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喫茶店にて

此れは、どこにでもいる人間の日常

いざ、開幕

曇天。


強い日差しが肌を突き刺し、生きているだけで気力を吸われるような茹だる暑さは、最早お隠れになりまして、凍てつく風が肌を掠め、出歩くだけで温もりを求めるような凍てつく寒さも、同じくお隠れになりました。


お席のご準備は、如何ほどに?

既に、お済みで?

ならば、結構。


此れより語るは、とある客人の思い出噺。

けれども、其の舞台となる喫茶店、何やら普通とは程遠く。


一体、何が違うのか。

まずはご紹介しなくては。




其れは、日々の喧騒や焦燥を忘れさせる、不思議な喫茶店で御座います。

其の姿は、海に漂う海月のように美しく、数多の人を魅了しておりました。


此処までご覧になった皆さまは、普通の喫茶店のようではないか、とお思いになる事でしょう。しかし、其れはお店の外見からは、抱くことのできない感想なので御座います。


何故か。


其の建物の姿が、お世辞にも、美しいとは言い難く。否、言葉を濁すのは止めましょう。


()()の様だからで御座います。


入り口には、物が乱雑に置かれて道がなく、外壁には、蔦が至る所に蔓延っている有様。

挙句の果てには、人の背丈ほど伸びた草が、其処ら中に生い茂っているのです。

此れには、世辞の方が裸足で逃げ出すことでしょう。けれども其の程度なら、まだ笑って見過ごせるという寛容な方がいらっしゃる事も存じ上げております。


其のようなお方には、或る事実を告げるのです。

其れは、情報の海(インターネット)を幾ら潜っても、此のお店の情報は得ることができない、というもので御座います。便利な文明機器も、此の場所では使えない物にならない、ただの鉄屑になるのです。


事の真相は、店主が極度の機械音痴であり、情報を発信しようにも。できないだけなのですが、其れは言わぬが華で御座いましょう。


如何です?

普通とは、かけ離れた姿で御座いましょう?


兎にも角にも。

一目で此処をお店だとには分るのは、難しいという事、ご理解頂けたかと存じます。


此れには、目を逸らしたくもなりましょう。けれど、其のような特徴的な存在感を漂わせているためで御座いましょうか。店内に入った者は、驚きの声を上げるのです。


理由は、単純明快。

此れまでの話が、外観に限った物だからで御座います。


其れにしても、此のような廃墟に入ろうとするとは。

随分と、勇気のある行動です。命知らず、とも言えましょう。しかし何処の世界にも、其のような変わり者はいるので御座います。

さて。其のような酔狂な者は、此れから目を疑う光景を、目の当たりにするのです。


其の光景とは。

皆さまご存じ、喫茶店で御座います。けれども、其れを知らぬ者は、今まで見ていた怪しげな雰囲気が、扉を開けた瞬間に、一変したのですから。

此れには、幾ら酔狂な者であれ夢か、と疑うこと、違いなく。


なにせ、外から見えていた蔦や雑草などが何処にもなく、代わりに在るのは、珈琲の芳醇な匂いと静かに響く包丁の音なのですから、疑うなという方が酷で御座います。


さて、此の時、此の瞬間。

此処に来た者は、二通りの行動に別れるので御座います。


一つは期待外れであったと、早々に踵を返し、帰宅する。


其れもそうでしょう。

廃墟を見に来たら、在ったのは喫茶店だった、とあれば笑い噺に違いありません。


では、もう一つは何なのか。

其れは、意を決して、店に入る、というもので御座います。


此方の方が一般的です。入る前には、必ず一悶着ありますが、其れを気にしたらお終いです。


一悶着の例でも、挙げてみましょうか。

其の喫茶店が、あまりに幻想的であったが為に気絶した者がおりました。其の光景を()()のようだ、と言い残し、其の後案山子のように倒れてしまったので御座います。


此れが此処の日常で御座います。


さて。そんな数奇な日常を送る此のお店。

とある規則(ルール)が御座います。其の規則とは「此の店に入った瞬間から、悪事を働いた人間であれ、善行に勤しんだ人間であれ、問題行動を起こさない限り、皆等しく客人である」というものです。


