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第一話 ①

 世界を滅ぼして僕が得たのは分身が一つだけだった。

 手の平の上に乗るほどに小さなそれは産声を上げる代わりに小さく蠢いた。

 眠くて頭がはっきりしない……とにかく使えるようにしようと一気に力を注ぎ込み大きくした。

 感覚の名も知らぬ分身が初めて知ったのは〝痛み〟のようで、涙を流しながらうずくまっていた。

 目には見えぬ操り糸を分身の脳に繋げると痛みを抑えてやる。

 ようやくこちらを見上げた分身に僕は命じた。

 〝この世界を元通りにせよ〟


 見渡す限りの白鈍(しろにび)色の天――その名は〝雲〟と言う。

 与えられた僅かな知識から探し出した言葉を確かめながら、分身は初めて見る景色を(たの)しんでいた。風は銀色の長い髪を乱して吹き去り、後には肌に心地好い冷たさが残る。

 口を開けたままでふわり浮かび、上昇し始めると小さな葉が飛び込んで来た。舌に感じる異物感すら面白く感じながら、丁寧に指で葉を摘まんで取り出すと、口を閉じて一気に飛翔の速度を上げた。

 その身に纏わりつく雲を切り払いながら上へ上へと進む……雲間から幾筋もの光が差す。光芒の中を翔け昇り雲を突き抜けた途端、突き刺さる眩さに驚いて瞼が強く閉じられる。

 やがて目の内側に貼り付いた残像が薄くなり、恐る恐る瞼を開く……鮮烈な、青。

 青――アオ――くて、広、ヒロ、イ――そ、ら、う、み?

 水晶体を満たす青に脳が溺れる。

 波の幻影に、踊る泡に飲み込まれる……全身を凍り付かせ分身は己が身を小さく丸めて抱き締める。

 やがて……どれだけ時が経とうと波が襲い来る事は無く、青く広い、これは〝空〟だと安堵の息を一つ吐く。

 すっかり落ち着いて視界いっぱいの空を眺めやると、もう一つ、息が漏れ出た。白緑(びゃくろく)色の瞳は大きく見開かれたまま……初めて〝美しい〟と感じた空にゆるりと己の身を漂わせる。

 突然、ピリリと()()()()の神経が引き攣れる。痛みに眉を顰めて我に返ると、目的地へと向かい再び飛翔し始めた。


 空の上に広がる〝天神界(てんじんかい)〟――その中央には神々を統べる〝主神(しゅしん)〟の神殿がある。其処こそが〝本体〟に命じられ向かう先。図らずも本体が奪ってしまった神力(しんりょく)を返還する――ただそれだけの、簡単な命令、の筈だった。

 神殿に近付くにつれ、白い霧が現れ始めた……やがてその上空に達すると、霧はさらに濃く深くなり広大なその全容は霞んで見えない。大きな建物が一つだけ、辛うじて目に映った。その瓦葺きの二重屋根を眺めながら降り立つと、石畳の上を音もなく歩く。辺りに神々の姿はおろか、気配すら無い。

 本当にこの世界の神々は滅ぼされてしまったんだな。

 無感動に考えながら、ただ淡々とその建物へと足を運ぶ。何もかもが力を失ったかのように輪郭がぼんやりとして見えた。朱塗りの柱にそっと手で触れ、幻ではない事を確認しながら中へ入る……大広間の奥には壇があり、目指す玉座はその上に設えられてあった。

 その豪奢に飾られた椅子に座す者の姿は無い……暫し低い位置から見上げていたが、主神を探す為、幅広い階段を上る。主が君臨していたであろう椅子の座面には、小さな円形の、錆びた銅鏡が落ちていた。

 この世界の神々は危機を迎えると、〝御神体〟と呼ばれる姿に変化する。

 分身は与えられた知識を反芻しながら、これが主神の御神体か、と手に取った。銅鏡の細工に思わず目を奪われ、じっくりと観察する。

 手のひらに乗せた円い銅鏡の外縁部にはぐるりと雲の紋様が刻まれており、更にその内側には中心を同じくする円が二つ――内側の小円は正方形の線に囲まれ、中心には小山と盛り上がった(つまみ)があり、色褪せた絹糸が通されている。四方の隅にはそれぞれ獣が一匹ずつ彫刻されているのが見て取れるが、半ば朽ちかけて何の獣か判別は付き難い。

