第3話 邂逅、銀髪の魔王(ただし美少女)
京の都に到着した羽柴秀吉は、疲労困憊の兵たちを京郊外に留め置くと、腹心の蜂須賀小六(大河童)と僅かな手勢だけを連れ、逸る心を抑えながら本能寺の焼け跡へと馬を走らせた。数日前まで天下人の威光が満ちていた場所は、無惨な骸を晒し、黒い煙が未だに燻っている。
(上様……!)
言葉にならない思いが込み上げ、秀吉は馬から飛び降りると、焼け跡へと駆け込んだ。熱気と死臭が鼻をつく。家臣たちが止めるのも聞かず、彼は本堂があったとされる場所へと進んだ。せめて、何か手掛かりだけでも……。
そして、彼は見つけたのだ。奇跡的に火を免れた、隠し部屋のような空間を。中に誰かいる気配を感じ、警戒しながらも扉をこじ開ける。
そこに座していたのは、息を呑むほど美しい少女だった。
歳の頃は十二、三ほどか。床まで届くのではないかと思われるほど長い銀髪は、まるで溶けた月光そのものを固めたかのように、周囲の煤を弾いて艶やかに輝いている。その髪の間からは、ぴくりと動く、雪のように白い狐の耳が覗いていた。着ている白い小袖は所々焼け焦げ、汚れてはいるものの、その下にある肌は透き通るように白く、陶磁器のようだ。
そして何より、その瞳。血のように鮮やかで、宝石のように澄んだ紅玉の瞳が、秀吉を真っ直ぐに捉えていた。子供のそれではない、永劫の時と、深淵の知性を宿したかのような、妖しくも抗いがたい光。背後では、同じく銀色の、ふさふさとした見事な尾が、ゆらりと優雅に揺れている。
人間ではない。秀吉は瞬時に悟った。これは、人ならざるもの。神か、魔か、あるいは――
「…………サルか」
凛、と響いた声は、鈴を転がすように可憐でありながら、絶対的な支配者の響きを持っていた。
「……遅かったではないか」
(……!?)
秀吉は、その声色と、そして何よりも「サル」という呼び名に、全身の血が凍りつくような衝撃を受けた。
「う、上様……!? まさか……!?」
混乱し、口走りそうになる秀吉。しかし、目の前の存在は、どう見ても幼い少女だ。しかも、狐の耳と尾を持つ、明らかに人間ではない。
「あ、あなたは……いったい……何者なのですか……?」
震える声で問いかけるのが精一杯だった。
少女――あるいは真の織田信長――は、ふん、と小さく鼻を鳴らし、面倒くさそうに答えた。
「察しが悪いぞ、サル。貴様が今まで『上様』と呼び、傅いていたあれは、儂が用意した影武者よ。なかなか良く出来ておったであろう? 演じさせていた儂も、少しばかり飽いていたところだがな」
「か、影武者ですと!?」
秀吉は愕然とした。あの第六天魔王が、影武者だった? では、本物は?
「儂こそが、真の織田信長じゃ」
少女は、こともなげに言い放った。
「まあ、見ての通り、今は少々『若返って』おるがな。これも天狐の力、というやつよ」
そう言って、自分の銀色の狐耳をぴょこぴょこっと動かしてみせる。その仕草は妙に愛らしく、しかし言っている内容はあまりにも常識を超えている。
「て、天狐……!? 上様が……妖狐……?」
秀吉の頭は、完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
「信じられぬか? まあ、無理もないか。貴様のような猿には、理解の範疇を超えておろう」
信長(少女)は、楽しむかのように秀吉の混乱ぶりを眺め、そして続けた。
「ならば、証拠を見せてやろう。……そうさな、例えば……お前がまだ足軽にもならぬ小僧だった頃、儂の草履を懐で温めておったであろう? あの時の、妙に必死な猿面、実に滑稽であったぞ。くくく……」
「なっ!? なぜそれを!? あれは、上様と俺だけの……!」
秀吉は顔面蒼白になった。それは、誰にも話したことのない、若き日の信長との秘密の出来事だった。他にも、彼女は秀吉しか知り得ないはずの密命の内容や、彼の内心の野心までをも、的確に言い当ててみせたのだ!
(……馬鹿な……ありえない……。だが……このお方は……)
目の前の少女から放たれる、疑いようのない覇気。その紅い瞳の奥に宿る、底知れない力と知性。そして、秀吉自身の記憶と寸分違わぬ言葉。
(……第六天魔王……。人を超えた存在……。そうだ、このお方なら……妖狐だろうと、少女だろうと……ありえるのかもしれん……!)
秀吉の中で、常識という名の壁が、ガラガラと崩れ落ちていく。彼は、もはやひれ伏すしかなかった。その場に崩れるように膝をつき、焼け焦げた床に額をこすりつける。
「……まこと……まことに、上様に……あらせられましたか……! こ、この秀吉、あまりのことに、一時、我を忘れておりました! 万死に値しまする!」
「ふん、ようやく理解したか、愚鈍なサルめ。まあよい、顔を上げろ」
信長(少女)は、満足そうに頷いた。その小さな唇の端が、かすかに上がっている。
「さて、サルよ」
信長(少女)は、再び威厳に満ちた声で命じた。
「儂が生きていることは、引き続き極秘じゃ。あの影武者の死は、好都合でもある。これからは、表向きは貴様が動くのだ」
「は、ははっ……」
「儂は影から、貴様に指示を与える。貴様は儂の手足となって、再びこの日ノ本を統一するのだ。さすれば、天下は自ずと貴様の……いや、儂のものとなるであろうよ」
その言葉に、秀吉の全身に電流のようなものが走った。恐怖と、それ以上の興奮。そして、抑えきれない野心。真の主君は生きていた。しかも、自分を新たな手駒として、天下取りを命じている! これ以上の好機はない!
「まずは、あの裏切り者の光秀を討つぞ」信長(少女)は続ける。「奴め、儂の正体に気づきおったのかもしれん。あるいは、あの影武者に嫉妬でもしたか? ……まあ、どちらにせよ、生かしてはおけぬ。貴様が、速やかに始末せよ」
「ははーっ! この羽柴秀吉、必ずや!」
秀吉は、力強く応えた。その顔には、もはや混乱の色はない。あるのは、新たな主君(?)への畏敬と、そして天下への道を切り開くという、燃えるような決意だけだった。
こうして、猿と呼ばれた男と、少女の姿をした妖狐の魔王との、奇妙で危険な共生関係が始まった。それは、日ノ本の歴史を、誰も予想しなかった方向へと大きく捻じ曲げていくことになる――。
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