此の店では、善も悪も関係ない。

問題行為を起こさなければ、誰でも受け入れる、という店主の心意気の表れで御座います。


此の心意気も、普通ではあり得ない物なのかもしれません。

店主の言い分としては、此の店に辿り着く人が少ないのだから、問題はない、との事。


実際其の規則は、影のように薄い存在感をしていたものですから、何も言えないのでしょう。けれども規則は、在って悪いことはないのです。

勿論、違反者にはきちんと、罰則、制裁も用意されております。けれど記念すべき一人目は、未だに現れてはおらず、何の罰則があるのか、誰も分らないのです。

第一、自分の首を自分で絞めるような愚か者は、此の場所に来ないので御座います。其の様な者は、此の外見を見た瞬間、興味を無くし踵を返します。


此れが、此のお店の治安のよい理由なのでしょう。


さて、此の時。

来客は初めて、喫茶店へ入店の許可を得るので御座います。


客が、店を選ぶのでは御座いません。

店が、客を選ぶので御座います。


今迄の来客への対応は、客人ではなく訪問者という扱いだったのです。混乱される方もいらっしゃるかもしれませんが、此れも規則の一つなのです。


では、其のような規則があるお店の店内は、どの様な姿をしているのか。


気になった方もいるでしょう。其の姿、ご説明致しましょう。


店内は、暖色系の電飾によって、明るく照らされ、隅々まで見渡せるようになっておりました。賑やかな客人同士の会話が耳に入り、其の楽し気な姿に、皆さまの気分も上がることで御座いましょう。

木製の机や椅子が並ぶ店内の、とある客席(カウンター席)では、注文した料理が目の前で見られるようになっていました。或る客人が、食事を注文したのでしょう。料理の匂いが鼻孔をくすぐり、食欲が増してきます。今では珍しくなった、喫煙室もありました。

そんな賑やかな店内は、美しいクラシック調の音楽が旋律を奏でられ、其の姿、高級レストランさながらの、出来栄えなので御座います。


誰が、あの外見から、此のようなお店を予想できましょう。

皆さまも、此のお店に来られたら驚かれること、間違いなし、で御座います。


そんな面白い(おそろしい)空間にいるからでしょう。

客人たちの中には、此の場所は泡沫の夢であり、目覚めたら消えるのだ、と信じて疑わぬ者までいるので御座います。


実に見事。

其れ以外の言葉は、出てきません。


外見との違いも、此の印象を裏付けているのでしょう。けれど客人たちの一番の驚きは、其処ではないのです。


客人たちに、様々な驚きを与えてくれた此のお店。

最早、此れ以上に何を驚くことがあるのか、と思われるかもしれませんが、客人たちは其の景色を目の当たりにすると、必ず驚きの声を上げるので御座います。


其れとは、何か。

応えは、多種多様な洋風な茶器の数々で御座います。

国内の物や、国外の物。現代作家の物もあれば、昔の作家の物まで。

多彩な茶器が、まるで兵隊のように、一糸乱れぬ美しさで並べられているので御座います。

どうやら、珈琲を注文すれば好きな茶器を選べるという素晴らしい形式(システム)のようで御座います。此れを目当てに来る客人も居るのだとか。

是非、皆さまも此のお店に来た時にはお試しあれ。


其の様な事を言っても、疑問が残るお方もいることで御座いましょう。お店を経営するのであれば、客人が来なければ経営を続ける事が難しい。

其の事実は皆さまもご存じの筈。

幾ら素晴らしい料理の腕をしていたとしても、利益を上げなければ意味を成しません。子供でも知っている事で御座います。


其のためには、店の外観は美しい方が良いでしょう。客を選ぶような真似も、痛手であることに違いありません。


何故。

或る客人が、其の理由を理解出来ず、明るい性格の店主に、尋ねたことがありました。すると、店主は困ったような顔をして、此のように応えた様でした。


「いや、さすがに驚きますよね。こんな外見をしてるんだ。驚くなって方が無理でしょう。けど、まあ。元々立地が良くて、価格が安いとこ探してたら、此処を紹介されまして。しかも、絶対に崩れないって言うもんですから。怪しさは満載ですがね。けど、いいなぁって思っちゃったもんですから。ほら、第一印象が大事って、どっかのお偉方も言ってたでしょ。それに、外見だけ見てるような人じゃあ、気付かないでしょ。物の本質ってやつは」


