ほら吹き地蔵 第五夜 生きてる内が花。死んだらそれまで
【お断わり】今回も三題噺ではありません。
ボクのうちの裏庭に、かなりいいかげんなお地蔵さんが引っ越して来ました。
でもまあ、とりあえず、ありがたや、ありがたや。
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【1】
啓子の事なんか好きじゃなかった。
あいつがボクの彼女を盗ったから、あいつの女だった啓子を奪い返してやったんだ。
最初はあて付けの積もりで啓子と寝た。
啓子は「せめてものお詫びに」と泣きながらボクを受け入れたが、だったら、なんでこの女は今でもボクの部屋にいるんだろう。
なんだかんだ言って、ボクの本もDVDも処分させ、この女のガラクタばかりが場所を塞いでいるのは、なぜなんだろう。
最後に啓子と寝たのは、いつだったろう。
愛のあるセックスなんて一度もした事はない。少なくとも、ボク・サイドはそうだ。
そのうち啓子は「今日は避妊しなくても大丈夫だ」などと言い始めた。大丈夫なはずがない事は一緒に暮らしていれば分かる。
遊んでいられる年齢が終わりかけている事は、啓子もボクも意識していた。
妊娠を盾に結婚を迫る積もりの下心に、なんとも言えない嫌悪感を抱いた。
啓子もボクも社会人だった。
ボクは「社会的責任には結婚も含まれる」だなんて、いまどき流行らない考えに同意した覚えはないが、啓子は社会の側に立った。今や彼女がボクの社会だった。
ボクが選んだのは元カノとの復縁だった。
ボクの親友だったあいつは、流行り病でコロリと死んだ。葬式すら開いてもらえず。
久しぶりに、ボクのSNSに元カノがダイレクト・メッセージを送って来た。
ついホロリとして返信してしまった。
彼女はアドレスを変えていた。もう一度ブロックすればいいだけの話だったが、それをしようとしなかったボクもボクだと思う。
別れた女房(言葉の綾だ。もちろん結婚なんてしていない)に未練はなかったが、いざ死なれてみると、親友だったあいつとの友情が息を吹き返した。
転校して一人ぼっちだったボクに、あいつが声を掛けてくれたのは事実だ。
もしもあれが無かったら、ボクの高校時代はゼロだった。
所詮、啓子は「今は亡き親友の元カノ」に過ぎない。
今、一緒に寝ている女は「親友とキャッチボールした女」に過ぎない。
ボクは出家でもしたい気持ちだった。
それとも、どこか遠い国で野垂れ死にでもしてやろうか。それくらいの金と元気は、まだあるから。
ある深夜、ボクは車に当て逃げされた。
場所が悪かった。人通りの稀な山の中だったのだ。
歩行不能だった。呼んでも声は届かない。誰にも届かない。
両足からの出血が止まらず、半日のたうち回ってボクは死んだ。
【2】
その後になって、やっとお地蔵さんが現れた。
「こっちへ来い」とボクに目で告げた。
連れて行かれたのはルーレット・テーブルの前だった。
ボクの行き先はルーレットで決めると言う。
行き先とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の、六つのうち、どれかだ。
「決めるのはルーレットだ。生前の行いは関係ない。ただ、持ち金をベットしておけば、生まれ変わった後の苦痛が賭け金の分だけ軽くなる。もちろん、全ての目に賭け金を平等にポートフォリオしてもよい」とお地蔵さんに言われた。
「賭け金なんて無いよ」と返したら、「貸してやる。転生後に返してくれれば良い。利息は十日で一割だ」と言われた。
死んだ後で、これほどアコギな目に遭うとは思わなかった。
【3】
今、ボクがいるのは天道だ。
とても安楽で快適な世界だ。
お地蔵さんへの借金は耳を揃えて返す事ができた。
これで、しばらく時間が稼げる。地球時間で一千万年くらいは。
その後、またも、なぶり殺しが待ってるらしい。今度のは、あの交通事故死の比じゃないそうだ。
「オマエと関係した二人の女は、来世は人間の姉妹になったよ」とお地蔵さんに教えられた。
どっちが姉なんだか、少しだけ興味があった。
それからほどなく、二人とも海外医療支援団体のボランティア医師になり、爆撃機に誤爆されて二人とも即死したそうだ。
「賭け金が足りなかったんだよ。二人とも、地獄道、餓鬼道、畜生道のハイリスク・ゾーンに賭け金を傾斜配分していた。そのせいで、人道に堕ちた時のリスク対策が手薄になってた。『そのやり方は、どうかと思うよ』と警告はしたんだがな。」
まるで、ひと事みたいにお地蔵さんは言った。いや、実際、ひと事だったんだろう。
次のルーレットで、ボクが人道に堕ちる可能性は六分の一。
人道で悟りを開く可能性が一億分の一だとして、六道輪廻から脱出できる可能性は六億分の一。
人道にいる間に、切れば血の出る仏さまに出会えたら、悟りの可能性はもうちょっと上がると思うが、そんな虫のいい事は期待できない。
それでもいい。次こそは心正しい自分でありたいと思う。
問題は、その「正しい/正しくない」を一体、誰が決めるのか、ボクには分からないと言う事だ。
【4】
「君が次のステージで何をしようが、何をすまいが、それはバラ色の人生なんだよ。人間じゃなく、ミミズやミジンコに生まれ変わったとしても。だから不安がらずに迷って来い。無間地獄で火に焼かれるのも悪くはないぞ」とお地蔵さんは言った。
本当に無責任な人だなあ。
いや、悟りの境地って、案外こういうものなのかもしれない。