への印象があるからねぇ」
「ねぇ、マザー。その魔族ってまだ森に住んでる?」
シャルロットは、少し期待しながらマザー・ユキムラに訊く。もしこの近くに魔族が住んでいるのであれば、あれから魔族がどうなったのか本人達の口から聞けるからだ。
「そうさねぇ。何十年も前の事だからねぇ。寿命が長い魔族なら、時間感覚的にいてもおかしくないけれど、ご時世がご時世だからねぇ。多分いないと思うよ。あれから一度も会っていない事だしねぇ」
「そっか」
シャルロットは少し残念に思いながら、夕食を食べていく。リーシェルは、そんなシャルロットを気にしながら夕食を食べ進めていった。