理念にて
舞台袖
時間とは、意味を持たない。
何故なら、時間とは意味を創る為に存在している概念の一部にすぎないからだ。
故に、時間には意味がない。
そして時間とは、残酷に我々を導き、平等に我々を裁く、不可逆的な存在である。
故に、意味を創る為に仕事をしろ。
考えるな。体を動かせ。
結果は後からやってくる。
其の行動に、意味があるのだ。
ふむ。
此れが、向こうの方々の理念ですか。
駄目ですね。
優秀な花形部署のお言葉は、難解な言葉遊びの延長戦。
唯一分ることは、掴み所のない雲のような言葉の数々が、頭の理解を阻害しているということだけではないですか。
特に、中盤からの文章は、何です?
恐らく、仕事に対する意識を説いているのでしょうが、意味が分りません。
しかし、仕事のやりがいを此処まで的確に表現している語彙力は、素晴らしいですね。
此の理念を創った方には、是非とも、詩人に転職して頂きたい。
さて。
此のように、現実逃避をしておりましたが。
何ですか?
此の汚部屋。
此れが、我々の業績頂点に君臨していた花形部署の部屋なのですか?
重要書類と報告書の山で前が見えない、此れが?
まったく、片付けが大変ではないですか。
いや。もう面倒ですね。
書類は、燃やしましょう。
恐らく、此の鬱憤を晴らすように、美しく燃え上がってくれる筈です。
ああ。しかし、残念ですね。
此の部屋の掃除を任されたということは、向こうの部署の人員が減ったという何よりの証拠。
悲しいものですね。
ですが、此処の後処理を独りで行えるとは、幸いでした。
独り言を幾ら言っても、気味悪がられませんし、不審者に間違えられることもありません。
しかし、独り言が多すぎて左遷した経験が、此のような場所で活きるとは。
世の中、何があるのか分りませんね。
ですが。
何より重要なことは、向こうの方々に長年売られてきた喧嘩の恩を、此処でお返しできることでしょうね。
ええ。
今こそ、此の部屋を新品同様の美しい部屋に生まれ変わらせ、向こうの部署の方々を驚かせて差し上げましょう。
しかし、改めて向こうの方々の理念を見てみると、我々の理念とは随分違いますね。
不思議です。
同じ主題で創ったというのに、此処まで内容が異なるとは。
何が、違ったのでしょう。
制作者の趣味の違いでしょうか。
其れとも、仕事に対する意識の差でしょうか。
ああ。
昔、仕事に対する意識が高い方は、難解な言葉を使いたがると聞いたことがありましたね。
まさか、虚偽ではなかったとは。
其れにしても、此のような立派な理念を掲げているのであれば、我々の部署ように部屋の掃除は行って頂きたいものですがね。
仕方ありません。
十年分の大掃除だと、考えましょう。
しかし此れが、仕事は意味や意識よりも経験が大事なのだと言われる所以でしょうか。
何とも、懐かしいことです。
昔、掃除を怠り、痛い目を見ましたからね。
其の証拠に、我々の理念は、覚えやすい。
我々の理念の制作者と、我々の思いが一致したことは幸いでした。
もしくは、長い文章は飽きられやすく、面倒臭がられるという経験や認識を、制作者の方が持っていたのかもしれませんね。
事実は知りませんが、実に、素晴らしい。
暗記し易く、重要なことは簡潔に。
此れ以上の利点など、存在しません。
なにせ、我々の理念は、
我々は、皆様によって生かされている。
故に、皆様に有意義な時間を提供しろ。
其れが、我々の意義である。
という、此れだけですからね。
ああ。実に覚えやすい。
しかし、意識という言葉で思い出しましたが、向こうの方々が使う仕事中の言葉遣いは、一体何だったのでしょうか。
同意だとか必須だとか。
横文字など、我々の部署の者は言われても意味が分りませんからね。
何度、困惑したことか。
他のお国のお言葉など、我々には空に浮かぶ月のように、縁が遠い存在だというのに。
ですが今更、此のようなことを思い出してしまうとは。
矢張り、気が付かない内に、疲れているのでしょうね。
此れは、長期休暇の申請した方が利口かもしれません。
しかし、上司が一人だけ悠々と休むなど、部下に対して示しがつきません。
如何したものか。
ああ。部署の方々にもお休みをとって頂ければ、問題ありませんね。
しかし、此れは此れで。
人員配置の件で悩むことになりそうです。
極少数とはなってしまいましたが、未だ残っている向こうの部署に派遣する方々のことも、考えなければなりません。
しかし、此のままでは、事後処理に怒る部署の職員が職務反乱を起こす危険があります。
率先して起こそうとしている筆頭人物が、此処にいるのです。
間違いない。
しかし。
もし、職務反乱が起こるような事態になれば、即刻、弁明なく、打首になってしまいますからね。
如何したものか。
休みたい。休めない。
此れこそ、社会人の闇ですね。
ああ。
此のようなことを考えていたら、もう、約束のお時間ですか。
では、準備を急がなくてはいけませんね。
時間に間に合わなければ、仕事になりません。
さて。
此処からだと、皆様の元に着くお時間は。
舞台袖-完-
皆様、お待たせ致しました。
先程、申し上げたお時間になりましたので、ご報告に参りました。
お食事の方は、お楽しみ頂けましたでしょうか?
