困惑にて
おや。皆さま、如何なさいました?
揃いも揃って、其のような。
まるで、狐に化かされたような。失礼、言葉選びが悪う御座いました。
なんと申し上げれば、嗚呼、まるで、舞台を見ているような時のような表情、と言えば、伝わりますでしょうか。
しかし何故、其のような表情をなされていたのでしょう。
はい?
実際に、舞台を見ていた、と仰いました?
此れは、此れは。皆さまは余程、冗談がお好きでいらっしゃる。
では、お聞きしますが。
幕が上がっていない舞台で、何が見えると言うのでしょう。
皆さまがご覧になる舞台の窓帷は、未だ上がっておりません。
夢でも、ご覧になられていたのではないですか?
先程も、申し上げました通り、舞台は、未だ始まっていないので御座いますから。
それとも、まさか狂いでも、起こったのでしょうか?其れにしては。第一、どうやって。
嗚呼、失礼したしました。
独り言で御座います、お気になさらず。
しかし、此のままではいけません。
不安など、此の舞台を見ていただく上では、必要ないのです。
先程の事も、分らないままですが、仕方がありません。
其れでは、舞台の方を始めさせて頂きます。
狂いが起こったとしても、問題はございません。我々は今まで、何度も狂いを経験した事があるのですから。皆さまの安全を第一に、行動するのみで御座います。
では、念のため。
もう一度申し上げたく存じます。
お席のご準備は宜しいですね。
大変、結構。
さて。
此のような不可解なことが起こっても、舞台は続けなければなりません。
気を取り直して、開幕で御座います
此度も、心行くまで、ご堪能あれ
一章
美味しい。
今の私の頭には、それしか考えられなかった。
やはり、この店の店主は、多種多様な紅茶の良さを、全て知っているようだ。確かに店主なのだから、店に出している紅茶を最大限活かすことなど、朝飯前だろう。しかし、数多くある紅茶の味を理解できるという事時点で、私には真似できない芸当だ。
実は、この喫茶店に来る前まで、私の食事に対する認識は、美味しければなんでも良い、という料理人泣かせの物だった。
十数年生きてきたが、その認識は今まで一度も変わることはなかったのだ。だからこそ、この喫茶店に来たときは驚いた。
美味しいだけではない。
様々な料理があり、それらの料理は、巧みな技術の上で成り立っている。
それくらい普通の事だろう、と考える人もいるかもしれないが、私はその事に驚きを、この店の事が好きになった。
だが、食事をする機会が少なかったという訳ではない。外食に行き、豪華な食事をしたこともあった。だが、食事の美しさ等には、興味が湧かなかった。いつまでたっても、私の中での認識は、食事は上手い、不味いの二択しかなく、料理人の苦労など、知らない子供だったのだ。
そんな失礼極まりない私に、この店は、気付きを与えてくれたのだ。
もし、ここに食事に対して詳しい人がいたのであれば、何故そのような認識をしていたのだ、と怒り狂うだろう。
生憎、私の周りにはそんな人はいなかったので知らぬことだ。そして、昔の私であれば、そのように生きてきたからだ、と言い返すのが目に見えている。やんちゃなお年頃だったのだ。
第一、食事に対して、そこまでの優先順位を感じる事が出来なかった。
とある動物番組で鼬がご飯を食べている時にも、食事という重要性を理解できなかった。唯一思ったことは、可愛い顔をしながら獰猛なのだな、という事だけだ。しかし、そんな考えはこの喫茶店で紅茶を飲んだ時に、溶けてなくなった。
私が、今までの認識を書き換えねばならないと思い知ったのは、この店で、初めて紅茶を飲んだ時だった。ここまで紅茶に様々な種類があり、そして各々に個性がある。初めて紅茶の味を知ったのだ。貴重な経験だった。
今までの私は、紅茶の味など考えたこともなかった物だから、こうやって紅茶の味を改めて認識した私に頭には、ある言葉が浮かんだ。それは確かに、元から知っていた事だった。しかし、今まで認識の渦に呑まれていたものだ。その言葉は実に単純だ。
