第5話 京の喧騒、猿、駆ける
京の都に舞い戻った羽柴秀吉の動きは、まさに電光石火であった。備中からの驚異的な強行軍で疲労困憊のはずの彼は、しかし休息もそこそこに、すぐさま行動を開始したのだ。
「者ども、聞けい! 逆賊・明智光秀は、我らが敬愛する主君・織田信長様を本能寺にて弑し奉った! この羽柴秀吉、亡き上様の無念を晴らすべく、ここに仇討ちの兵を挙げる! 我こそは正義! 天下万民のため、逆賊を討つ! 我と思わん者は、この旗の下へ集え!」
秀吉は、京の町中に高札を立てさせ、自らも辻に立ち、その猿顔を紅潮させながら、熱のこもった演説をぶった。彼の言葉は巧みであり、人々の心を掴む不思議な力があった。「信長様の一番弟子」「主君の仇討ち」という大義名分は絶大であり、その呼びかけに応じ、織田家恩顧の浪人や、光秀のやり方に反発する地侍、そして一旗揚げんとする者たちが、続々と秀吉の元へと集まり始めた。
「おお、羽柴様が立ってくださったか!」
「今こそ、上様の無念を晴らす時!」
数日前まで絶望的な状況にあった秀吉軍は、見る見るうちにその数を増やし、京の一角に確かな勢力を築きつつあった。
「小六!」
「へい、親分!」
秀吉は腹心の**蜂須賀小六(大河童)**を呼びつけ、情報収集を徹底させた。
「光秀の動き、他の織田家家臣たちの動向、京の町衆の噂、どんな些細なことでも構わん! 全て俺の耳に入れろ!」
「がってん承知! あっしと、あっしの身内(小河童たち)にお任せを!」
小六(大河童)とその配下の小河童たちは、その本領を発揮した。小六自身は持ち前の裏社会の顔を使い、怪しげな情報屋や商人たちから情報を引き出し、小河童たちは、その小さな体と河童としての能力(水路を使った潜入、壁抜けのような動き?)を活かして、京の町中、時には大名の屋敷の庭の池にまで潜り込み、生きた情報を集めてくる。
「親分! 光秀の奴、勝竜寺城に籠もってやすが、どうも兵の集まりが悪りぃみてえですぜ!」
「きゅーきゅー!(細川様も筒井様も、光秀からの誘いを断ったって、池の鯉が言ってやした!)」
「柴田様はまだ雪の中、丹羽様も動く気配はありやせん!」
集まってくる情報は、秀吉にとって有利なものばかりだった。光秀は孤立しつつあり、他の有力な織田家臣たちは、まだ動けない、あるいは日和見している。
(……好機じゃ! まさに千載一遇!)
秀吉は情報を武器に、さらに畳みかける。光秀に味方する可能性のある筒井順慶などの大名には、巧みな弁舌の使者を送り、「今、羽柴につけば、将来は安泰」と甘言を囁き、中立を保つように働きかける。
そして、摂津で兵を集めていた池田恒興からは、「秀吉殿と共に逆賊を討つ!」という力強い返書が届いた。
「おお! 恒興殿が来てくれるか! これで勝ったも同然じゃ!」
秀吉軍の士気は、ますます高まっていった。
***
多忙な日々の中、秀吉は時間を縫って、京の隠れ家へと足を運んだ。あの不可解で、しかし絶対的な存在――少女の姿をした真の信長――への報告(という名の機嫌伺い)のためだ。
隠れ家では、**信長(少女・天狐)**が、小六(大河童)を相手に、何やら新しい南蛮渡来の遊戯(カルタのようなもの?)に興じていた。
「おい、河童! なぜ貴様はそうも弱いのだ! 少しは頭を使え!」
「ひぃぃ! も、申し訳ございません!」
小六は、信長(少女)の容赦ない口撃に、頭の皿を縮こませていた。秀吉は(ご苦労なこったい)と内心で同情しつつ、主君(?)の前へと進み出た。
「上様、ご機嫌麗しゅう。秀吉、ただいま戻りました」
「……サルか。遅いぞ。して、首尾はどうか? まさか、まだあの狐(光秀)の首を取れぬと申すのではあるまいな?」
信長(少女)は、遊戯盤から目を離さずに尋ねる。その態度は相変わらず尊大だが、秀吉が集めてきた情報には興味があるようだった。
秀吉は、これまでの軍勢の拡大、情報収集の結果、そして諸将の動向について、詳細に報告した。信長(少女)は黙って聞いていたが、秀吉が話し終えると、紅い瞳でじっと地図(秀吉が広げたもの)を睨みつけた。
「……ふむ。光秀め、勝竜寺城に籠もるつもりか。あの城では我らは防げぬとでも思ったか、愚かな」
「はっ。おそらくは。ですが、我らの勢いを見れば、籠城も長くは…」
「いや、違うな」
信長(少女)は秀吉の言葉を遮った。
「奴は、何かを待っている。あるいは、我らをおびき寄せようとしているのかもしれん。……いずれにせよ、勝竜寺城で戦うのは得策ではないな」
「では、いかがいたしますか?」
「……決戦の場は、ここだ」
信長(少女)は、その白く細い指で、地図上の一点をトン、と突いた。そこは、京の南、淀川を挟んだ交通の要衝――山崎だった。
「山崎……ですと? なぜ、その地に?」
秀吉は訝しんだ。確かに要衝ではあるが、光秀をそこへ誘い出すのは容易ではないかもしれない。
信長(少女)は、ふっと妖しい笑みを浮かべた。その紅い瞳が、まるで未来を見通しているかのように、深く、そして暗く輝く。
「うるさい、儂の言う通りにしろ。天王山を押さえれば、地の利はこちらにある。……それに」
彼女は、秀吉の耳元で囁くように言った。
「――あの地はな、狐にとっては、ちと『鬼門』なのよ。古くからの言い伝えでな。迷信かもしれんが……試してみる価値はあるであろう?」
その言葉には、単なる戦略的助言以上の、何か人知を超えた力が込められているように感じられた。天狐としての予言か、あるいは呪詛か。
秀吉は、その紅い瞳に見つめられ、ゴクリと喉を鳴らした。この少女(魔王)には、やはり逆らえない。いや、逆らうべきではない。
(……山崎か。よし、決めた!)
秀吉は、信長(少女)の助言に従うことを決意した。彼女の持つ異能の力は、計り知れない。それを信じ、利用する。それこそが、天下への最短距離なのだ、と。
「ははーっ! 上様のご慧眼、恐れ入りまする! この秀吉、必ずや山崎にて、光秀を討ち取ってご覧にいれます!」
秀吉は深々と頭を下げた。
決戦の地は定まった。秀吉は隠れ家を後にし、山崎での決戦に向けた最終準備と、光秀をそこへ誘い出すための策謀を開始する。
日ノ本の運命を決める戦いが、刻一刻と近づいていた。
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