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第9話 猫又の深謀、魔王(少女)の湯浴み

 山崎での勝利と、それに続く京への凱旋。羽柴秀吉の名声は、まさに日の出の勢いであった。「信長様の仇討ち」という大義名分は絶大な効果を発揮し、彼の元には日ごとに多くの兵が集まり、その勢力は急速に膨れ上がっていった。


 秀吉は、その勢いを背景に、情報収集と調略にも抜かりはなかった。


「小六! 光秀にくみしていた連中の動きはどうなっておる! 徹底的に洗い出せ!」

「へい、親分! あっしと小河童どもにお任せを!」


 腹心の蜂須賀小六(大河童)は、その異能の力を存分に発揮していた。彼自身は京の裏社会に張り巡らせた情報網を駆使し、配下の小河童たちは、鴨川や堀川、時には大名屋敷の庭の池にまで潜り込み、生きた情報を集めてくる。


「親分! 筒井の殿さんは、どうやら日和見を決めたようでさぁ!」

「きゅー!(細川様の奥方様が『あんな裏切り者には味方しません!』って怒ってたって、庭の鯉が言ってやした!)」


 集まってくる情報は、秀吉にとって有利なものばかりだった。光秀の敗死により、彼に味方しようとしていた勢力は瓦解し、日和見していた者たちも、雪崩を打って秀吉になびき始めていたのだ。


 ***


 その頃、若狭国。織田家の宿老の一人、丹羽長秀(猫又)は、秀吉や柴田勝家とは別の戦いに臨んでいた。織田家の支配に反抗する、若狭・越前国境付近の一向一揆衆の討伐である。


「……敵の数は、およそ三千。対する我らは千五百。倍の兵力差……か」


 長秀(猫又)は、本陣の床几しょうぎに座り、冷静に戦況図を見つめていた。その黒髪ボブの下の猫耳が、ぴくりと動く。


「長秀様! 敵勢、勢いに乗ってこちらへ向かっております! いかが致しましょう!?」


 血気にはやる若武者が報告に来るが、長秀(猫又)は動じない。


「……慌てる必要はありません。罠は、既に仕掛けてありますゆえ」


 彼女は、力押しを好まない。猫のように、静かに、確実に、相手の弱点を突く。事前に配下の化け猫(?)たちを使って敵の内部情報を探り、兵糧の輸送経路を特定。そして、夜陰に乗じてその補給路を断ち、同時に敵内部の不満分子に接触して離反工作を進めていたのだ。


「……そろそろ頃合いでしょう。全軍、夜襲の準備を」


 その夜、長秀(猫又)の指揮の下、羽柴軍(彼女の部隊)は一揆衆の陣地に奇襲をかけた。補給を断たれ、内部からも切り崩されていた敵は、まともな抵抗もできずに壊滅。長秀(猫又)は、最小限の損害で、見事に勝利を収めたのである。


「……ふぅ。猫は、暗闇と、待つことが得意ですから」


 月明かりの下、静かに呟く長秀(猫又)。その冷静沈着な指揮ぶりと、猫又としての異能を活かした戦いぶりは、彼女が織田家にとって不可欠な「米五郎左」であると同時に、恐るべき策略家でもあることを示していた。この活躍の報せは、やがて秀吉の元にも届き、彼に長秀の重要性を改めて認識させることになる。


 ***


 一方、京の隠れ家では――。


「おい、河童! 風呂の用意はどうなっておる! 儂は熱い湯が好みじゃと言ったであろうが!」


 信長(少女)が、湯気の立ち上る大きな檜風呂(いつの間に用意されたのか)の中から、小六(大河童)に向かって不機嫌な声を上げていた。湯に浸かり、その白い肌はほんのりと上気し、濡れた銀髪が艶めかしく肩にかかっている。狐耳も心なしかリラックスしているように見える。


「へ、へい! ただいま、最高の湯加減かと!」


 小六は、風呂場の入り口で冷や汗をかきながら控えていた。河童の彼にとって、熱い湯気は少々苦手だ。


「ふん……まあ、悪くない」信長(少女)は気持ちよさそうに目を細めた。「……おい、河童。突っ立っておらんで、儂の背中を流せ」

「ひぃぃぃぃ!?」


 小六(大河童)は、文字通り飛び上がって後退った。


「そ、そ、そのような恐れ多い! めっそうもございません! あっしのような下賤げせんな河童が、じょ、上様の玉体ぎょくたいに触れるなど、天地がひっくり返ってもできません!」


 彼は畳に額をこすりつけ、断固として拒否した。主君への畏敬の念もあるが、それ以上に、この少女(魔王)の体に触れて、もし何か不興を買えば、自分の皿がどうなるか分からないという恐怖の方が大きかった。


「……ちっ! 使えぬ河童め!」信長(少女)は機嫌を損ね、湯をバシャリと蹴った。「ならば、とっとと失せろ! 目障りじゃ!」

「へ、へい! ご、ご無礼つかまつります!」


 小六(大河童)は、蜘蛛の子を散らすように風呂場から逃げ出した。(これでようやくきゅうりが食える……)と安堵しながら。


「……全く、どいつもこいつも……」


 一人になった信長(少女)が、不機嫌にため息をついた、その時だった。


「――上様、俺がお流しいたしましょう」


 風呂場の入り口に、いつの間にか秀吉が立っていた。彼は小六から事情を聞き、覚悟を決めてやってきたのだ。


「……サルか。まあ、よい。河童よりはマシであろう。やれ」


 信長(少女)は、少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの尊大な態度に戻って許可した。


 秀吉は、内心(なんで俺がこんな目に……! しかも相手は美少女……いやいや、上様だ、上様!)と激しく葛藤しながらも、手ぬぐいを手に取り、恐る恐る、しかし慣れた手つきで信長(少女)の小さな背中を流し始めた。


 滑らかな肌の感触、華奢な肩のライン、銀髪から覗く白い首筋……。秀吉は妙な緊張で汗が止まらない。一方、信長(少女)も、秀吉の武骨だがどこか優しい手つきに、ほんの少しだけ体を預けるような、リラックスした様子を見せた。


「……おいサル、そこではない、もう少し右じゃ」

「は、はい!」

「……力を入れすぎだ、うつけ。儂の肌を傷つける気か」

「も、申し訳ございません!」


 奇妙な主従の、奇妙な湯浴みの時間。それは、二人の間の不思議な関係性を象徴しているかのようだった。


 ***


 風呂上がり、秀吉は信長(少女)に現状を報告した。軍勢は順調に拡大し、光秀の残党もほぼ一掃。そして、織田家の今後を決めるための会議が、尾張・清洲城で開かれる運びとなったことを。


「……ふん、ようやくか。清洲か……懐かしいのう」


 信長(少女)は、湯上がりでほんのり上気した頬のまま、紅い瞳を細めて呟いた。


「サルよ、あの会議が正念場じゃぞ。柴田の鬼娘は手強い。丹羽の猫又も油断ならん。……だが、貴様ならやれるであろう?」


 その言葉には、いつものような嘲りではなく、ほんの少しだけ、期待のような響きが込められている気がした。


 秀吉は、信長(少女)の言葉に、気を引き締め直した。


(……よし、清洲か。不足はないわい!)


 一方で風呂場での光景を思い出し、顔が火照ってくる秀吉である。(……今日は遊女のところにでも行くか……)

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