35.傭兵団の男
「盾を持っている者は前へ!!」
「そっち! 後ろにもいるぞ!! 気を抜くな!!」
炎狐が見える位置まで近づくと、熱気を感じた。
狐にしては大きめの赤毛をしたその魔物は、私が確認できるだけでも十体はいる。
尻尾が二つや三つに分かれており、より大きな個体はその数も多い。
傭兵団も騎士団も、放たれる火球を避けたり盾で防いだりしながら、なかなか距離を詰められずに苦戦している。
「……っ!」
そんな中、ルディさんは盾も持たずに炎狐の前に出ると、火が放たれる前に一刀でその身を切り伏せた。
「……すごい」
ルディさんが剣を握って戦っている姿は初めて見た。こんな状況なのに、格好いいと思ってしまう。
緊張と恐怖も相まって、胸がドキドキと高鳴る。
「団長!!」
「……っ!」
けれど、向こうも数がいる。
一体に斬りかかっていたルディさんに、別の個体が背後から彼に向けて開口した。
「危ない!!」
火球を放たれる――!
咄嗟に前に出た私は、ルディさんに向けて祈るような思いで耐火魔法をかけた。
その直後に放たれた火球が、彼の左肩をかすめる。
「ルディさん!!」
「……っ!!」
けれど彼は素早く振り返り、自分に火球を放った個体をも一刀で仕留めた。
「……ユリア」
「……あ」
震える足で一歩近づき、火球が当たった彼の肩に目を向ける。
けれどそこはマントにすら焦げ一つついていなかった。
心の底から安堵するのと同時に、力が抜けていく。
「……よかった」
「すごいな……、これは。ありがとう。君は可能なかぎりここにいる者たちにその魔法をかけてくれ」
「はい!」
私にそう命じて、ルディさんは襲われている騎士たちを助けに向かった。
しっかりしなければ。ルディさんはこの場の責任者として私に命じたのだ。
私も、魔導師の一員として認められた気がした。
私でもちゃんと、この場で役に立つことができる。
部屋一面の空間に耐熱魔法を使ったときのように、この場にいる人たちに耐火魔法をかけるべく、意識を集中させる。
ルディさんが「ユリアを守れ!」と声をかけると、騎士団の方たちが盾を持って私を囲ってくれた。
大丈夫。私はもう自分に耐火魔法をかけているから、気を乱さずに集中して、早くみんなにも――。
じわじわと、近くにいる者から順番にその魔法がかかっていくのを感じていた、そのとき。
「うわぁぁぁ!!!」
人一倍恐怖に震え上がった叫び声が、私の耳に届いた。
何事かと目を開けば、昨日街で会った傭兵団の男性が、炎狐を前にして地面に尻をついているのが見えた。
剣を落としてしまったのね――!
炎狐は口を開け、今にも火球を放とうとしている。
「……っ!!」
私は彼に向かって手を伸ばし、思い切り魔力を飛ばすイメージで彼に魔法をかけた。
「ひぃっ!!」
腕で頭を庇う彼に、放たれた火球は直撃した。けれど、どうやら間に合ったらしい。
彼は苦痛の声を上げることなく、何が起きたのかわからないというような表情で顔を上げた。
「大丈夫? お兄さん」
そしてその炎狐は、フリッツさんの手によって葬られる。
風の魔法を使い、武器も使わずにその命を絶たせたようだ。
その顔には余裕の色が浮かんでいる。
やっぱりフリッツさんは、ああ見えてすごい魔導師なんだわ……。
さすが、副師団長様。
その光景に安心して、私は再び他の騎士の方たちにも耐火魔法をかけるべく、意識を集中させた。
――そして数十分後、ルディさんやフリッツさんたちの活躍により、炎狐をすべて討伐することに成功した。
辺りには騎士の方たちの歓声が響いた。
「あの……、さっきの魔法……、あれは君がかけてくれたのか……?」
ほっとして胸を撫で下ろす私のもとに、あの傭兵団の男性が歩み寄ってきた。
まだ少しぼんやりとした様子だ。
「ええ。お怪我はありませんか?」
「はい……、大丈夫です。あなたのおかげで、助かりました……本当にありがとうございます!!」
男はそう言って、深々と頭を下げた。
「いいえ。私は私の役目を全うしただけですので」
「いや、あなたは命の恩人です!! このカール・グレルマン、このご恩は一生忘れません!!」
「――――え?」
聞き覚えのある名前が告げられたとき、私のもとに誰かがものすごい勢いで走ってきていたことに気がついた。
「……ルディ、さん」
力強く腕を掴まれ、弾かれるように彼を見上げる。
余裕のない表情で私を見つめるルディさんに、ひやりと冷たい汗が背中を伝う。
「ルディアルト教官……!」
そして、男性がルディさんを見てそう呼んだ。
……どうやら、たまたま同じ名前だったというわけではなさそうね。
そうか。ルディさんは知っていたのね。だから傭兵団に近づいてほしくなかったのかしら。
ルディさんは息を切らせているから、私と彼が接近しているのを見て慌てて来てくれたのね。
……でも、もう彼の名前を聞いてしまいました。
「教官、ご無沙汰しております!! 僕、あのときは本当に――」
「俺はもう教官ではない。悪いが、あとにしてくれ」
「……あ、ルディアルト教官!」
「行こう」
ルディさんは怖い顔をしたまま彼に背を向け、私の手を引いて歩き出した。
私の名前を呼ばなかったのは、彼に私が元婚約者だと気づかれないようにだろう。
私たちは、顔も知らずに婚約が解消されたのだから。
「――ユリア、怪我はない?」
「はい」
「そうか」
「……ルディさんは?」
「俺も大丈夫だ。君のおかげで」
「よかったです」
「君は本当にすごいよ。君のおかげで、誰も死ななかった。火球を恐れずに戦えたのは、君のおかげだ」
「……いえ」
ルディさんはまっすぐ前だけを見て、私のことは振り返らずに手を引きながらそう言った。
怪我をした者は魔導師団の回復ポーションで治療できた。
幸い、死者も重傷者も出なかったようだ。
帰りの会話はそれだけで、〝彼〟の話題はルディさんの口から語られることはなかった。
それでも私は何か言ってほしくて、ルディさんの銀色の髪を見つめながら、こっちを見てほしいと、願った。