09.突然の求婚
その日の晩、義父は帰宅すると本物のカール様から届いた婚約破棄の手紙を読んで、激怒した。
「なんということだ!! せっかく私がおまえの相手を見つけてきてやったというのに……!! 婚約破棄されるとは、本当に役立たずめ!!」
そう言って身体を蹴り飛ばし、床に倒れ込む私を更にギロリと睨みつけた。
「情けないわねぇ、あんた。三男坊なんかに婚約破棄されて。ふっ、いい気味」
「本当に娼婦にでもなって、今まで育ててやった恩を返せ!!」
義姉にも笑われて、義父には唾をまき散らしながらそんな罵声を浴びせられ、涙も枯れた私はふと思う。
……本当に、惨めで情けないわね。
父や母に会いたい……。
私のことを、本当に唯一愛してくれた人……。
そう思ってただ床に座っていたら、それすらも気に食わなかったのか、義父は私の腕を掴んでぐいっと立ち上がらせた。
「……っ」
「来い!! 娼館に売り飛ばしてやる!!」
蹴られた場所を強く掴まれ、痛みが走る。そのまま私を引きずるように玄関へ向かう義父。けれど私にはもう抵抗する元気も残っていなかった。
結局私は、この人に一度も必要だと思ってもらえなかったのね。
すべてを諦めかけた、そのときだった。
玄関から「こんばんは」という、とても透き通った声が響いてきた。
……聞き覚えのある声だわ。
「……む、誰だ。こんな時間に!」
イライラとしたまま私を乱暴に投げ捨てて、義父は一人玄関へ向かう。
その勢いで私は再び床に倒れ込んだ。
「なっ!? なんですか、あなたたちは……!! ちょっと、勝手に入られては困ります!!」
すると、何やら騒がしい音とともに義父が喚き散らす声が聞こえてきた。
やってきた客人は、どうやら一人ではないようだ。
「ちょっと、いくら王宮騎士の方だからといって、伯爵である私の屋敷に勝手にあがるのは――!」
「申し遅れました。私は第三騎士団で団長を務めております、ルディアルト・ヴァイゲルと申します」
「……!? 団長……!? ヴァ、ヴァイゲル公爵の……、ご令息!?」
「ええ。お邪魔してもよろしいですか?」
「ど、どうぞどうぞ、汚いところですが……!」
……ヴァイゲル公爵様の、ご令息?
声でわかっていたけれど、やってきたのはルディさんだった。
ルディと呼べと言い、気さくに私と話す彼は他のことは何も教えてくれなかったから、今まで知らなかった。
けれど、まさかルディさんが公爵家のご令息だったなんて……。
ヴァイゲル公爵家はこの国に名立たる名家の一つで、かなり高位のお家だ。
社交の場に顔を出さない私でも知っているほどに。
それに、団長様だったことにも驚いた。騎士団長様がわざわざこんなところへ手紙を届けに来てくれていたの?
私はルディさんのことを、何も知らなかったのね……。
「大丈夫ですか?」
床にへたり込んでいる私を見て、ルディさんはすぐに駆け寄って手を差し出してくれた。
その優しげな瞳に、私の中で再び熱いものが込み上がる。
……もう、諦めているのに。
すべては嘘だったのだから、期待してはいけないのに……。
ルディさんにこんなに早く会えたことを、とても嬉しく思っている自分がいる。
「こちらのご令嬢は怪我をされているようですが……まさか、あなたが?」
「まさか! 鈍くさい娘でしてね、自分で勝手に転んだのでしょう!」
ルディさんに優しく肩を抱かれて立ち上がる。
耳元で小さく「大丈夫?」と囁かれ、こくりと頷いた。
肩に触れているルディさんの温もりが優しくて、あたたかくて。隣にいてくれるだけで安心してしまう。
「ところでフレンケル伯爵。彼女……ユリアーネ嬢は、カール・グレルマンとの婚約がなくなったそうですね」
「えっ? ええ、まぁ……。お恥ずかしい話ですがね」
「ではお願いがございます。彼女を私の婚約者にしていただけませんか?」
ルディさんは、義父の前でまっすぐに姿勢を正すと、濁りのない声ではっきりとそう言った。