転生した魔王
人間の国パラディス。この星ステルラにおける人間の唯一の国。その広さはステルラの大陸五つに広がる。大陸は中央大陸、北大陸、東大陸、南大陸、西大陸の五つ。
その中の東大陸の辺境にある街アコニツムにて、一人の女の子が産まれた。それから一ヶ月もしないうちに、街の一部を飲み込んだ火災に巻き込まれる。
死者数百人を出したこの火災の中で、唯一の生き残りがその女の子だった。生き残った黒髪赤い瞳の女の子シャルロットは、街の教会にて奇跡の子として育てられる事になった。
それから十年。シャルロットは、自分にあてがわれた部屋にある机に突っ伏していた。
「はぁ……どうしてこうなった……」
嘆くシャルロットの周りには本が置かれている。その内容はどれも勇者と魔王に関するものだった。
「変わりすぎだろう……世界……」
シャルロットの目には絶望が滲んでいた。それは自身の記憶にある世界と今暮らしている世界の違いが明確に理解出来てしまったからだった。十年で世界が変わったわけではない。シャルロットが覚えている世界が、何千年も前のものだったのだ。
何を隠そうこのシャルロットは、初代勇者に倒された初代魔王その人だった。
勇者に敗れ自分の魔素で身体を保護して復活の時を待とうとしていた。だが、聖剣による傷は身体だけでは無く魂も傷付いていた。魔王は魂と身体を分離して、それぞれで治療をしていた。
だが、ここで魔王も想定外の事態が発生していた。それは魂が身体の傍からも離れていき、人の身体に入り込んでいた事。その魂は次々に世代を渡って受け継がれていき、完全に回復した現在シャルロットとして目を覚ましたのだ。
「科学……機械……街の発展はこれのおかげか。魔法を捨てたわけじゃないから、魔法に関する研究も進んでる……のかな? 見た感じ私達が使っていたものと遜色ない……いや、あの頃の人間は魔法についての理解が浅すぎた。ようやく追いついたという事なのかな……」
シャルロットは、この十年で調べられた内容を頭の中で反芻する。そうして現状をしっかりと把握した上で、今後自分がするべき事を考えていた。
(魔力の問題はない。前の身体の十分の一だけど、人間で見れば異常な量の魔力を持っている。それに……)
シャルロットは自分の正面に手を出す。そして、そこから黒い魔素を出した。
(人間でありながら魔素を体内に保有し、自由に操る事が出来る。それに、こうして普通に見る事が出来る。つまり魔素を見る事や操る事が出来るのは、魂由来の力か。これが有れば憎き人間の王へ復讐出来る。王が今も生きていればの話だったけど……)
魔素を霧散させたシャルロットは上体を起こして、本を集めて鞄に入れていく。十冊以上も入った鞄を背負いながらも、シャルロットは平然とした顔をしていた。これは魔力を利用した身体強化により力を底上げしているからだった。
教会の二階にある自室から一階に降り、外に出たところで紺色の修道服を来た修道女がシャルロットに微笑む。
「これから図書館?」
彼女はリーシェル・ヴァナザット。シャルロットと同じく教会に住んでいる。シャルロットにとっては姉のような存在だ。
「うん。本返しに行ってくる。途中で診療所にも寄ってくる」
「分かったわ。遅くならないようにね」
「は~い。行ってきます」
「いってらっしゃい」
シャルロットは、自転車に跨がって教会を後にする。小高い丘にある教会。その下り坂から見えるアコニツムの街並みを横目で見ていた。
(十年過ごしても違和感が強いな……)
自然は少なく道路は、アスファルトで舗装されている。高い建物が乱立しており、シャルロットは当初城の塔と思っていた。
「ビル……ドラゴンに襲われない高さにしているって話だけど……」
違和感を覚えているシャルロットだが、一つだけ安心出来るものがあった。だが、その安心もビルに比べたらの話だ。
「壁はいつの時代でも存在する。コンクリートだっけ? 外側は他にも金属とかで覆っているらしいけど……」
魔物からの襲撃を防ぐための壁。これは数千年前から存在した。壁を新しく作るのに何十年も掛かるため、発展が遅れているのは壁のせいという話も出ていたくらいだ。
「今じゃ魔法である程度工程を無視出来るから、数年で完成するんだっけ。技術の発展。恐ろしいものだなぁ。はぁ……何に復讐すれば良いんだ……」
発展している人間達の都市。それでもシャルロットからすれば、壊滅させるのは容易と考えられた。それだけ魔王としての力は圧倒的であるからだ。だが、シャルロットが復讐したいのは、人間全体じゃない。
魔族との関係を一気に拗れさせた人間の国王。それが復讐対象だったのだ。だが、数千年も経てば復讐する前に国王は死んでいる。ここもシャルロットの計算違いだった。回復は十年もすれば完了すると考えていたのだ。
「悍ましき聖剣……あれの力は私の想定を遙かに超えていた……何が聖剣だ」