子供のように無邪気で、向日葵のような爽やかな顔だったそうです。


しかし、物の本質とは。実に哲学を象徴するような言葉が出て参りました。

確かに、此のような廃墟じみた店に来るのは余程の物好きか、好奇心が服を着て歩いている人間のみでしょう。

希少で御座います。絶滅危惧種のような希少性で御座います。


けれども、存外。此の喫茶店には、様々な客人が来る事も、事実なのです。


例えば、大学生の青年や博識なご老人。若手の歌手に売れない舞台俳優。さらには、世界的に有名な映画監督に至るまで。

実に、多種多様な方々が此の喫茶店に来るのです。


不思議な程に大人気な此のお店。此度の舞台に、最適で御座います。


嗚呼、説明が済んでおりませんでした。

此度のお噺の主役は、とある二人組で御座います。けれど、突然其の様な事を申しても、困惑なさる事で御座いましょう。ですので、下準備として、其の二人組を尋ねた者に、噺を伺って参りました。

すると、実に面白いことが分ったので御座います。


其の二人組。

とある客人の噺では、祖父と孫であるのだと言うので御座います。しかし、別の客人の噺では、友人関係であるのと言うので御座います。

此れはどういうことか、と尋ねた者も気になりまして、其の二人組の共通の知り合いに見つけて、尋ねてみたそうなので御座います。すると、分らない、と言われたのだとか。


否。其れは此方の台詞だ、と尋ねた者は叫びそうなり、其の時の状況を思い出したのか、愚痴の雨を降らせておりました。愚痴の数々は、此処では省略させて頂きます。余りに意味の分らない愚痴もありましたので。何故、二人組の情報を聞いたら、蛙の話になるでしょう。不思議です。


しかし最大の疑問は、何故、此のように意見の食い違いが起きているのか、という事で御座いましょう。尋ねた人が、見ず知らずの人だからだ、と言われたら確かに、其の通りなので御座いますが。知り合いの話では、其の限りでは無い事も分っておいでの筈。


では何故か。

実は、此れには或る事実が関係していたので御座います。

其れは、当の本人たちが、周りにどのように思われようと、気に留めず、興味もなく、秘密などを共有できる程の間柄の友人が、彼らには、縁遠い話であったという事でした。


此のような事実の結果、必然的に彼らの関係を知る者は、少なくなったので御座います。

何とも単純な事で御座いました。


何故、其のようなことまで分ったのか?

其れは、企業秘密で御座います。


さて。

此処まで、色々言ってはきましたが、肝心の其のお二人に興味がなければお噺になりません。


此処で皆様に一つ行動をして頂く必要が御座います。


其れは何か?


進まぬのならば、退場を

進むのあれば、入場を


至極、簡単なことで御座いましょう?


さて、進む方を選ばれたならば

此れより先は、彼らの舞台


では、では

皆さま、ご着席願います


皆さまがお気に召されますことを、心から願っております


其れでは、開幕と致しましょう

彼らの数奇な人生を、心行くまでご堪能あれ



序章



今日も今日とて大層な人気を誇る、この喫茶店を見渡しながら、私、古川ふるかわ みつるは、友人である老人、霧雨きりゅう 雄一郎ゆういちろうに向かって言った。


「相も変わらず貴方あなたの勧める店は外れがないね。ここに初めて来た時は、本当に驚いたけど」


実際に、私がこの店に初めて来たときは、この友人の正気を疑ったほどだ。しかも、喫煙室を宴会場だと間違えるという失態も犯した。思い返すだけも、酷い思い出だ。


すると、老人は、その時の事を思い出したのか、笑いながらこう言った。


「おや、あの時の貴方きみは、わざと間違えたのではなかったのですか?あの時の貴方の顔はとても面白かったですよ。あのまま訂正しなければ良かったと今では後悔している程です」


「感謝の言葉しか出てこないよ。この場所を勧めてくれたことにね」


私にできる、最大級の嫌味だ。


「おやおや。そう機嫌を悪くしないでください。僕は好いと思った店を貴方きみに紹介しているだけですよ。それに、貴方もこの店を気に入っているでしょう?」


そう言った友人は、先程注文していた紅茶を一口飲んで、再び口を開いた。


「それに、貴方(きみ)が此処に来るのは、今日で三回目でしょう。どうです?このお店にもそろそろ慣れたのではないですか」


確かに、この店に来るのは、三度目になる。

だからと言って、気にしなくなるのかと言えば、話は別だ。甘味(スイーツ)一色の店に、男が一人で入っていくのが気まずくなるのと同じこと。慣れることはない。それに一人で道に迷わずに辿り着ける自信もない。

