30.騎士団長様の悩み事
まだ残暑が残る秋口に、ようやく私は広い騎士団の棟にも空間魔法を使えるようになった。
今更で申し訳ないという気持ちと、後回しにされて怒っているだろうかという不安があったけど、騎士の方たちはみんなとても喜んでくれた。
そしてそれと並行して行っていた耐火効果の訓練。
耐熱魔法の応用として耐火魔法を習得できれば、火傷のダメージを負わずに済むかもしれない。魔物の中には火を吐くものもいるから、それを習得できれば魔物の討伐にはかなり役立つ力になる。
「…………」
今日の訓練が終わり、フリッツさんが帰った後も、私は一人その部屋に残っていた。
目の前にはお鍋に入ったぐらぐらと煮え立つお湯と、それを沸かしているバーナー装置。
ごくりと息を呑み、そっと炎に手を近づけた。
……これだけ近づいてもまだ熱く感じない。
それは単なる耐熱効果のためなのか、耐火に成功しているのか。
それを試すためには、やはり実際に火に触れてみるしか――。
「何をしている!」
「あ……」
どの程度まで火傷をしないか試そうと近づけていた手を、いつの間にか来ていたらしいルディさんにばっと掴まれた。
「……耐火魔法の、実験です」
「こんな時間まで?」
「えっと……、本当は今日の訓練はもう終わったんですけど、ちょっと試してみようかと……」
笑顔を作って言ってみたけれど、怖い顔をしているルディさんの表情はますます曇っていった。
「まさか、直接炎に触れようとしたのか……!? 一人でこんなことをして、何かあったらどうするつもりだ」
「ごめんなさい……」
少し大きな声を出して、掴んでいた手に力が込められた。
ルディさんに心配をかけてしまったことに、私は慌てて頭を下げた。
「……いや、すまない。怒っているわけではない。だが、そういうのは兄上にでも見てもらえばいい。自分で試そうなんて無茶は、よしてくれ」
「はい……」
「せっかくこんなに綺麗な手に戻ったんだしね」
「……」
そう言って、ルディさんはその手を自分の口元に運んだ。
以前は毎日の水仕事で荒れていたけれど、今はあのときのあかぎれもすっかりなくなっている。
「あ……」
愛おしげに私の手を見つめる彼のあたたかい息が指先にかかり、ぴくりと身体が揺れた。
「すみません……気をつけますので、お離しください」
「……」
熱を帯びる顔を伏せ、逃れようと手を引いてみるけれど、がっしりと握られて離せない。
ルディさんの手は私に比べるととても大きくて、指はスラリと長く綺麗なのに、男らしくごつごつしている。
だから、未だに手を握られるだけでも緊張してしまう。
「……手くらいいいだろう?」
「え?」
「いや……。すまない。もう終わったのなら、帰ろうか」
「……はい」
何か不満げな声が聞こえて顔を上げたけど、ぱっと私の手を離して瞬時的に笑顔を作るルディさん。
……??
どこか不自然なほどのその笑顔に、じっと彼を見つめてみるけれど、ルディさんは私の視線を受け流して「行くよ」と言った。
いつものように、迎えに来てくれたらしい。
ルディさんも今日のお仕事は終わったようなので、一緒に馬車で屋敷に帰ることにした。
*
「……」
馬車の中で、ルディさんはとても静かだった。
何か考え事でもしているのか、頬杖をついてぼんやりと外を眺めている。
元気がないのは心配だけど、そんな物憂げな表情でさえ、この人は様になっている。
その整ったお顔の中にある切れ長の瞳に、綺麗な銀髪が被っている。
夕日が当たり、それはいつもと少し違う色を見せていた。
……とても美しい。
「ルディさん、もしかしてお疲れですか?」
「……いや?」
本当はお仕事がまだ残っていたのに、私を送るために無理をして切り上げてきたのだろうか。
それが心配でお仕事のことを考えているのかと思い声をかけたけど、ルディさんははっとしたように私のほうを向いて口を開いた。
「すまない、君といるのにぼんやりとしてしまった」
「いいえ……何か悩み事ですか?」
「……ん、そうだな。悩みだな」
少し考えた後、ふっと息を吐いて肯定するルディさんの表情は、やはり切なげ。
これは何か大きな悩み事を抱えていそうだわ。
そう思い、続けて声をかけた。
「もし少しでもお役に立てるのであれば、私に話してください」
「……」
胸に手を当てて真摯にそう伝えると、ルディさんは再び頬杖をついてじっと私を見つめた。
「……ありがとう」
「……?」
何か言いたそうな、けれど言うのを躊躇っているような様子で視線をさ迷わせ、やがてはぁぁぁと深く息を吐くルディさん。
「だめだな、俺は」
「ルディさんはだめではありません」
「……いや、君のことになると、どうもいつもの調子ではいられなくなる」
「え……っ」
私のこと?
私、ルディさんに何かしてしまったのだろうか……。もしかして、さっきの実験のことをまだ怒っているの……?
どうしよう。
もう一度きちんと謝ったほうがいいかしら……。
そんな目で見つめると、ルディさんは再び口を開いて続けた。




