第1話 魔界四天王の長、復活する。
土の中から這い出るように外に出る。
照りつく太陽が、瞼を焼く拷問器具のように思えた。
「熱い……だが、心地よい痛みだ」
俺様の名前はリグレット、魔界四天王の長であり、魔王ヴェルヘイム様に仕える魔族である。
だが勇者と呼ばれる人間に罠を仕掛けられ、封印されてしまっていた。
それも――80年間。
身体に視線を向けると、自身が裸だということに気づく。
それどころかまるで人間のような体つきだ。
長い眠りのせいで、魔力が剥がれ落ちてしまったのだろう。
それより、流石の魔王様も俺様がいないと苦労しているに違いない。
すぐでも飛んでいきたいが、立っているだけで足がガクガクと震える。
80年も眠っていたのだ。常人なら身体が回復するまで待つだろうが、俺様は違う。
その場にしゃがみ込むと、膝をつき、両手を前に出す。
これは、体幹をしっかりとさせる固定方式だ。
確か人間たちは、このポーズをハイハイと呼んでいたはず。
この方法なら魔法城まで約五時間。だが長い間封印されていた俺様にとって、そんなものは刹那に過ぎぬ。
「魔王様お待ちくだされ、腹心リグレット、すぐに駆けつけますゆえ!」
◇
「と、到着か……はあはあ……」
計算通りの五時間で辿り着く事ができたが、既に満身創痍だ。
思っていたより体力が低下しているらしい。膝がボロボロで小僧が痛い。
魔力で服を精製しようとしたが、どうにもうまくいかないので、道端の葉っぱで陰部を隠している。
俺様たち魔族は、空気中に漂う悪意を魔力に変換するのだが、80年前より少ない。
もしかすると……いや、魔王様が負けるわけがない。
俺様の眼前にあるのは、漆黒の城、魔王城。
天まで届くかのようにそびえたつ城、至ところに無数の罠が仕掛けられており、侵入は不可能。
だったはずだが……。
「な、なにがあったのだ……」
今はなぜかピンク色で、安心感に溢れている。
同時に甘い匂いが漂っていた。それに、人間どもが好きだった動物の絵が沢山描かれている。
これは確か「にゃん」と鳴く生き物だ。あれは「ぱおん」ではないか?
何か変化が……いや、魔王様は天才だ。
これも人間を油断させる新たな罠なのだろう。
安心感を誘っておいてそれで……ふふふ、ははは! さすが魔王様だ!
だが、入口に書いてある看板が少々気になっている。
『魔王城託児所』
こんなもの書いていただろうか……?
まあ、そんな些細なことはいいか。
ここへ来てから俺様の頬が緩んでいる。
なぜなら魔王様の魔力がヒシヒシと伝わってきているのだ。それに大勢の人間どもの気配も。
そしてそれはお互いに重なり合っている。
おそらく……クックック、魔王様は拷問をしてらっしゃるのだろう。
思わず笑みを零してしまう。俺様も加勢しようではないか。
さあて、魔王様、腹心リグレットの凱旋帰宅ですぞ!
勢いよく扉を開けると、そこに広がっていたのは――色彩豊かな内装だった。
壁も地面も柔らかい素材なのだろう。一目で見て取れるふわふわなクッションが敷き詰められている。
何よりも驚いたのは、人間の赤ん坊が大勢いることだ。
「びええええええええん」
「あ、ボクのとったー!」
「返して、ぼくの魔王にんぎょー!」
な、どういうことだ……一体この光景は……ハッ、あそこにいるのは、魔王様ではないか!?
「よちよち、もうすぐご飯でちゅからねー」
相変わらず恰好良い。頭に生えた赤い角は人間の血を吸いとって赤――あれ黄色になっている?
よく見ると角ではなく、ガラガラと音のなるナニカを付けているではないか。
体に纏うは漆黒のローブなはず――え? なんだあれ? エプロン……か?
「魔王様……どう……したのですか」
「よちよーち――、!? お前、リグレットか!?」
「ははっ! ……すみませぬ、勇者にやられてしまい、80年の間、封印されておりました」
「そうか……よくぞ帰った――痛い、痛いよ、ほっぺつねっちゃだめよ?」
「ばぶ?」
赤ん坊が、魔王様の背中に乗っている。あろうことか、魔王様のほっぺをおつねりしている。
いや、周りをよく見ると、スケルトンの手下どもが赤ん坊や子供をあやしているではないか。
「いったいこれは……どういう状況ですか?」
「ああ、いいかリグレット、時代は変わったんだ。俺たちは、今彼らの面倒を――」
その瞬間、俺様は理解した。
手を前に出し、魔王様の言葉を遮る。
有能な腹心は、1を聞いて10を知る。だがこのリグレットは100を知ることができる。
魔王様は、”人間を育てているのだ”。
赤ん坊は知能が低く、洗脳は容易い。
我らが魔族、もはや人間たちと戦うのですらおこがましいと思ったに違いない。
そして魔王様は――人間同士で戦わせることを思いついた。
流石です。このリグレットの80年間を遥かに超える頭脳をお持ちだ。
俺様がいない間に、底知れぬ悪意を生み出してしまったのだろう。
さっそく俺様も魔王様の力にならねば!
「わかっております。いま理解しました。魔王様は、流石です!」
「いや、だからリグレット今は平和な時だ――」
「みなまで言わないでください。俺様に任せてください」
そして俺は、人間の赤ん坊が集まっている中、右手の平から炎を出した。
キャッキャッと喜びはじめる。簡単だ、実に容易い。
どれ、俺様も100人の軍団を作ってやろうではない――むぐ!?
だがその時、魔王様が俺の手の炎を急いで消す。随分と慌てている、一体どうしたというのだ。
「おいリグレット、魔法なんて出すな! 魔王城は全面魔禁だぞ!」
「……え、魔禁ってなんですか?」
「ほら、消せ! 消せ! 親御さんにバレたらとんでもないことになるぞ!」
「親御さん……魔禁?」
魔王様の視線を見てみると、壁に何か貼っている。
行政機関の指導により、魔王城は全面魔禁となりました――と。
わけがわからない。一体何があったというのだ。
あまりの驚きで、足元がふらつく。視界が――歪む。
「……いいか、落ち着いて聞けリグレット。お前がいない間に、戦争は終わったんだ。……私たちは勇者に敗れた。だが寛大な心で生き延びることができた。魔族は生き方を改め、人間と共存していくことになった。ここは魔王託児所。争いなんてない。時代は変わったんだ。そして私も……今は人間がだいちゅきなんだ。ほら、よちよち」
魔王様の頭から鳴り響くガラガラ音、赤ん坊の悲鳴、戦争は終わったという言葉。
魔界四天王の長、智謀リグレットでも、瞬時に理解することは――到底不可能だったのである。