そんな事を思いながら、私は目の前の人物に向かって、拗ねたような口調で言葉を吐いた。


「そんな訳ないよ。確かにこの店は好きだけどね。それに、未だに外見との違いに慣れなくて、貴方(あなた)と一緒に行く時しか、この店に入れないんだ」


「おや、まだ慣れていなかったのですか。では、次は一人で行けるように待ち合わせ場所を変えましょうかね」


「本当にやめてくれ。自信がないんだよ。私が気弱な事は貴方(あなた)も知っているだろう」


多分、私がこの店に慣れるには、10年程歳月が必要になるのだろう。そんな事を思いながら会話を続ける。


「でも、うん。貴方あなたの店を選ぶ感性(センス)には毎回驚かされるね。誇ってもいいくらいだよ。自分はこんなに良い感性(センス)を持っているんだぞってね。けど、偶には、私以外の友人でも誘えば良いと言ったじゃないか。きっと喜ばれるよ。いや、誘っても来る人が居ないか」


「此れは手厳しい。しかし、貴方(きみ)は本当に口が上手くなりましたね。最初に出会った時とは大違いだ。あの時の方が可愛げがある。けれども、気を付けてくださいね。その口の上手さが誰かを傷つけることもあるのですから。ですが、貴方と話す方は宝石のように貴重ですからね。そんな事にはならないでしょう。それに僕は、貴方とは違って相手によって態度を変えたりはしませんよ。みつる君」


とんでもない意趣返しである。


例えを上げるのならば、そう。

猫のような俊敏さで、相手の首筋を噛みつこうとした途端。哀れにも、相手にしていた犬に、首筋を掴まれ、身動きが取れなくなり、最後には、その強靭な顎で体ごと噛み砕かれたようなものだ。最早、私の吐いた毒舌が可愛く思える。毒舌には変わりはないが。


それだけではない。

私が彼以外の友人に対して、猫を被っていたこともばれている。しかし、そのような事は些事だ。私の呼び方が、みつる君になっているという事実。その事実が、私の心に焦りを呼び思考を縛り付けるからだ。友人が私のことを名前で呼ぶ時は、八割九割苛ついている時なのだ。


()()()()()()


その言葉が私の心を支配する。

どうやら私はこの時、怯えた子猫のような顔をしていたらしい。友人が後から教えてくれた。しかし、そんなことを知らぬ私は、小指の先ほどの罪悪感と全身を駆け巡る悪寒で頭が回らなかった。

今の私の心にあるのは、この気まずく、辛い空気を変えたいという一心のみ。このような空気になったのは自業自得だが、それとこれとでは話が別なのだ。


「それじゃあ世間話もここまでにして本題に入ろう。今日はなんの話をするんだい?」


無理矢理にでも対話の内容を変えようと必死だったからなのか、お得意の毒舌など見る影もなくなっていた。しかし、それよりも大事なのは私の精神的な安全だ。優先順位が違う。

私は彼の機嫌が直ってくれるよう心の中で祈りながら、友人の次の言葉を待った。


すると友人は、紅茶で喉を潤し、顔には笑みを携えていた。先程の苛つきが、嘘のように穏やかな表情に、様変わりしていたのだ。


実際には苛ついていたのではなく、揶揄われていたのだが、そんなことは藪の中。

そして、彼は、悪気のない顔で笑った。


「そうですね。いつものように貴方との歓談を愉しむのも一興ですが、今日は趣向を変えて僕の思い出話に付き合ってください。言い方は気に障るかもしれませんが、飲み会で上司の自慢話を聞かされるようなものですよ」


その言葉に、私は先程の言葉遊びの事など忘れ、内心意味の分からない例えをするものだと首を傾げた。


「お忘れかな、私はまだ学生だよ。だから飲み会の上司の自慢話はまだ経験したことがないんだ。けどその言い方だと好いものではないだろう。好きな話題が出た途端に、いつも寡黙な人が突然饒舌になって、歯止めが利かなくなるのと、きっと同じことだね。それとも授業中に突然始まる教授の自慢話の方が合っているかな。どちらにしろ、貴方あなたが話をするんだったら別だ。貴方の話は全てが面白いからね。何時間でも付き合うよ。夜まで話してくれてもいい位だ」


