42.俺が守りたい人
その関係が数ヶ月続き、結局真実を彼女に告げることができないまま、カールの見習い期間が終わるまであとひと月と迫っていた頃。
カールから婚約破棄の手紙が届いたと彼女の口から告げられたときは、驚きと困惑に脳が揺れた気がした。
それと同時に俺がしてきたことにも気づいてしまったようで、自分が愛していた手紙は嘘であったのかと、彼女は俺の前で大粒の涙をこぼした。
決して嘘ではなかった。
婚約者からではなかったとしても、その手紙に綴った言葉に、気持ちに、嘘はない。
それでも彼女が苦しそうに涙をこぼす姿を見て、俺の胸は本当に張り裂けてしまったのかと思うほどに痛んだ。
だが、彼女はもっと痛いだろう。
ただ笑っていてほしかっただけなのに。俺は守りたかった女性を、自分の手で傷つけてしまったのだ。
有無を言わさず抱きしめて、そのまま自分の屋敷へ連れて帰ってしまいたくなる衝動に駆られた。
だが、ただ一言〝お帰りください〟と告げる彼女に謝ることしかできず、俺は涙を流す彼女を置いてフレンケル邸をあとにした。
しかし、これでやることは決まった。
もう、誰にも気遣う必要も、迷うこともない。
俺がやるべきことはひとつだ。
フレンケルから彼女を解放するための書類も、カールとの婚約を白紙に戻す書類も、彼女が住む部屋も用意して、その日のうちに俺はもう一度その場所を訪れた。
〝せっかく私がおまえの相手を見つけてきてやったというのに……!! 婚約破棄されるとは、本当に役立たずめ!!〟
フレンケル邸からは、ドカッという暴力的な音とともに、外まで響くほどの罵声が聞こえてきた。
彼女が酷い仕打ちを受けている――。
それを感じ、すぐに馬から降りると部下とともに書類を準備して玄関へ向かった。
〝来い!! 娼館に売り飛ばしてやる!!〟
玄関先に立つと聞こえてきた、彼女に向けられたのであろうその言葉に、怒りで震えそうになった。
こんな家、潰してやる……!!
うち震える感情をなんとか抑えつつ、「こんばんは」と、努めて冷静に声をかける。
それでも醜く肥えたフレンケルが扉を開けるのと同時に、名乗りもせずに急いで中へと足を進めた。
床に座り込んでいる彼女の姿を視界に捉え、ひとまずは安堵する。だが、腕を押さえている。暴力を振るわれたのか……。
勝手に入るなとうるさく喚くフレンケルを黙らせるためにさっさと名乗り、彼女に駆け寄る。
フレンケルはヴァイゲルの名を聞いて動揺し、何か言っていたが構っていられない。
「大丈夫か?」と尋ねて肩を抱き、ユリアーネを立ち上がらせると、彼女はこくりと小さく頷いた。
自分で勝手に転んだだけだと、あからさまな嘘を吐くフレンケルは、今すぐ牢にぶち込んでしまいたくなったが、まずはサインだ。
彼女の無事を確認して深く息を吐き、婚約したいという旨を伝える。
今はたとえ、この家を出ていくための口実だとしてでもいい。それでも俺は彼女を救いたい。
必ずこうなってよかったと思える日が来るよう、全力で彼女を支えていく覚悟はできている。
そのためなら何だってやる。
彼女の返事は聞かないまま、フレンケルにそれが何の書類か確認させる余裕も与えずサインをさせていった。
フレンケルは金をかけ、苦労して彼女を育ててきたらしい。
馬鹿なことをぬかすな。彼女の実父の財産を使ったのは貴様だろう。そして苦労したのは、彼女だ。
俺に媚びを売る下卑た面の男に罪状を述べると、急に焦りの色を浮かべて義娘に助けを求め始めた。
自分は虐待などしていない、義娘を愛していたと、平気で醜い嘘を並べ始めたのだ。
彼女は今までこの男に暴力で抑え込まれてきたのだろう。助けを乞う義父を見て黙っている。
もし恐怖で義父を庇ったとしても、俺がなんとしてでもここから連れ出してやろう。
そう思いつつ、彼女にも確認を取った。
すると彼女はまっすぐに義父を指さして、自らの口でその罪を告発した。
彼女がこの男から解き放たれた瞬間だと、感じた。
彼女が助けてくれないことがわかると、フレンケルは本性を現しとても醜く叫んだ。
〝この……っ、クソアマが!! 育ててやった恩を忘れやがって!!〟
この男の口から発せられる刃で、今まで何度彼女は傷つけられてきたのだろうか。
――頼むから、黙ってくれ。これ以上彼女を傷つけるのはやめてくれ。そうでなければ、俺は貴様を殺してしまいそうだ――。
「黙れ!!」
腰に帯びた剣に手をかけるのをすんでのところで堪え、男を睨みつける。
「貴様はフィーメル伯爵の財産も奪い、彼女をこき使っていたな。自分はろくに仕事をせずやりたい放題やっていたらしいな。いずれすべては明るみに出るだろう」
「…………っ」
殺意の帯びた瞳で見下ろせば、フレンケルはようやく黙り、部下に両脇を抱えられ連行されていった。
これでようやくユリアーネをこの家から――この男から解放してやることができる。
どうせこうなるのなら、兄に言われた通り、もっと早く強引に奪ってしまえばよかった。
そんなことを考えながら、俺はぽつんと残されたフレンケルの娘に視線を向けた。