信仰にて
人の記憶は、霧で隠されると何も見えなくなってしまうらしい。
ならば、私は霧を払って前に、真実に、進まなければならないだろう。
これは私は、先程の失態を踏まえた記憶の間違え探しを志してから数秒後の事だ。
「これ?何の事です?」
先程の、私の言葉に興味を持ったのだろう。雄一郎さんが不思議そうに首を傾げたのである。
どうやら、私の言っている内容の一切が、理解出来ていないらしい。
「何って、話の内容だよ。大事だろう?」
故に私は、大袈裟に芝居の真似事をするかのような口調で、こう言った。
そう。
これ以上、会話の主導権を握らせないようにする為である。
すると、雄一郎さんは笑いながら
「それはそれは、大事ですね。貴方の記憶力が正常に働いている事を願いますよ」
と言ったのだ。
その言葉を聞いた瞬間、確信した。
やはり、雄一郎さんは、この現状を楽しんでいるのだ、と。
恐らく雄一郎さんは、私がどんな狂れた言動をするのか、その言動を肴に弄ぶつもりなのだ。
「願うって、一体だれに?」
だから、こんな事を尋ねたのである。
そう。
少しでも、頭の思考を遮りたかったのだ。
これ以上弄ばれては、たまらないのである。
すると、雄一郎さんは笑顔を崩さず、その相手の名を告げた。
そう。
「天におわす、貴いお方に」
と、告げたのである。
「貴方、無神論者じゃなかった?」
思わず、言った。反射だった。
会話の主導権云々は頭の中から消えていた。
無神論者が神頼みをするという行為が、私には意味が解らず、可笑しいと感じたのだ。
「おや、無神論者が神頼みをしてはいけない、という法律はありませんよ。願うだけなら問題はないのです」
「それは」
「それにしても、貴方は僕の事を何だと思っているのですか?僕も神頼みをしたくなる時だってありますよ」
「え?」
「新年のお参りの時には、神社にも行きますし、お参りにも参加します」
それを言われたら、日本人は殆ど信者では?
「それに、今回の様に人に頼っても意味がない時には、特に有効でしょう?」
なんて事を言うんだろう。
この人は。
しかも、雄一郎さんはそれらの言葉を、饒舌に、無邪気な顔をして楽しそうに言っているのである。
しかし、反論の余地がないことも、また事実だった。
だから私は、
「それは、その通りなんだけどね?」
という言葉しか、口から出てこなかったのである。
「いや、でも、参ったな。貴方今、人に頼っても意味がないって言っただろう?」
当てつけか?
当てつけなのか?
少し、むかつく。
だが、今は表情を表に出す時ではない。
だから私は、少しおどけたように
「まったく、いつもの優しさは、どこに行ってしまったんだい?随分と辛辣じゃないか」
と、言って、本心を隠したのだ。
すると、私の言葉を聞いた雄一郎さんは、
「生憎、優しさは欠品していますので」
と、茶目っ気たっぷりに、こう言ったである。
その言葉を聞いて、私は極寒の吹雪の中に一人虚しく佇んでいる迷い人のような感覚になった。
暖かい温もりが、ほしくなった瞬間である。
なにせ、人は優しさを失った瞬間から、孤独と向き合う事を余儀なくされるのだ。
だが、そうは言っていられない。
このままでは、また雄一郎さんに主導権を握られてしまう。
だから私は、
「それは、残念だ。次回の補充が楽しみだね?でも、私は相手の都合を待てない性分なんだ。答え合わせの時間だよ」
と、矢継ぎ早に言ったのだ。
これ以上冷たい言葉を吐かれると、号泣すると悟ったのである。
そう。
私の心は弱いのだ。
すると、雄一郎さんが片眉をあげて、
「おや、もう宜しいので?」
と、言ったのである
その言葉には、真意を探っているような、そんな危うい雰囲気があった。
しかし、そんな事はどうでも良い。
雄一郎さんの勘の良さは、常に蛇のような鋭さをしているのだ。
特に、普段と変わりないだろう。
そのような事を心の中で考えながら、私は皮肉げに
「ああ。宜しいよ。それで?」
と、こう言ったのだ。
「おや。それで、とは?」
「私の記憶力。つまり貴方の言っていた飾りの貧相な海馬は、今回の思い出の事を暴力的な話は一切ない話だって事なんだけど」
合ってる?
これは、確認だった。
なにせ、最優先事項は、私の精神的安心と記憶力の保証なのだ。
勘の良さなど、気にするだけ無駄なのである。
「それで、どうだい?私の海馬は合っているかい?」
それに、これは単純な答え合わせではない。
失った信頼と自信を取り戻す勝負なのだ。
そして、その瞬間が、やってきた。
「どうやら、神頼みの必要はなかったようですね」
雄一郎さんが、笑いながら穏やかな口調でそう言った。
それは、短い、勝利宣言だった。
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