私は喉を潤してから、愉快そうに言葉を紡いだ。


「とても、気になるね。どんな愉快な思い出話を聞かせてくれるのかな?」


その姿はまるで、世紀の大発見を液晶越しで見るかのような、ずっと待っていた漫画の新刊を購入するときのような、顔であったのだろう。

一瞬を見逃さないように目を光らせる、狼のような顔の方が適切だろうか。自分でも口角が上がっているのが分かったからだ。


そんな私の表情を見て、揶揄うように彼は夜まではさすがにかかりませんよ、と愉快そうに笑いながら話を始めた。


「そうですね。僕が初めてその場所を知ったのは、もう何十年も前のことになるでしょうか」

彼は口元に手を当て、呟いた。


彼の白髪交じりの短い髪が、揺れている。

猫背を知らぬ、伸びた背筋が、彼の品位をよく示していた。私はその姿に毎度の如く、目を奪われる。なんと、言い表せば良いのだろうか。(カリスマ)という言葉が合っているのだろうか。

残念ながら、私は彼の姿を適切に現せる程の語彙力を身に付けていない。

これほど悔やまれる事は、他にない。唯一分かることは、存在感が違うという事だろう。

実は、私はその美しい姿に見惚れながら、友人の話を聞くのが密かな趣味だった。

理由は単純、彼ほど所作が美しい人を私は見たことがなかったからである。最早、数千円払って、答えのない問い(マナー)講師に答えのない問い(マナー)の基礎を一から習うのが、馬鹿馬鹿しいと感じたほどだ。


そんな事をするよりも、彼の日頃の動作を見て、学んだ方が良いのではないか、と思うほど彼の所作は美しく、洗練されたものであった。


そんな彼との出会いは、ありきたりなものだ。三年程前、学校の疑問の解消(レポート)に追われ呻いてた私に、偶々同じ店で食事をしていた彼が私に声をかけてきたのが始まりだった。その場限りで関係を断つと思っていたのだが、不思議なことに今でも交流が続いているのだから、人生とはよく解らない。


そんな彼は、いつも優しげな笑みを浮かべ、物腰が柔らかそうな印象を人に与える。

その姿はまるで、孫を見る年配の方のようで、その雰囲気には手放しで称賛し、尊敬の念を贈る事しかできないのだ。これが人間性というものだろう。


しかし、彼と会話をしていると、私は毎回不思議な感覚に陥る。


まるで海を泳ぐ鯨を眺め、その大きさに驚く小魚のような、森の雄大さに感激する探検家のような感覚が合っているのだろうか。


彼の声がよく響くからだ。そんな事をなにを大げさに言っているんだ、と思われるかもしれない。最早、そう思う人が大半だろう。


しかし、彼の声は、まるで沈黙を鋭利な刃物で切り裂いているかのような印象を受けるものなのだ。

声量が大きいというわけではない。けれども、彼が話し始めたその瞬間から、彼の話す声以外、何も聞こえなくなるのだ。


この言い方だと、語弊があるかもしれない。

そのような宗教なのではないか。そんな見当違いを起こされたら、私は弁解できるような語彙力を持ち合わせていないため、誤解などあってはならないのだ。

想像するだけで、恐ろしい事この上ない。


例えるのであれば、そう。

好きなことに集中して、いつの間にか時間が過ぎてしまっていたような、小説を読みふけっていたら、いつの間にか休息など頭に無く、就寝時間に迫っていた時のような、あの感覚が言葉としては適切であるといえるだろう。


しかし、今は未だ昼下がりで、鳥の声や車の騒音、喫茶店の客人の声や、店主の声も聞こえていたのだ。

そのような時ですら、彼が話を始めると、彼の言葉以外、どれ程微細な音でも、私の耳には入ってこなくなってしまうのだから、不思議な事もあったものだろう。


このような不思議な事も、幾度も経験すれば慣れそうなものだが、残念ながら私は、未だに慣れることは出来ていない。通算幾つになるか定かでは無いが、軽く三十は超えていることだろう。

私は、彼のその姿に敬意を抱きながら、彼と会話を続ける。その姿は、まるで恋する乙女のようなものだな、と大学の友人が言っていたが、あながち間違いではないだろう。

確かに私は彼の姿に焦がれ、彼に、この胸の内を彼に知らせることがないように、思考に蓋をしながら会話を続けているという事実があるからだ。


さながら、心を無にする修行僧のようにも見える。

しかしこの言葉には、一つ間違いがある。

それはこの感情は友愛であり、敬愛であるということだ。決して恋愛感情ではない。決してそのような間違いを犯してはならない。

ここでは青春群青恋愛劇など起こらない。

誰に対して弁明しているのか解らないが一応言っておこう。起こりはしない。

それが唯一の間違いだ。


しかしこのままでは、ボロが出るという事も私はよく知っている。実際にそのような経験をした事もある。

故に、無理矢理自分の思考を変えるために

「私は丁度、貴方(あなた)が幾つなのかを気になったところだよ」等と宣うのだ。

このような事を続けていたおかげで、人と話をするのが、昔よりも苦でなくなった。これが一番大きな誤算だ。思い返す度に、嬉しいような、嬉しくないような複雑な心境になる。


