一線にて
人の線引きは無意識に起こる事も、意図的に起こる事も、あるだろう。
私達は、その枠組みの中で生きているのだ。
聖人と紳士。
雄一郎さんは確かに、そう言った。
つまり、その線引きは、とても大きな意味を持つという事だ。
私には意味の解らない線引だが、雄一郎さんにとっては、違うのだろう。
「そう?まあ、それにしても、随分と興味深い考えだね」
「ええ。とても、興味深い考えでしょう?」
「そうだね。あまり聞かない」
「ええ。彼の考えでは、善人と悪人は同じ人という種類の生命体であるから区別する理由がなく、人の基準は本などの物と同じだ、という事だそうで」
その言葉を聞いた時、つい驚いて大きな声をあげてしまった。
「え、いや、待って」
「はい?」
「その考えって、色々と危なくない?さっきとは随分かけ離れてる言い分だよ」
だって、その考えは。
「えっと、言い方は悪いけど毒蜘蛛と毒のない蜘蛛を、同じ蜘蛛だからって理由で、消滅させる分類の人と同じ考え方だよね、それ」
「そうでしょうね」
「だろう?いや、人間関係が面倒臭くなったって言って、一切連絡して来なくなる人と同じかな」
どちらにしても、悪い事には変わりないだろう。
その分類の人は、何かに愛着を持つ事がない。それか、愛着をもっていた物があった場合でも、いらなくなったら忘れてしまうのである。
まだ、善悪で人を判断するなという考えは解る。先入観などで人を判断してはいけないという意味だろう。
だが、人を区別する云々は話が変わってくる。それに、物と同一だと言ったのであれば、尚更だ。
「だから、言ったでしょう?聖人ではないのだと」
ようやく、雄一郎さんの線引きの意味が解った。
「納得したよ。確かに、紳士ではあるけど、聖人じゃないね」
「でしょう?」
「ああ。区別しない云々は置いておいたとしても、それ以前の問題だ。だって、その人は貴方のご友人の事が大切なんだろう?それなら、善悪云々の平等さも危ういじゃないか」
私は、件のご老人が聖人ではない事実に、ある種の安堵を覚えながら、私は言った。
「そうですね。それに彼は、区別するなと言いながら彼自身が、他者を区別していましたから」
「それは、貴方のご友人と、その他の人だろう?多少の矛盾は仕方ないだろうさ。人間なんだ」
「いいえ。それ以外でも、様々な区別をしていましたよ」
「一体、どうなってるんだよ。その人は」
全く持って、意味が解らない。
教師が子供に危険行為を教える傍ら、教師自身は危険行為を率先して行っているようなものではないか。
「言うだけなら、罪はないのですよ。人は矛盾がある生き物ですから」
先程の、神頼みの話と同じ理論だろうか。
「それは、善い人になろうとして、結果的に悪人になる人みたいな?」
とても、良い例だろう。
私の好きな登場人物も、そのような人生を歩んでいた。
「合っていますが、それは一体、どこの知識なのですか?」
雄一郎さんが、心底不思議そうに聞いてきた。
「漫画」
随分前に打ち切りになってしまった代物だが、あれは面白かったのだ。
打ち切りになった事が今でも悔やまれる作品である。
ああ。
本当に、なんで打ち切りに。
「成程、漫画とはそのような事を学べるのですね」
「そんなに関心を向ける事?貴方が子供時も、漫画はあったと思うけど?」
世代的に妖怪漫画の全盛期だろう。
すると、その言葉を聞いた雄一郎さんは、少し照れ臭そうに笑ったのである。
「確かに、僕が子供の時にも漫画はありましたよ。しかし、僕は外に出る事が多かったですから、読んでいなかったのですよ」
そして、こう言ったのだ。
それは、私にとって、とても衝撃的だった。
なにせ、漫画を読まない人生など、私には考えられなかったからである。
「それは、さっきの言葉通りの子供だったという事かな?それなら、今は運動していないのかい?」
漫画をそっちのけで運動をしていたのなら、今でも行っていると考えたのだ。
その瞬間である。
雄一郎さんが、少し考え込むような素振りを見せたのだ。
「そうですね。日々の散歩はしますが、山奥を走り回ったり、川辺で魚取りをする事がなくなりましたね。今は、本を読む事の方が多いですから」
「随分と、異なる生活だね」
「ええ。ですが、子供と大人では、見える世界が異なるのですよ」
それは、先程の雄一郎さんが言っていた成長と、同じ意味だろうか。
「昔見た映画をもう一度見た時に違う感想が出るのと似てるかな?」
「ええ」
「そっか。それにしても、昔の貴方は、随分健康的だったんだね。でも、その時と比べたら駄目だと思うよ」
「おや。なぜです?」
「だって、体力の衰えとか色々な理由があるだろう。それに、本を読んで頭の運動はしてるじゃないか。十分、運動してるからね」
心からの言葉である。
ちなみに、この言葉は私が体力不足を相談した時の両親から貰った受け売りだ。