紅茶は、素晴らしい。
今まで考えてこなかった事を、考えるきっかけになったのだ。
この認識だけは、今後、改めることはないだろう。この店に来たからこそ、気付けた事だ。
しかし私が、このような認識をしていたのにも理由がある。私は元々、食事に対して、興味がなかったのだ。
例えば、この世界には、様々な種類の飲み物がある。珈琲、お茶、果物飲料、酒、等々。数え出したら、切りがない。
種類だけでも多いというのに、ここから、緑茶、抹茶、日本酒、葡萄酒等の分類されるのだ。しかし、腹に入ってしまえば、全て同じだ。だから、そこまで興味が湧かなった。
結果が同じものに対して、興味は湧かなかったのだ。
これが美味しければなんでも良いという認識をしていた理由だ。単純に種類を覚えたりするのが面倒だったという理由もある。
そんな私の認識を悉く壊していったのが、この店だった。
食べてしまえば、同じという事は変わらない。けれども、食事に対する創意工夫に興味が湧いた。
それは、今まで普通に生活していた中では考えなかったことだった。
元々、美味しいと感じていたが、私はこの時、本当の意味で紅茶を楽しむことができたのだ。
勘違いをしないでほしい。昔から美味しいとは感じてはいたのだ。しかし、食事に対しての興味が湧かなかった。味に対しても、その創意工夫を知らず、興味が湧かなかった。最低である。
こうして考えてみると、随分もったいない事をしていたと思う。だが、酒に関しては論外だ。
飲んでみた事がないのだから、話にならない。興味もなかったから、残念だとも思わない。
そういえば、大学の知り合いが新茶と緑茶の違いについて、淡々と説明をしてきたことがあった。その説明の仕方は熟練の大学講師を連想させるものがあったが、その時の私は食事に対して、興味がなかったからだろう。その話を殆ど思えていない。たしか、新茶の方が成分が豊富だと言っていたが、詳しくは知らない。興味がないと一切、覚えようとしないのだ。仕方がない。
最終的には、私は美味しければ良いのだから、種類は問う事は無いだろうに、と頭を悩ませ、知り合いは、何故こんなに丁寧に説明しているのに理解ができないのだ、と頭をひねり、論点がずれている事にも気が付かず、その話は終わった筈だ。
こうして思い返してみると、実に、非道い話だ。
何故そのような話になったのか、きっかけを思い出すこともできないが、恐らく、しょうもない事がきっかけなのだろう。よくあることだ。考えるだけ無駄だろう。けれど、私は今、この話が私の認識の話と一緒なのだという事に気が付いた。
知り合いには悪いことをしてしまった。これは、私が十割悪い。
ここまで知り合いとの話を思い出し、私は改めて、そのお茶の違いについて気になってしまった。
こうなることなら、ちゃんと聞いておくべきだったと、後悔した。その後悔も今になっては意味がないだろう。
そこまで考えて、私の頭に浮かんだのは、市販品を買ってきて家でその違いを体感しよう、という考えだ。悪くない考えだろう。自業自得の産物にしては、悪くない。
その決意が、頭に浮かんだ時だった。
今まで、黙っていた友人が、突然今日は、ここまでにして帰りましょうか、と言った。
私が、何のために紅茶を注文したのか、一切理解せず。私は紅茶の違いを理解するために注文したのではない、友人の話を聞くために紅茶を注文したのだ。
私は、その事実を理解してくれない友人への苛立ちを沸々と募らせていった。
確かに関係のない考えを頭の中に浮かべていたことは事実だが、帰宅はない。
無理もない話だろう。ここから楽しくなるという時に、急に話を折られたのだ。
さながら、遊戯の終盤の最終戦。これ以上失敗を重ねると次がないという緊張感を感じていた時に、親に呼ばれ、緊張感が抜けていくようなものだ。
慈悲をくれ。保存そして、時間と言う名の慈悲を。