「けど、貴方の過去など到底想像ができないな。

これで学校を抜け出して様々な悪戯をしていたとかだったら面白いけどね」


最近はこのような、少し意地悪なことも言えるようになったのだ。成長している。茶化しながら言うのを忘れないようにしなければならない。そうでもしなければ察しの良い彼のことだ。何かの拍子に気付かれる可能性がある。


そんな私の胸の内など、微塵も知らず、彼はため息をつきながら、昔の自分の失態などを思い出したのか、苦い顔を浮かべた。


「六十と少し年を重ねただけですがね。それにあの時の僕は、まだ少年といわれるような年の頃合いでしたからね。世の理など知らず、毎日泥にまみれた服で野を駆け回る、呑気な子供だったのですよ」


「本当かい、信じられないな」


気が付いた時には、声が漏れていた。今とは似ても似つかない、とてもかけ離れた姿であったから、信憑性が無かったのだ。


今の彼の装いは、美しい上下黒一色の装い(シャツ、ズボン)であり、比較的ありきたり(シンプル)な物なのだが、腕時計や銀色の眼鏡がよく映える、計算し尽くされた服装なのだ。まるで、優雅に紳士の社交場で話し合いを愉しむ、人当たりの良いご老人のような雰囲気だ。服装だけで、これだけの存在感を漂わせているのだから、信じられないのにも、無理はないだろう。


けれど、人は成長するものだ。

着る服も、纏う雰囲気も変わることがあるだろう。そんなことを心の中で思いながら、私は自分の服装を見返してみた。

洒落た装飾品は何も身に付けず、使い古された灰色の装い(シャツ、ズボン)

(ファッションセンス)の欠片も感じさせない、自分でも、もう少し服装に気を配るべきだったと後悔をしているような有様だ。

解りやすく言うと、彼の服装と私の服装は、月とすっぽん、宙と地のようなものであるということだ。


「けど、貴方の出生は今まで聞いた事が無かったから新鮮だね」


そう。

実は、このとき、私は初めて彼の身の上を聞いた。幾ら交流があったとはいえ、誰が自分の身の上など誰が好き好んで《すきこのんで》話すのか。話すこともないだろうと思っていたし、実際、今まで話すこともなかった。

私が自分の身の上を話したくないのも主な理由だ。


「そうですね。今まで話す機会もなかったですし、貴方が言いたくなさそうにしていましたからね」


「気付いていたのかい。てっきり気付いていないとばかり思っていたんだが、勘が鋭いね」


こんな問答を繰り返しながら、本命の理由は解っていないという事実に安堵した。

本命の理由とは、()()()()()だ。

彼は様々な知識を私に共有してくれた。私も持ち得る様々な彼に知識を共有していたので、その意見交換の場が身の上の事情よりも魅力的だったのだ。「知識は此の世で最も素晴らしい宝である」と言ったのは誰であったか、よく言ったものである。


しかし、その結果が現状である。

少しは反省をした方が良いだろう。しかし、後悔はしていない。この要因は、私たちが根っからに知識欲の塊だったからなのか。はたまた、彼の話し方が上手いからなのか。その両方か。真相は当人達でも知らぬこと。


けれど、決して興味がなかったわけではないのだ。言い訳がましくなってしまうことは自覚しているが、彼の頭脳の知識がどのように形成されたのかには興味があったのだ。

故に、彼の生まれの話は大変興味深く、私は好奇心を抑えることができず、目を輝かせながら、彼の話に耳を傾けた。


「それでは、続きを話しましょうか。そうですね。僕が住んでいたのは、いわば、田舎と呼ばれるような土地でした」


ゆっくりと、昔話を幼子に聞かせるかのような声だった。彼は自分の故郷を思い出しているのだろう。その風景に浸り、懐かしんでいるようだった。


「空気の澄んだ美しい土地です。山では木々が生い茂り、動物も様々なものがいましたよ。鹿に鳥それに栗鼠のような小動物もいました。まさに天然の生きた動物の博物館、動物の見本市のようなものでした。季節ごとに様々な作物が採れましてね。春には土筆やからし菜、菜の花が採れました。夏には野苺が採ったり、川で魚を採ったりもしました。秋には様々な茸が採れましたね。冬は植物は少ないので苦労もしましたが、それも今となってはいい思い出です。そんな自然の豊かな緑豊かな土地でしたよ」