その言葉を聞いた雄一郎さんが、目を細めて言った。
「頭の、運動ですか。随分と嬉しい事を言ってくれますね。その発想はありませんでしたよ。確かに、体を動かす事だけが、運動ではないですからね」
どうやら、私の言葉が雄一郎さんに新たな発見を与えたようだ。
その言葉に、私は両親から言われた時の事を思い出しながら、胸にある思いを告げた。
「それは、そうだよ。それに散歩も立派な運動さ。私が保証する。入院した時に学んだ事だ」
あれは、素晴らしい学びだった。
「それは随分と、説得力がある言葉ですね」
それは、そうだろう。
伊達に留年の危機に晒されていない。何も学ばなかったのでは話にならないのである。
だから、私は自慢話をするような口調で
「だろう?それで、どうして老紳士のお方に仕草との勉強をする事になったんだい?」
と、言ったのだ。
すると、私の言葉を聞いた雄一郎さんが、少し照れたように顔を逸らしながら、こう言った。
「それは、ですね。僕の態度が、その、あまりにもなっていなかったのですよ」
おや。
それは、珍しい事を聞いた。
なにせ、このような仕草は常日頃の彼なら、あり得ない事だからである。
そう。
雄一郎さんは、とても面白い奇天烈な話をした時だって、言葉を淀ませなかったのである。
「なっていなかった?それは、そのままの意味かい?」
だから、聞いた。
当然だ。気になってしまったんだから。
「ええ。詳細に言うのであれば、僕には品性というものが欠片もなく、所作も美しくなかったという事です」
それは。先程の雄一郎さんの言葉にあった、成長という奴なのだろうか。
「今とは、かけ離れてるね。でも、どうやって仕草とか学んだの?日頃の行動とかを矯正するのって大変でしょ?」
実は私も、少し前に口調を直すために、努力していた過去がある。
あれは、難しかった。
しかし、それを常日頃からと考えると、その数倍は、難しいのだろう。
そんな考えを巡らせている時だった。
雄一郎さんの
「大変でしたよ。間違える度に彼の持っている杖で足元を叩かれた挙げ句、書物を一冊ずつ読まなければいけないという独特な特訓がありましたからね」
という声が、響いたのである。
「は?」
「しかし、そのような勉強をしていたら、自然と作法なども身に付きましてね」
いま、雄一郎さんは、何と言った?
書物云々は良い。未だ問題ない。問題なのは、後半だ。
「杖で足元を?それって。いや、仕草を学びながら、語彙力も上がったんだね。そうか、良いと思うよ。一番気になった杖で叩くのは、後で聞くから」
そうしなければ、私の頭が追いつかないの思ったのだ。
「解りました。覚えていてくださいね。それでは書物の話からしましょうか」
「お願いするよ」
「ええ。前提として、当時の僕は書物は嫌いだったのですよ。ですから、何としても書物は読みたくなかったのです」
「今とは、違うね」
「ええ。ですから、間違えないように何度も練習を重ねた訳です。子供が勉強が嫌だからと嘘を学ぶ事のと似ていますね」
とても、的確だ。
「解りやすいね」
「しかし、その効果は凄まじいものでしたよ。貴方もやってみると良い」
どうしよう。
とても、お断りしたい。
知識の強要は嫌いなのだ。しかし、当の本人に言うのも気が引ける。
よし。否定も肯定もしないで、有耶無耶にしてやり過ごそう。
「えっと、とても素晴らしいお言葉だけど、間に合ってるから、私は大丈夫だよ」
「おやおや」
「それにしても、その例えは、合っていないような気がするけど。いや、これを言うのは野暮かな。それにしても、中々な勉強法だね」
主に、暴力的で。
「そうですか?僕は良く学べなのですがね。これが勉強法の違い、という事ですか。しかし、どうです?在り来りな勉強会の風景でしょう?」
本人には告げなかったが、雄一郎さんは在り来り、という言葉を辞書で調べ直すべきだと思った。
「そうだね。いや、足元を叩かれた事の説明で変わってくるかな」
「別に普通でしたよ。痛くなかったですし」
この友人は、どのような判断基準をしているのだろう。
痛みを伴うか、伴わないか。それは論点が別なのである。
「痛かったか、痛くなかったかの事を聞いているんじゃないんだよ」
「おやおや」
「確かに、その違いは重要だけど今は重要じゃないんだ。肉体に傷がなくても、精神に傷があるかもしれないだろう?」
「そんな事、考えませんでしたね。普通でしたし」
一体、何が普通なのだろう。
「解った。なら、他に可笑しい事とか、普通だと思う事はあった?」
これ以上聞いても、私の認識では追いつかないと判断したのだ。
それに、雄一郎さんと、私の普通の基準が異なる事も解ったのである。
それだけでも、大きな収穫だろう。
私は、この時の愚行を今でも反省している。
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