議員の娘
そうして、過ごしていくうちに夏がやって来た。陽射しが強まり、気温が上がっていた。その中でシャルロットは、自転車を漕いでいた。サイクリングをしている訳では無く、ただのお使いだ。
「暑……」
今の身体で十回目の夏だが、この暑さにはシャルロットも参っていた。シャルロットが暮らしていた過去には、ここまでの暑さにはなっていなかったからだ。
「暑い……早く終わらせて、空調の効いた教会に帰ろ」
そんな事を言いながら安全な速度で自転車を漕いでいるシャルロットは公園の前を通っていく。
「あら? シャルロットじゃない」
公園内から態々シャルロットに聞こえるような声量で、シャルロットと同年代の少女の声が聞こえてきた。シャルロットは、あからさまに嫌そうな表情をしながら止まって、公園を見る。
「うげ……レベッカ……」
そこにいたのは、金髪の綺麗な髪と碧眼の少女だった。長い髪を後ろでポニーテールに纏めている。レベッカ・ブレイバー。初代勇者の血を引いていると言われている家系であり、アコニツムの市議会議員の娘だ。シャルロットとは、小さな頃からの知り合いだが住んでいる場所が遠い事などから出会う事自体が少ない。
「人の顔を見て、「うげ」だなんて失礼だと思わないの?」
シャルロットの反応が気に食わないレベッカは、態々近づいて来てから腕を組んで眉を寄せながらシャルロットを見る。
「これまでのレベッカの行動が原因だと思わな……いか」
「何よ。何か文句でもあるなら言ってみなさいよ」
「いや……普通は人の事を親なしとか言わないから。態々からかうような声音でね。別に好きで親がいないわけでもないし。そういう事で煽ったり、馬鹿にしたりする事自体が良くないんだよ。敵でもないならね」
「べ、別に馬鹿にしたわけじゃ……それに敵でも……」
レベッカの言葉は尻すぼみになっていく。声と同時に目を逸らしながら軽く地面にある小石を蹴る。若干距離があるので、周囲の車の音も合わさって、シャルロットにはあまり聞こえなかった。
「じゃ、じゃあ、私の家に来なさいよ。あなたの教会よりも広いし涼しいわよ!」
「いや、お使い頼まれてるから。後、そういう他人を見下すような言動は控えた方が良いと思うよ。人によっては不快に感じるから。相手が私じゃなかったら、喧嘩になってもおかしくないし」
元々が長く生きた魔族であり平和主義なシャルロットは、こうした子供の言動には、面倒くさいとは感じるが対応的には寛容だった。他の人に迷惑を掛けたり、自分の命を危うくするような行動には、ユウキにもしたように叱るが、こういう時は基本的に諭す。
レベッカは、何かと自分を上げ他人を下げるような言い方をしており、それが年々酷くなっているように感じたシャルロットは、一度しっかりと言っておこうと考えて伝えた。
「友達を作りたいなら、ちゃんと相手と対等になれると良いね。相互理解が一番重要だよ。まぁ、それが簡単に出来れば世話ないんだけど……」
シャルロットは過去の愚王を思い出して苦い顔をした。かの愚王とは相互理解を得られるように何度も話し合いの申請をしたにも関わらず、一切返事はなかった。返事代わりに行われるのは魔族に対しての侵攻だ。
相互理解も相手が応じなければ、何も意味が無いという事を改めて思い出したが故の苦い顔だった。
「何かあったの?」
シャルロットがそんな表情をするところを見た事がないレベッカは、少し心配そうに訊いた。それに対して、シャルロットはいつもの表情に戻る。
「いや、別に。昔、全く上手くいかなかったなぁって思っただけ。じゃあ、お使いあるから。また今度ね」
「あ……」
自転車に乗って段々と離れていくシャルロットの背中にレベッカは手を伸ばした。だが、その手は力無く落ちていき、自分の胸に持っていく。
「だって……仕方ないじゃない……そうあれって……」
レベッカの小さな呟きは、シャルロットに届くはずもなく、ただ地面に吸い込まれていった。そんなレベッカの前に黒い車が急ブレーキを掛けて止まった。唐突に止まった黒い車をレベッカは訝しむ。
「え? きゃ……」
黒い車から出て来た男達がレベッカの口を押えながら捕まえて車に連れ込む。黒い車の扉が閉まり、そのまま発進する。
急ブレーキ音を聞いて振り返っていたシャルロットはその光景を目撃していた。
「もっと大声で助けを呼べっての!!」
シャルロットは先程のやり取りがあっても、一切何の躊躇もなく自転車を反転させると、全力で漕ぎ出した。
黒い車の中では、レベッカが縄で縛られていた。布を猿轡にして、後ろ手に縛られている。レベッカは暴れて抵抗するが、大人相手では意味もあまりない。
「この……大人しくしろ!」
レベッカを縛っていた誘拐犯がレベッカの頬を殴る。頬に生じる重い衝撃と強い痛みによって、レベッカの心を恐怖が支配する。
(痛い……怖い……何で……どうして……こんな……だって……さっきまで、シャルロットと……何で……)
ただでさえ状況が分からない中で、暴力まで振われた。レベッカが恐怖するのも無理は無かった。大人しくなったレベッカを見て、舌打ちをしながら前を見る。
「これで身代金をたんまりと取れるんだよな?」
「ああ。議員相手だ。金はいくらでもあるだろ」
「へへ……あいつのせいで職を追われて、転落人生だ。このくらいの仕返しは当然だよな……へへっ……」
この犯人達は、レベッカの父がアコニツム全体で事業改革などを促したせいで起こった多くの失職者達の一部だった。新しい職に就こうにも全てが上手くいかず、その責任の全てをレベッカの父に押し付けて復讐する事を誓ったのだ。
その復讐が娘を誘拐しての身代金請求。失った金と失職させられなければ得るはずだった金を奪い取る事が復讐だと考えての行動だった。
「ん? 何だ? はっ! お友達かぁ?」
ニタニタ笑っていた誘拐犯は、バックミラーに映るシャルロットを発見する。自転車で追ってくるシャルロットに冷笑する。だが、どう考えても自転車で出せるような速度を超えているシャルロットを見て、段々と表情が抜けて行った。
「…………」
目隠しをされていないレベッカは、その姿を見て涙を零す。
(シャルロット……!)
軽蔑され、完全に見捨てられたと思っていたシャルロットが自分を追ってきてくれている。そこにどんな理由があるとしても、その事実だけで、レベッカは勇気づけられた。直後、シャルロットは、横から突っ込んで来た車によって吹っ飛んでいく。
それを見た誘拐犯は再びにたりと笑った。
「はっ! こんな少人数だけで計画する訳ねぇだろうがよ!」
もう一人の仲間が携帯を持ちながらそう言う。他の仲間に連絡をして追ってきたシャルロットを事故に見せ掛けて排除するように指示を出したのだ。レベッカは涙を流しながら青い顔になっていた。
(シャルロットが……私の……私のせいで……)
レベッカは自分を強く責めていく。さっきの会話がシャルロットとの最後の会話。それは、レベッカが望んでいるような最後などとは全く異なるものだった。