まるで、秘密を打ち明けられているかのようだった。高層ビルの立ち並ぶ私の出身とは比べものにならない。

羨ましくも思えてくる。


「そこでの生活は何も不自由がなかった、とは言い切れません。それでも、自分の生活のことを不自由だと思ったことはありませんよ」


「そうなんだ。でも、そんな生活は憧れるよ。私も一度そんな生活を送ってみたいな」


「良いものですよ、何より空気がおいしい。」


「最高だね」

間髪入れずに言った。

確かに、自然が豊かだと排気ガス臭くないだろうし、車の往来で咳き込むこともないだろう。

実に、素晴らしい環境だ。


「さて、話を戻しましょうか。母は博識で様々なことを教えてくれました。その知識の多さには、母の頭の中には、辞書が入っているのだと子供ながらに思ったほどです。僕の知識の大半は母のおかげなのですよ。父は寡黙な人でしたが、よく仕事を手伝ってくれ、と私を畑に連れていって、稲刈りや野菜の採集など、これまた貴重な経験をさせてくれました。その時の事は今でも色褪せることはありません」


幼少期の思い出は、大人になっても貴重な物だと理解はしていたが、ここまでとは思わなかった。様々な事を知っているのと、経験しているのとでは大きな差がある。幼少期から、様々な事を経験してきた彼だからこそ、その知識を活かすことができるのだろう。


「なるほどね。貴方あなたの博識さは、母親からのものだったのか」


私は自分の疑問が解消されるかのような、胸のつっかえが取れたような、晴れやかな心持ちになった。


「ええ。仰る通りです。しかし、虫を取り、悪さをしては母に叱られる、そんな平凡で穏やかな日々でしたよ。学校には通っていましたし、決して多くはありませんが、代えがたい友人にも出会えました。その経験も今の僕を形作っているのでしょうね」


すると、彼が急に言葉を止め、眩しいものを見るかのような、愛おしい我が子を見守るような顔をした。そんな顔に私が興味を引かれない訳もなく、彼の次の言葉を静かに待った。


彼は、あの人にあったのもそんな時でした、と記憶の中から宝物を手繰り寄せるかのように言った。


「年の数は覚えていませんが、一桁か二桁になった頃だったでしょうね。ちょうど冬に降った雪が解けた時期のことでした。山が衣を羽織ったように美しい色に染まっていたことを今でも覚えています」


少し意外だったのは、この友人が詩的な表現を好むことだろうか。いつもは、そんなことはないのだが、今日は気分がいいらしい、と言うよりも饒舌である、と言った方が正しいような気がする。


「春は様々な花が顔を出すでしょう」


その景色を思い出しているのか、彼は少し楽しそうに見えた。

私はそうだね、と言いながら、思考を巡らせた。


春は芽吹きの季節と言える。そして文学の世界でも、春という存在は偉大だ。古今東西、此の世界の至る所で花を愛でる文化がある。

四季に優劣をつけるわけではないが、桜や梅などを題材にした作品が数え切れないほどある事は事実。


冬越えをした花々を愛でるのは、遙か昔の雅で美しい平安時代から、今この瞬間、発展を遂げる現代まで続く、永き色濃い素晴らしい習慣であるといえるだろう。


春は桜、牡丹、桃、梅、藤、数えきれないほどの花々が咲き乱れる。


そう。

花の饗宴の如く、ひしめき合い、絨毯のように一面に咲く花があるかと思えば、それとは対極的に、独り芝居の如く、孤独を楽しみ、ひっそりと誰にも悟られぬよう、隠れているような花もあるのだ。


まさに千差万別、多種多様な個性の花が踊るように咲いている。

そんなことを頭の中で考えていた時だった。


あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます、と彼が言った。

力強い宣言のような言葉だった。


「僕は特に行き先があるわけでもなく、春の花々の数々の観察に身を委ねて、直感を信じて山を歩いていたのですよ。そんなことをしていたからでしょうね。どれ程歩いたのか解りませんが、自分の見知らぬところまで来ていましてね」