ああ。食器類は全て、配膳の者が後ほど回収致しますので、少々お待ちください。
おや。しかし皆様の元に、一つも食器類が見当たりませんね。
皆様、食器類は一体、何処に?
なんと、知らぬ間に配膳の者が、食器類から食事まで、既に全て回収を?
其れは、素晴らしい。
配膳の手伝いという貴重な仕事を、一つ奪われてしまいました。
嬉しい限りで御座います。
おや。皆様、其のような困惑した顔をなされて、如何なさいました?
ああ。仕事が盗られたのに、此のように嬉しそうにしているのが、不思議だったので御座いますね?
確かに、皆様の中には不思議に思う方もいらっしゃることでしょう。
しかし此れは、嬉しいことなので御座います。
誰が何と言おうと此の思いは、変わりありません。
皆様も、ご自身のお子様が成長なされたときには、自分のことのようにお喜びになられたでしょう?
其れと、同じことなので御座います。
職場の者の成長は、嬉しいことなのですから。
おや。
決して、配膳の手伝いが嫌だった訳では御座いません。誤解なきように。
さて、長噺が過ぎました。
食事の方に、噺を戻しましょう。
此れ以上噺を続けますと、料理人や配膳の者が拗ねてしまいますからね。
言い忘れておりましたが、此度の料理は、全て料理人が素材、味、産地などに拘った、お薦めの一品で御座います。
ですので、皆様の召し上がった料理の中には、伝統的な家庭料理な現代的な珍味の一品などがあったことでしょう。
お味の程は、如何でしたか?
実は、料理人のお薦めは、必ずしも人に好かれる訳ではないので御座います。
なにせ、各々の味覚の差が誰であれ、存在するもの。
辛いものがお好きな方がいるように、苦いもの、甘いものがお好きな方もいらっしゃるのです。
ですので、我々も料理人の腕は信頼しておりますが、些か、心配をしておりまして。
なんと、極上であったと?
其れは、其れは。
大変嬉しいお言葉で御座います。
此れには、料理人も喜ぶことでしょう。
後ほど、舞台の幕が上がりましたら、お伝えしておきます。
其れでは、舞台の続きと参りましょう。
此度の舞台は、恐らく先程のものに比べると、短い一作になるかと存じます。
ああ。
食事をしていた際の使用した机は、元の姿に戻して頂けると、幸いです。
映画の最中に戻されますと、折角の映画が台無しになってしまうので御座います。
ですので、どうか。
ご協力頂けますようお願い申し上げます。
では、では、皆様。
お席のご準備は如何程で?
おや。
用意が宜しいようで、安心致しました。
其れでは、此度の映画の始まりで御座います。
心の限り、お楽しみあれ。
お読みくださり、ありがとう御座います
日々微細ながら、語彙力を鍛え、読みやすい小説とは何かを学ぶ毎日を過ごしております
次回作をご期待ください