 分身は全く急く様子もなく銅鏡を返して表を眺めた。細かくひび割れ、何も映らないまでに曇っている鏡面からはうっすらと神の気配を感じるが、今にも消えてしまいそうに微弱な物であった。

 これに神力を返還すれば命令は果たせる。早く終わらせて、あの美しい天の海を眺めたい。

 肚の底から力を込めると、その身の奥底に貯えられた神気が神力と成り指先へと流れて行く……その膨大な力の奔流を一気に銅鏡へと流し込んだ。主神は本来の神の姿――神身(じんしん)を取り戻し、世界は元に戻る筈……そう考えた瞬間。

 カシュンッ。

 不思議な音を立てて光が破裂した。

 いや、破裂したのは手の中にあった筈の銅鏡……余りにも大きすぎる力の奔流を受け止め切れなかった銅鏡が、粉々に、砕け散ったのだ。

 きらきら輝きながら光が広がって行く様を瞳に映し、分身は茫然とした。

 命じられた通りの手順で作業しただけなのに。

 どうしよう、どうしよう、どうした、ら――

「主神様、ご無事か?」

 突然、背後から掛けられた声にびくりと身を震わせ、振り返った。

 そこに立っていたのは黒い長衣に身を包んだ男――大柄な体躯は逞しく、琥珀色の瞳は真っ直ぐこちらを見ている。黒い結髪は真鍮の冠で纏められ、簡素な長衣の肩口には金糸の刺繍、その腰には冠と同じ真鍮の飾りが付いた革帯が締められている。

 男はそこに立つ姿が探している者ではないと気が付くと、僅かに眉を動かした。大股で近寄って来たかと思うと、少し離れた所でぴたり、動きを止める。

 こちらを凝視し、微動だにしなくなった男に戸惑い、分身はただ見つめ返す。

 誰も居ない筈だったのに。こんな時どう対処したら良いかの指示は貰っていないのに。

 張り詰めた空気の中……一転して男は表情を変え、大きな口でにこやかな笑みを見せた。ゆっくりとした動作で右手の拳を左手で覆い、礼の姿勢を取る。

「済まなかったな、突然声をかけて驚かせたか」

 間近に近寄ると、大きな手で分身の手をそっと取った。

「儂はオオノ神と言うモンだ。お主が何処(いずこ)の女神か、教えてはくれんか?」

 柔らかな声音で問われ、更に分身は困惑して小首を傾げた。

 女神? 誰が? 本体は……男の性を持つのに?

 初めて己の体を意識する……確かに、白い長衣に包まれた胸は豊かに膨らみ、手は重ねられた男のそれよりも小さい。

「……ぶ……し、ん……」

 自分は分身だから何も知らない。そう訴えたかったのだが、初めて言葉を紡ぐという行為に喉が震え、声が掠れた。 

「うん? 何と言った?」

 言葉を良く聞き取ろうと男の顔が間近に寄せられ、肩に手が伸ばされる。

 任務の失敗、予期せぬ闖入者、己が性への違和――立て続けに起きた思いも寄らぬ事態に、混乱の極みに追い詰められた分身は男の手を払い退けた。足元の何かに躓きそうになりながらも、慌てて逃げ出す。

 もう何をどうすれば良いのか分からない……もう一度、命令を貰わないと……

 男が追ってくる様子は無い。来た時と同じ軌跡を物凄い速さで飛び進み、空を眺める余裕など全く失して翔け抜けた。

 黒い雲を抜け、天神界から地神界(ちじんかい)へ……元居た灰色の岩山の、その広く平らな山頂へ降り立つと、何も無い空間に向けて手を翳す。淡い光と共に現れ出た扉がゆっくりと開く……その動作に焦れて、体が通る程の隙間が開いた途端に中へと駆け込む。

 (まろ)びそうになりながら本体の元へ駆け寄る――透明の繭の中で膝を抱えて背を丸めたまま、眠っているように見える。

「僕は……どうすれば良い?」

 震える声で問いながら繭の表面に両手のひらで触れる。途端に、胸の底を虫が蠢くようなざわめきがすぅっと消えた。長い安堵の溜息が一つ漏れる。

 それと同時に心地いい眠気に襲われ、自然とその波に身を委ねて暗闇の中へ意識を落とした……

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