余りの衝撃に、斜め上どころか、そんな意味の解らない思考をしてしまった程だ。自分で振り返ってみても、よく解らない。忘れた方が良いだろう。
そんなことを考えていた私に、友人は見向きもせず、友人は会計の準備を始めていた。
行動が速い。まだ、帰宅に対する承諾すらしていないのに、こんなに素早く行動するとは。
素晴らしい行動力だ。他の機会であれば、褒めていたかもしれない。
しかし、それは、今ではない。
私は思わず、何故、と心の中の不満をぶつける様に、友人に詰め寄った。
当然だ。ここまで面白い話をしておきながら、残りの話はお預けなど、外国にある、とある昔話の様ではないか。待たされる側の経験ができて、いい機会だと考える程、私の心は寛容ではなかった。
その考えができるのは聖人くらいの者で、私は違う、と叫びそうになった。
私は聖人とは程遠い、普通の一般人なのだ。寛容ではなくて当たり前だろう、と屁理屈を言うくらい、私は捻くれた性格の持ち主だ。実に面倒くさい人間である。自分のことだが、難儀な性格であると思い返したくらいだ。そんな私に待て、と言う方が無謀だろう。犬の方が、まだ聞き分けが良いかもしれない。
そこまで思って、確信した。やはり、私には待つという行動は無理なのだ、と。
今の私の頭には、続きが気になって仕方がない、という思いしか存在していなかった。
我慢勝負に一秒で負ける自信がついてしまうくらいには、私は我慢が苦手だったのだ。
まるで、長年連れ添ってきた恋人に振られ、その恋人に縋りつくように。
私は友人に、なぜ帰ろうとするのか、その理由を尋ねた。
例えが壊滅的に悪いが、そんなことは現状よりは些事だ、気にもならない。いつもであれば、気にするのだろうが、今となってはそんな事、塵と同じだ。気にすることはない。
すると、その様子を見た友人は、会計の準備を一旦止めた。
そして、聞き分けのない子供に聞かせでもするかのような態度でこう言った。
「洗濯物が心配なのですよ」
「へ?」
何とも、拍子抜けするような返答だった。余りの拍子抜け具合に、今までの面倒くさい思考が、軒並み消え失せた程だ。
「洗濯物です。空を見てください、この空模様ですよ。いつ降っても、可笑しくないじゃないですか」
「あ、ほんとだ。確かに、怪しそうな空だね。さっきまでは晴れていたのに、今は真っ黒だ」
気が付かなかった。話に夢中になりすぎていたらしい。晴天だと思っていた空は、今では曇天だ。
「でしょう?それに今日、雨に降られると困るのですよ」
「え。何か困るものでも、干したのかい?」
私は自分で聞いておきながら、心配になった。重要なものを干していた場合、罪悪感で苦しくなるのは目に見えていたからだ。
「ええ。実は敷布団を干していましてね。このままでは、布団ではなく床で寝ることになります」
「それは、一大事だね」
それは、翌日の体が悲鳴を上げる。そんなことを考えられるくらいには、少し冷静になってきた。
「そうなのですよ。ですから名残惜しいですが、今日はこの辺でお開き、ということにしませんか?」
「解ったよ。さっきは声を荒げてしまってすまなかったね。謝罪するよ」
冷静になり、一番にしたことは謝罪だった。自分の感情を制御することは難しいと知っていたが、それでも、先程の対応は無いだろう。
「いえ、突然言い出したのは、僕の方ですからね。紅茶も頼んだばかりだったでしょうに」
「いや、そんなことは貴方の布団より重要じゃないよ」
事実だった。
紅茶の一杯と、今日の睡眠。比べるまでもなく、後者の方が大事だ。なにせ、紅茶の一杯は飲まなくても生活に支障はないが、睡眠は生活に支障がある。優先順位は東から太陽が昇るが如く、明らかだった。
そして私は、先程の行動を恥じた。
余りに自分の欲に忠実になりすぎていた。他者には他者の都合があり、私には私の都合がある。
当然の事だ。この世の摂理に他ならない。だが、それを考えるよりも先に、自分の欲を優先するとは、救いようのない話だ。話に集中しすぎて、目の前の天候という当たり前に気にする事象にすら、目が向かなくなっていたなんて、どんな笑い話だろうか。
