47.俺はただの男
北の地にあるノージュの森に再び魔物――炎狐が出たため、俺たち第三騎士団と強化魔法が使える魔導師団員数名にユリア、それから副師団長のフリッツと討伐へ向かった。
ユリアは討伐訓練など受けていないから心配だったが、彼女は同行することを自分で強く望んだらしい。
確かに炎狐は炎を吐くから、ユリアの力は頼りになる。だが、危険な目に遭う可能性だってあるのだ。
正直、俺は不安のほうが大きかった。
そしてノーベルクの街で領主や傭兵団の者と話をしている中で、俺は別の意味でユリアを連れてきたことを酷く後悔することになる。
傭兵団の中に、元貴族で騎士見習いだった者がいるという話題が出たのだ。
嫌な予感にその名前を聞いて、俺は絶句した。
まさかユリアの元婚約者であるカールがこの街にいたとは。
ユリアには会わせないようにしなければ――。
大丈夫だ。お互い顔は知らないはずだし、ユリアを傭兵団に近づけないようにすればいい。名前さえ呼ばれなければ、気づかれることはないだろう。
そう自分に言い聞かせ、ひとまずこの問題はあまり深く考えないようにし、その日は明日の討伐へ向けて気持ちを集中させた。
だが、なぜだか起きてほしくないと思うことほど、そうなってしまうものだ。
ユリアはこの討伐で素晴らしい活躍をして見せた。
耐火魔法をしっかり習得したようで、その力を惜しみなく発揮して見せたのだ。
だが、それに安心してユリアから目を離してしまった隙に、カールとユリアは対面してしまった。まぁ、後で聞いた話だと、昨日街で既に会っていたようだが。
ともかく、カールは危ないところをユリアに救われ、名前を告げてしまった。それも、今は勘当されているというのに、家名まで口にするとは……。長年の癖とは恐ろしいなと思う。
二人が向き合っている姿を瞳に捉え、俺は慌てて駆け寄った。
そして、〝ユリア〟そう呼ぼうとして、ぐっと唇を噛んだ。
だめだ、名前は呼べない。
せめて、彼女が元婚約者だとカールにはばれないようにしたい。
しかし、ユリアは会ってしまった。
あの、カールに。
彼女の元婚約者――彼女が最初に手紙をやり取りしていた相手だ。
どう思っただろうか。
自分を裏切り、他の女と子供を作った男。
辛いに決まっているだろう。
くそ、俺がついていながら……っ。
ユリアをカールから引き剥がすため、腕を掴んで歩いた。
なんとなく、彼女の顔は見られなかった。
もし、ユリアがカールを振り返っていたら……?
本当は少し話をしたかったのではないだろうか……。
そうか。俺はユリアが傷つくから会わせないようにしていただけではない。
たとえ会ったことがない相手でも、元婚約者という存在に嫉妬している。
俺が、ユリアとカールを会わせたくないと思っていたのだ――。
*
それからノーベルク領主の館までの帰り道、俺たちはあまり話をしなかった。
俺は馬に乗り、ユリアは馬車に乗せたというのもあるが、カールのことをどう話すかまだ整理がついていないというのが一番の理由だった。
館に着いてからも俺は領主への報告やら王宮への報告書やらに追われ、ユリアに会うどころかゆっくり考える暇もなく夜を迎えた。
だがずっと、ユリアがどうしているのかは気になっていた。傭兵団とは団長等数名の者たち以外とは別れたから、カールも既に自分の家に帰っただろう。
早くユリアのもとへ行きたい気持ちと、何を話そうかと悩ましい気持ちとが交差した。
そしてようやく手が空き、ユリアのもとへ行けたのはみんなが寝静まり始めた時間だった。こんな時間に彼女の部屋を訪れても大丈夫だろうか。
そう思いながらも、行くだけ行ってみようと足を進めると、ユリアはちょうど部屋の外で使用人と何かを話しているところだった。
「ユリア」
そっと声をかけ、どこかに行くのか聞いてみると、庭に出ようとしていたところだったらしい。