絶句。

もはや驚いて声も出ないとはこのことか。

否、ほとんどの思考を巡らせて返答が雑になっていた私が、こんなことを言えるような立場ではないかもしれないが、改めて言おう。


絶句。その言葉に尽きる。


そして、この友人に少年のような冒険心があったという驚きと、子供ながらの好奇心による無鉄砲さに対しての恐怖。二つの感情で、私の頭は数秒間思考を止めた。

しかし、山での迷子など命にかかわる。

言葉を選ぶという事もせず口から言葉が漏れた。


「よく、そんなことがあったのに無事だったね」

現状、私ができる精一杯の返答だった。


「ええ。本当におっしゃる通りですよ。そんなことがあったものですから。いつものお叱りの比ではないほど、怒られなと覚悟を決めましたね。かといって、このまま山道に留まるわけにもいかないでしょう。まずは開けた場所に出ようと、足を進めようとした、その時でした。それは、それは、美しい白い洋館が姿を見せましてね」


彼はその洋館の姿が、今、私の目の前にあるかのように話す。


「まるで、その場所だけここではない。どこか異国の地なのではないか、と思わせる雰囲気さえありました」


その姿を、思い出しているのだろう。

友人は今まで見たこともないほど楽しそうに、目は子供のように輝きだし、口数は多く、早口になり、その洋館について話しだした。


「その洋館は実に見事だしたよ。息を吞むほど美しいという言葉を、貴方もご存じのことでしょう。あの言葉は、この洋館を表すためだけに生まれたのだと錯覚したほどですよ」


「なるほどね」

その洋館には、まさに建築美という言葉がふさわしいのだろう。

今まで友人は私と話すとき、此処まで饒舌になるようなことはなかった。聞いている私まで楽しくなる程であった。無論どんな話でも楽しいのだが、それは野暮というものだろう。

そんなことを考えていたら、上機嫌な友人は更なる言葉の雨を私に降らせた。


「僕はそれまで洋館を実物は見たことがなかったんですが、本で数回、見たことがありまして。しかしこんなところに洋館があるなど考えられらかったものですから、最初は幻覚ではないかと疑ったほどです。なにせ、山で遭難した先で見つけた美しき建物です。最早、桃源郷のようなものではないかと疑ったほどでした」


確かに、この友人が楽しそうに話しているから忘れかけたが、当時の彼は山で遭難中なのだ。

この洋館が現実なのか、それとも、幻想の類なのか。その判断すらも危うくなっていたのだろう。


けれど、そんなことは些事であるかのように友人は話を続けた。決して些事ではないと思うが、というか些事にしないでほしいが。

まあ。

その時の彼にとっては、そんなことはどうでもよかったようである。少年の好奇心を止めることは難しいのだ。


「その洋館はまるで、純白な祝服(ドレス)を身にまとっているような、そんな美しさでしたよ。それだけではありません。その美しい姿に装飾を施すかのように、薔薇が絡まっていましてね」


この友人はひょっとして詩人なんじゃなかろうか。でなければ、こんなに素晴らしいほどの表現を、口から二酸化炭素を吐き出すが如く話したりはできないだろう。

そんなことを思うくらいには、私の頭は彼に圧倒されてしまったのである。


「その姿はなにかの生き物に覆われているかのようでした。そうですね。例えば、肉食動物が草食動物を食べる時のような、言い方が悪いかもしれませんがね。けれども、とても似ていると思うのですよ。まるで捕食者と被捕食者のような、そんな雰囲気があの洋館にはありました。血液のように赤い色をした、不気味で。けれども、美しい薔薇が洋館を囲むかのように咲いていたのです。僕はその姿があまりにもが美しかったので、洋館そのものが薔薇の養分であるかのように感じたのです」


老人は笑っていたが、そこまで言われれば見たくなってしまうのが人の性である。


古来より、人は欲深いものとして知られているのだから、これは仕方がないことなのだ。

神話の世界からのお約束である。

そんな現実逃避じみたことを頭の中で思いながら、話を聞いていた時だ。


「まあ、そのまま立ち尽くしていても、仕方がないと思いまして。洋館の扉を開けることにしたんです」友人はそう言ってほくそ笑んだ。


その姿はまるで自分の巣穴に食材を招きいれる蜘蛛のようだった。

大幅にストーリーを変更致しました

編集回数が多く申し訳ございません


そして、そのような不手際をしながらも

お読みくださる読者の方々には

感謝の言葉が尽きません

ありがとうございます


改めて、この度はストーリーの変更

申し訳ございませんでした


それでも読んでくださる読者の方のご支援を糧に日々努力していく所存です


此処までお読みくださり

ありがとうございました


次回作をご期待ください

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