優柔にて
人の意思は、簡単に揺らぐ。
私は、その事を理解していた筈なのに……。
これは私が、雄一郎さんのやらかしを聞くと、そう意気込んでいた時の事である。
いや。
実際そう思っていた。思っていたのだ。
私は雄一郎さんの失態を聞く決意も覚悟も、充分固めていたのである。
だが、無駄だった。
こんなに優しい雄一郎さんを前にしても、こんなに大事な志を持っても、私は駄目な人間だったのである。
「そっか。それなら、面白い思い出が聞きたいかな」
「おや。面白い、ですか?」
「そうさ、面白い話だ。何かあるかい?」
いや。
ここまでは、良かった。
ここからが、問題だったのだ。
「おや。それは、どのような面白い、ですか?」
「それは……」
ああ。
この時、私は迷ってしまったのである。
そう。
私は、雄一郎さんの恥ずかしい過去の出来事を聞くか、聞かないか、その二択に迷ったのだ。
なにせ人間関係というものは、たった一つの小さな裂け目から瓦解するのである。
だから私の思考は今、自分の好奇心に従って変な事を聞いて失望されるか、されないか。
それを聞いた後の私の反応による、縁を切られる可能性を、私は考えてしまったのだ。
だから、だろうか……。
「失敗談、以外の話をお願いしようかな」
私が、自身の心に従い考えを告げるという行為に怖じ気付き、保身を守る手段を選んだのは……。
ああ。
もし、ここにいたのが物怖じしない人であれば、雄一郎さんの言葉を信じて、相手に疑問を打ち明けられただろうに……。
ああ。
もし、ここにいたのが私以外の人であれば、恋話でも、喧嘩話でも、怖い話でも、何でも聞けただろうに……。
だが、それは架空の出来事だ。現実ではない。
そう。
そして現実の私は、まるで井の中の蛙に怯える蛇のような存在なのである。
なにせ、私は小心者だ。
ほんの少し責められたくらいで、大粒の涙を流しながら胃痛に苦しむのだから、間違いなく小心者である。
しかも私の心には、自らの身を火に投げて月に昇った兎のような献身的な姿勢も、初代天皇を導いた三本足の烏のような忠誠心も存在しない。
そう。
私は、自身の心を守る、あの狸や狐のような卑しい考えしか、なかったのである。
だから、これは罰なのだろう。
この腹をかき乱すような胃痛も、自責の念に犯されそうになっている頭痛も……。
きっと優柔不断で、本音を話す事すら出来ない、私に対する罰なのだ。
ならば、この手の震えも罰なのだろうか?
そう。
実は先程から、私の手に持っている陶器が小刻みに震えているのである。
ああ。
紅茶が零れてしまうではないか……。
いや。
……そうか。
これは、私の心から漏れた恐怖ではなく、罰だったのか。
まあ。
実際はそう、思いたいだけなのだが……。
今だけは、そう信じる事にしよう。
なにせ現実には、確実に真逆の事実が待っているのである。
だが、そう思う事は許される筈だ。
……夢を信じる事は、楽しいのだから。
だが一応、雄一郎さんに手の震えを指摘された時のために
「この紅茶の陶器が、重いからだよ」
という、一切事実とは無関係の建前を用意しておこう。
私の心の、安泰のために。
私の心の、平穏のために。
なにせ雄一郎さんの勘の良さは、天下を取れる程に鋭いのだ。
隠さなければ自分の本音も、心の声も、ばれてしまうである。
だが、想像してみてほしい。
何を?
知り合いに、幼少期のやらかしを突然尋ねられた時の自分の反応を、である。
困るだろう?
少なくとも、私は困る。
まあ。
一番困るのは、唐突な変化球で質問した本人が、その話題に返答しなければならなくなった時なのだが、それは割愛する。
なにせ今、重要なのは、私が無難な話題を選択した理由なのである。
ああ。
そして思った。
なぜ私は、こんな誰も聞いていない事を心の中で呟いているのか、と。
だが、そのような事は些事だ。
なにせ、この答えは出ないのである。
当然だ。
これは、私の心の中で行われている自問自答である。
誰かの返答など、求めていないのだ。
ああ、違う。
私は、こんな事を一々考えたかった訳ではない。
だが……。
私は先程まで、何を考えていたのだったか……。
そうだ、思い出した。
私は、この話題を選んだ理由を考えていたのだ。
だが、これは実に単純な事である。
そして、簡潔に一言で表す事が出来る。
ああ、認めよう。
私は、恐かったのだ。
そう。
私は、共感も同意も出来ない話題になる、その未来を恐れたのである。
先程は罰だ、何だと言ったが……。
やはり現実の前には、虚栄心は塵になるのだろう。
なにせ相槌のない、対話のない会話は、一人芝居の延長線だ。
もし、そうなれば、話し手である雄一郎さんがつまらないと感じてしまう。
それでは、いけない。
この貴重な機会が、二度と開催されなくなってしまう可能性がある。
ああ。
だから、私は心に決めていた、あの話題を選ばなかったのだ。
それに、話題を選んだ張本人が話の最中に相槌も何もしないのは、雄一郎さんに対して失礼だ。
だから私は、この無難で話題を広げやすい話題を、選択した理由である。
まあ。
だが、このような普通な話題でも、雄一郎さんの思い出話は面白い筈なのだ。
なにせ、これまでの雄一郎さんの話は、暴力行為と軟禁騒動なのである。
そう。
一線を越えているのだ。
だから私は、一種の期待と不安を胸に抱き、このような質問を投げたのである。
ああ。
だが、数秒後。
私の予想は外れる事になる。
……意味が解らない。
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それでは、続編をお待ちください