シャルロットは吐き捨てるようにそう言いながら、図書館の駐輪場に自転車を止めて図書館内に入る。少し涼しい空気が身体に当たる。過ごしやすい温度を維持しているため、今日の気温だと涼しく感じるようになっていた。
カウンターに向かい、返却本棚に鞄の中の本を入れていく。
「今日は何か借りて行かれるのですか?」
シャルロットの背後から綺麗な声で話し掛けられる。シャルロットが振り返ると、綺麗な青髪をした女性が微笑んでいた。アコニツム市立図書館司書のセリエ・キーランだ。何度も図書館を利用しているので、シャルロットとは顔馴染みになっている。
「いえ、今日はやめておきます。あまり部屋に籠もりすぎるとシスターとマザーが心配するので」
「それは仕方有りませんね。では、またお越し頂けるのをお待ちしております」
「はい。それじゃあ、失礼します」
シャルロットは軽く頭を下げてから図書館を後にして、自転車で診療所へと向かう。マギア診療所に着いたシャルロットは自転車を停めて中に入る。すると、すぐに受付の看護師のユイ・ミルクンが気付いて手を振る。ピンク色の髪をお団子に纏めている女性だ。そして、何よりも子供のシャルロットが持ち合わせていない立派なものを持っている。
「あっ! シャルちゃん。こんにちは。定期検診で良いのかな?」
「はい。お願いします」
シャルロットは、鞄から診察券を出して渡す。そうして待合室で待とうとするのと同時に診察室の扉が開いた。中から出て来たのは、ウェーブが掛かった金色の長髪と碧眼の美女だった。だが、その容姿で一番特徴的なのは、尖った耳だ。人間の中でも長命種に入るエルフ族のイリス・マギアだ。
「入って良いわよ」
「はい」
診療室に入ったシャルロットは、鞄を荷物置きに置いて椅子に座る。そこで心拍等の検査をされた。
「身体の調子は?」
「変わりません」
「ふむ。十年も何もないとなると、本当に魔素が身体を害していないようね」
シャルロットが魔素を持っている事は既に多くの人にバレている。これは奇跡によって生還した結果、魔王により呪いを掛けられたという風に言われている。つまり、シャルロットは奇跡の子であると同時に呪いの子とも呼ばれていた。だが、それは蔑みなのでは無く憐れみの方が強かった。
「案外シャルちゃんは初代魔王の生まれ変わりだったりしてね」
「あはは……(当たってる……)」
シャルロットは、イリスの鋭さに内心苦笑いしていた。
「冗談はさておき、この感じなら定期検診の頻度を一ヶ月に一回に減らして大丈夫そうね。まぁ、心配だったら、多く来ても良いから」
「はい。ありがとうございました」
「ええ。気を付けてね」
「はい」
会計を済ませたシャルロットは、腕時計で時間を確認してから自転車を漕ぎ出す。そうして向かう先は、街の外周を覆っている壁だった。
その壁の傍に自転車を停める。
「おう。シャルちゃん。また上るのか?」
監視員がシャルロットに声を掛ける。
「はい。まだ時間大丈夫ですよね?」
「ああ。後一時間だから、なるべく早く降りるんだぞ」
「は~い」
シャルロットは壁に付けられている階段を駆け上がっていく。壁の高さは大体五十メートル程。普通に歩いて上るのも億劫になる階段をシャルロットは平然と走って上る。
「若いって良いな……」
自分には出来ない事をやっているシャルロットに監視員は遠い目をしていた。監視員が仮に若くても同じ事は出来なかっただろう。監視員にそんな時代はなかった。
そんな監視員に見守られながら上りきったシャルロットは壁の上に立つ。その欄干に手を付いて外を見る。
壁の外には内側とは比べものにならない程の自然が広がっていた。内側の発展が嘘に思える程の自然。それは人間が安全に活動出来る範囲が壁の内側だけだという事を表していた。
「どれだけ発展しても魔物の脅威はなくならない。それに……」
シャルロットは視線を街の外から内側に向ける。視線の先には、発展している区画とは真逆の区画があった。スラムと呼ばれる貧困層が暮らす場所だ。どれだけ発展していても、全ての人間が同じように暮らせている訳では無い。少なからず格差が生まれており、その差はシャルロットが知っているものよりも広がっていた。
「全てを平等に……そんな理想を掲げたかつての王が見たら卒倒するかもしれないね……」
シャルロットは、かつて同じ理想を思い描いていたかつての王を思い出していた。その王が崩御し、新しく王となった人物こそが、魔族と人間の関係を決裂させた張本人。シャルロットが復讐するべき対象だった。
「私がやるべき事……そうだよね。人間も魔族も関係ない。大きく広がった格差を戻して、魔族を排斥しようとする現状を打破する事。直接的な復讐が無理なら、奴が掲げたゴミみたいな理想をねじ伏せて復讐してやる!」
そう決心してシャルロットは、自分の手を胸に当てて目を瞑る。決意をかつて同じ理想を描いた王に誓う。それと同時にシャルロットの手に金色の光の粒が纏わり付く。だが、シャルロットが目を開ける直前に霧散したので、シャルロットはその存在に気付く事はなかった。