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 おれが保護室から観察室に移動する準備も整い、新たな部屋での生活が始まった。そこにはおれ専用のベッドもあり、夜はそこで寝ることが出来た。日中は大部屋で過ごすことも許されていたので、引き続きそこで生活をした。

 大部屋にいる間、おれは弟分でもある錦織に、おれが今まで体験したことや、改めて分かったことを極力吹き込んでやった。自らが経験しないと分からないことも多かったが、今のうちに教えておけば、いずれはイヤというほど分かる時も来るだろうと、おれは考えていた。錦織も忠実におれが言っていることを熱心に耳を傾けて、信頼しきっている様子だった。


 それから、おれは一人で大部屋の食堂のイスに腰掛けて、物思いにふけることも多くなった。 

 そこで郵便局の小沼サユリがかつての上司であり、またみんなの敵でもあった、篠原課長代理に言い放った言葉を思い出した。

 「アタシにこんなことをさせないで!無くなっちゃうんだよ。それでも良いの?良い訳ないでしょ。知らないよ。笑い話じゃ済まないんだよ。言いたいことが無かったら、アタシに近寄らないで!」

 あの当事は分からなかったが、今なら彼女の言葉が痛いほどよく分かった。あの直後に彼女はどこかの病院に入院した、と聞いたが、紛れもなくここの病院だった。看護婦さんや、病棟の先生は黙っていたが、さとちゃん含めておれが知らなかったことをみんな知っていた。

 それから昔、親父がおれに言ったことも思い出した。さとちゃんが自殺した、と聞かされたあと、仲が良かっただけ相当落ち込んだ。寂しさの余り、人知れず頭がおかしくなるほど涙を流して泣いたこともあった。そんなおれの姿を見た親父はおれにこんなことを言った。 

 「さと美は死んではいない。ただ命に関わる危険な目に遭ったから、行方をくらませるため死んだことにしただけだ」

 親父のあの言葉通り、さとちゃんは生きていて、おれが知らない間に、看護婦さんとしてここで働いていた訳だ。親父の言葉もウソではなかった。

 さらに、さとちゃんの現在の苗字である「橋本」と言う名前も気になった。おれはみんなの前で「ウチが勤めていた郵便局に橋本課長代理って言う上司がいたんだけど」と言うと、さとちゃんは「えー?!知らないよぉ」と、顔を赤らめて恥ずかしそうに笑った。おれはその様子を見て、確信した。やっぱりそうだ。橋本課長代理とさとちゃんは結婚していたんだ。 

 橋本課長代理はおれが自分の嫁さんの弟だってことも知っていたに違いない。小沼サユリもそのことをずっと前から知っていたんだ。みんなは公然の秘密としていたが、おれだけがその秘密を知らなかったんだ。 そう思った。  


 それから親父がおれが高校生の頃に、こんなことを口にした。「誰が敵で、誰が味方であるかを考えろ。お父さんはおまえの味方だ」

 おれはまだ若くて、親父からそう言われてもピンとこなかったが、今なら親父が言ったことがよく分かった。親父は普段からおれにガミガミ言っていたが、なぜか親父が言う言葉には説得力があり、おれの胸を打つモノがあった。 

 親父とおれとの距離はかつて、月と地球の間ぐらいあったが、今では数センチぐらいまで一気に縮まったように感じた。

 おれは病棟の食堂で一人でイスに座りながら、涙した。 

 「どうして今まで親父が言ったことが分からなかったんだろう…」

 

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