ならばちょうどいいと思い、俺も同行させてもらった。
庭に置かれていたベンチに並んで座り、意を決して口を開く。
「……すまなかった」
「え?」
「俺もここへ来て知ったんだ。まさか親に勘当された彼が……カールが、この町の傭兵団に入っていたとは。知っていたらどうやってでも君を一緒に連れてくることはなかったんだが……」
何から話そうか色々と考えていたはずなのに、結局口から出てきた言葉は情けなくも言い訳じみたものだった。
ユリアの目も見ずにそう言ったが、ユリアからはやわらかな口調で言葉が返ってきた。
「いいえ。私も驚きましたが、ルディさんが謝ることではありません。どうかご自分をそんなに責めないでください」
ユリアがこちらを向いてそう言ってくれたのを感じ取り、俺も彼女に身体を向ける。
「……ありがとう」
ユリアの穏やかな顔を見て、余計なことをあれこれ考える必要などなかったのだと感じた。
やはり俺は怖いのだ。
自信がないのは、俺のほうだ。
カールに……元婚約者に会ってどう思ったのか、正直気になる。
「……彼、来月子供が生まれるそうですよ」
「そうか、もうそんなに経つか」
「とても幸せそうにしていました。彼は親に勘当されてしまったのかもしれないけど、これでよかったんだと思いました」
「……」
だがユリアはそんな俺の不安を読み取ったかのように優しく微笑んでそう言った。
「それに、そのおかげで私は今、こうしてルディさんと肩を並べて、話しをすることもできているのですから」
「……ユリア」
彼女の優しい笑顔に胸が強く締めつけられ、鼓動が速まった。
疲れているはずなのに、全身を血液が巡り、頭と目が冴えてくる。
同時に彼女を愛おしく思う感情が身体の奥底からぐわっと波のように押し寄せ、俺の理性を破壊した。
「……ルディさん?」
「許可なく抱きしめてすまない。これ以上はしないから……だから今だけは許してくれ」
「……」
討伐の後だからだろうか――いや、それだけではないだろう。俺は今、ひどく興奮状態にある。
張り詰めていたものが切れたように、俺はユリアをこの胸に強く抱きしめていた。
強く強く抱き締めればこのままひとつになれるのではないだろうかと錯覚してしまうが、その前に折れてしまうかもしれないと思うほど、ユリアの肩は細かった。
当然だが、男とは骨格が違う。
ユリアは女性だ。
俺はこの女性が、とても愛おしい。
「……大丈夫ですよ」
ただ黙って抱きしめていたら、ユリアが小さく囁いた。
「あまり無理しないでください。私の前ではそんなに肩を張らなくても、いいですよ」
そして俺の背中に腕を回し、ぽんぽんと、優しくあやすように撫でてくれる。
「ユリア……」
途端に、きゅう……っと疼く胸。
大人の男が……それも、俺はユリアより六つも年上だというのに、情けなくも胸の奥と目頭をジンと熱くさせた。
余計なことなど語らずとも、ユリアは俺を理解してくれているのだと感じた。
あまりに優しい手の温もりに、口元に自然と笑みが浮かんだ。
「……このまま俺の部屋に連れて帰りたい。そしたら疲れも吹き飛ぶ」
半分冗談で呟いてみたら、ユリアからは迷うことのない「だめですよ」の返事。
「………………わかってる」
「その割には今、随分間がありましたね?」
「気のせいだよ」
そう、気のせいだ。本気で言うはずがないだろう。冗談だ、冗談。決して優しいユリアが「いいですよ」なんて言ってくれることを期待したわけではない。……ほんの二十パーセントくらいだ。許せ。
本気で変な気が起きてしまう前に身体を離し、息を吐いて冷静さを取り戻す。
「私はルディさんのことが大好きですし、いつでも呼んでくれたら駆けつけます!」
「ありがとう、俺も愛してるよ、ユリア」
だが、ユリアから紡がれたその優しい言葉に、俺はもう一度彼女を強く抱きしめてしまった。
……やはり今夜はまだまだ彼女を離してやれそうにない。