そんなことを考えたからだろう、あることに思いついてしまった。私の現状が、彼の話に盲目的だったからだろうか。そうだ、この世には、恋は盲目という言葉があるのだ、と思ってしまったのだ。
私は馬には蹴られたくので、詳しくは言わないが、あれは確か悪い意味で使われることが多い。今の現状の私に似ていると思った。
違うのは、その盲目的な対象に向ける感情が恋慕であるか、知識欲であるかという点だ。
このような思考をできるくらいには、冷静になることができたのだろう。もう少し早く冷静になった方が良かったのだろうが、後の祭りだ。
そして、その冷静な頭は思ってしまったのだ。
知識欲を、その言葉のように当てはめたら、どうなるのだろうか、と。そして思い至ってしまったのだ。知識欲は、一種の狂信である、という事に。
知識欲とは、文字通り、知ることに対する欲求だ。知ることに全てを注ぎ込む。時には、命すらも天秤にのせる。その知識の重要性や意味を理解できない者からしたら狂気の沙汰だ。質が悪いこと、この上ない。
そこまで思考し、私はその欲望を制御しなければならないという事実を恐れた。知りたいという欲に鍵をかけるのだ。難しい事この上ない。禁欲とは恐ろしい。次に修行僧に会った時には、尊敬の念を送ろうと心に決めた瞬間でもあった。だが、そうでもしなければ、先程の失態の二の舞になるという事も良く解っていた。
自重しよう。心に決めた瞬間である。
そうして、自重しようと決めた心に鍵をかけるためには、ここでお開きにするという行動は、確かに良い選択だろうと思った。思いがけず、友人の行動に救われたと言ってもいい。
ありがとう、友人。先程の謝罪と共に受け取ってほしい。
そう、心の中で呟き、私たちは次に会う時の約束を取り付け、別れた。
次に会う約束の日は、二週間後だった。
白状しよう。
この時の私は、自分の知的好奇心を舐めていたのだ。まさか、ここまで苦しいものだとは、思ってもいなかったのだ。
私は、余り考えすぎる質ではないと、この時までは思っていた。今まで思考の渦に、のめり込んでいながら、何をいまさら言っているのだ、と思うかもしれないが、そこまで非道いという自覚はなかったのだ。しかし、この二週間に起こった事と思うと、その言葉を撤回しなければいけなくなる。
例えば、空腹になって食事を取ろうとした時、友人の話で注意力が削がれ、床に飲み物を零した。他にも、授業を受けようとしたのに、友人の話で集中力が欠如し、内容が頭に入ってこなかった。挙句の果てには、睡眠を取ろうとしたのに、友人の話が頭をちらつき、満足に眠ることができなかった。
こう思い返してみると、実に苦しく、非道いものだ。自分の行動を振り返ってみると、一周回って面白くもなってくる。しかし睡眠時間と質の低下は良くない。友人にも睡眠は大事だと言った手前、自分の行動を思い返してみると、何も言えなくなってしまうからだ。
そんな事を繰り返していたからなのだろうか。集合場所である駅で友人が私の顔を見た瞬間、寝なさい、と珍しい命令口調で話しかけてきたのは。
友人は私の顔色を見た瞬間、目を見開いて、驚くほど速足で私の前に来てそう言った。挨拶の言葉もなかった。この時の私は、どの様な非道い顔をしていたのだろうか。後から友人に聞いても、応えてくれなかった。それだけ非道い顔をしていたのだろう。なにせ友人が挨拶をしなかったのだ。想像もできない顔だったのだろう。
そして、思い出話は次の機会にしましょう、という残酷な言葉と共に、その命令口調の言葉をかけてきたのだった。
次に、目を開けて時に入ってきた光景は、綺麗な青空だった。
この度も、作品をお読みくださり、ありがとうございます。
感謝の言葉しか出てきません。
今回は少し長くなりましたが、楽しんでいただけると幸いです。
それでは、次回作をご期待ください。