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その次の日、仕事もそろそろ終わるし、帰ろうかな、と思いながら事務仕事をしていた時に、ちょうどおそばんで郵便局に出勤して来たばかりの小沼サユリと、小松優が楽しそうにおしゃべりをしている声が、おれの耳に入ってきた。
「ねえ、ねえ。MVPってなんの略だか知ってる?モスト・バリアボー・プレーヤーって言うんだよ」
「うん、バリアボー、だよね」
おれは側から二人のおしゃべりを聞いているうちに、おれならもっと完璧な発音で言えるのになあ、と思いながら、敢えて黙ってそのまま帰ることにした。
おれは毎朝早くから働きに郵便局まで来ていたが、次第に小沼サユリともっと長い時間、面と向かえる時間が欲しくなってきた。彼女は普段から遅番の日が多く、おれが帰る頃にちょこっと顔を合わせるだけという日が多かったからだ。
それから彼女は首に難があるらしく、たまに首に白い包帯を巻きながら仕事に来る日があって、そのせいか一度だけ病院に入院してしばらくの間、郵便局まで来なかった時期があった。おれは心配になって、お見舞いに行こうかとも思ったが、結局どこの病院に入院したのかも分からずじまいだった。
その後、彼女が病院から退院して久しぶりに顔を見た時は嬉しかった。おれは彼女に、何か気の利いたことでも言おうかな、とも思ったが、彼女はなんてこともなかったような顔をして、仕事も前と同じくバリバリこなしていた。おれは彼女の様子を見て、まあいいか。元気そうだから。そう思って何も声をかけずに終わってしまった。
彼女は優しい性格だが、男ばかりの職場の中で働いているせいか、もしくは生まれつきも性格だか知らないが、少々男勝りで気性が若干激しい一面があった。彼女もまた、篠原に対して少なからず反感を持っていて、さすがに面と向かってでないが、篠原のことをバカじゃないの、と口汚く罵ることもあった。
そのおバカな課長代理、篠原だがある日のこと、篠原の目上にあたる上席課長代理から何か小言を言われて苦笑いを浮かべているところを目撃した。ハハア、さては、おれがいつも残業しているから、そのことで何か言われているな、と察知した。
そのあと案の定、終業時刻15分前になると、おれの元に篠原がやって来た。
大河、まだ仕事終わらないのか?全部終わらなくても時間になったら帰っていいぞ」と猫撫で声で言った。おれはコイツのあまりの豹変ぶりにゾッとしながらも、平常心を装った。
「アッ、そうですか。じゃあ、帰りますね」
おれは腹の中では、コイツは部下のことを心配するのではなく、自分の都合でしかモノを言わない奴なんだな、と思って、ますます篠原のことが嫌いになった。
時間になったので、おれは帰る支度をしようとすると、新森主任がチラシのような印刷物をおれに見せてこう言った。
「大河君、今度短時間職員っていう新しい職員の募集の案内がきたから良かったらどう?」
おれはそのチラシを手に取って詳しく見た。その短時間職員というのは、1日4時間の勤務で月に10万円ほどの月給が貰える待遇だった。おれは今やっているアルバイトと、あまり変わり映えしないなあ、思って特に魅力も感じなかった。
一応、新森主任には「考えておきます」とだけ言っておいた。




