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世間知らずなお嬢様の世話をするという退屈な勤務時間を早めに切り上げ自室に下がって一息ついた後、私はいつものように届けられた報告書を読んだ。
それはルイス殿下の動向を探るべく、彼が薔薇の宮で接触した令嬢やその時の様子などを、弱味を握った殿下付きの女官にお願いして毎日報告させている物だ。
王族に関する情報をリークさせるのは罪になるのだろうが、これも一重にお世話しているマリア様の為に仕方なく…という事にすれば首謀者はマリア様という事に出来る。
マリア様は甘やかされて育った世間知らずのワガママなお嬢様だから、どうしても命令に逆らえなくて…とでも泣けば充分だろう。
何か後ろ暗い事をする時は、しっかり擦り付ける相手を用意した上でするのが賢い私のやり方。今までもそうやってきて失敗した事は無い。
しかし、この報告書を書かせている女官はおつむがあまり良くないようで、毎日取り留めのない事しか書いてこない。
もっと選考会の為に有益な情報を流してくれないと、危ない橋を渡っているリスクに見合わないと苛立つ。それでも、殿下がどこの令嬢と会ったかだけでも分かれば役に立つから我慢している。
今日もてっきりそんなつまらない報告書かとタカを括っていたのに…。
『殿下は人払いをしてガードナー伯爵令嬢と部屋にこもり、とても親密な様子だった。』
この一文を読んで思わず報告書をぐしゃりと握りしめてしまった。
あの女、いつの間に殿下と接近していた?
一瞬にして胸の内に黒い炎が燃え上がる。
奥手そうなフリしてしっかり殿下狙いという事か。
てっきりイカれた男爵令嬢の世話で手一杯だと思っていたのに油断した…。
殿下の妃になるのはこの私!邪魔はさせない!
時を同じくして王妃様の女官になったあの女が私は大嫌いだ。
家格も同じ伯爵家で年齢も同じ。自然と私達は何かと比べられる事が多かった。容姿は二人とも美人系で系統が被っているし、学力も仕事の出来も同じ位。
でも、無表情の能面のようなあの女に比べて私の方が感情豊かで話し上手。男っ気のないあの女に比べて、私はキープしている男も複数いる。
どう考えても女として魅力があるのは私の方だ。
けれど何故か人が集まるのはいつもあの女の方。
大したことない身分の者に好かれたって何の得にもならないから別に良いが、職務中はニコリともしないあの女を取り囲んで楽しそうにしているのを見ると無性にイラつく。
王妃様だって目立った贔屓はしないけれど、重要な仕事はいつもあの女の方に任せる。
両親が早くに死んだあの女の家を王妃様の実家が後見しているというから、やはり無意識に依怙贔屓しているのだろう。
1度王妃様にその事を涙ながらに婉曲に訴えたら、
「貴女は慈愛をもって万民に接する事が出来るようになれば、国一番の淑女となるわ。」
と、諭すように言われた。
慈愛って何?
あの女がやってるような偽善を私もやればいいって事?
困ってる下級メイドを助けて、寂れた片田舎の孤児院に足繁く通って、平民も混じっているような野蛮な騎士達にも優しくして…。
それが何の役に立つというの?
そんな下々の者にかかずらっていても利益は何も生まれない。時間の無駄。
私は最低限の努力で最大限の利益を得たい。
見た目も爵位も最上級の裕福な男と結婚して、常に流行の最先端のドレスに高価なアクセサリーを身につけて、多くの人間に傅かれて、誰もが羨むような生活をしたい。
だから最初は王太子妃を狙っていた。
ゆくゆくは王妃となって国の頂点に君臨する、最も私に相応しい地位だから。
でも我が家は伯爵家だからそのままでは家格的に上位貴族に負けてしまう。そう思い、コネやら賄賂やら策を尽くして何とか王妃様の元へ出仕出来た。
本当は王太子付きになって最短ルートを進みたかったが多額の賄賂を以てしても無理だったから仕方がない。
殿下の母親である王妃様に気に入られれば、きっと王妃様から王太子妃に推薦して貰えるはず。
そう思って王妃様に気に入られるよう頑張ったし、折に触れて王太子殿下をお慕いしているとアピールしてきた。
ところが、王太子殿下の正妃の座は隣国の王女に掠め取られてしまった。
どうして私じゃないのか理解出来なかったが、外交政策の一環であれば仕方がない。殿下もお可哀相に…。
そうなると必然的に狙いは残った第二王子に定まる。どの家も考える事は同じ様で、第二王子妃には国内の令嬢をという流れになって、この選考会が開催される事になった。
当初私も妃候補として名乗り出る気でいたが、あれほど王太子殿下をお慕いしているとアピールしてしまった王妃様の手前、すぐさま第二王子に乗り換えては心証が悪くなるかと悩んでいた。
そんな時、王妃様が女官長に話しているのを聞いてしまったのだ。
「ルイスはガツガツした令嬢が嫌いなのに、立候補者だけのギラギラした選考会なんてやっても誰も選ばないで終わるに決まってるわ。あの子は陰ながら努力して頑張ってる健気な子がタイプなんだから。そんな意味の無い選考会の為に私の可愛い女官を3人も貸し出せなんて、陛下は何を考えてるのかしら!」
いい事を聞いたと私は嗤った。
今回の選考会は名乗り出た奴がバカを見る。
ならば私は裏方に回って、妃候補達の足を引っ張りつつ、健気な女を演じて殿下に見初めて貰おう。
殿下から私を選んでもらえれば、私が王太子を慕っていたという件も問題無くなる。
王族の求婚を断るなんて下手したら不敬罪になってしまうのだから。
なんて完璧な計画なのだろう。
あとはさり気ない出会いを演出出来れば、殿下もきっと私を気に入ってくださる。
そうして私は努めてさり気なく、選考会を手伝う女官に立候補した。あとの2人は王妃様が選んだが、あの女が含まれていて腹立たしかった。
選ばれたもう1人の女官は、普段あまり見る事が出来ないルイス殿下を間近で見られるかもしれないとあって、頬を上気させて喜んでいる。
なのにあの女はいつも通りの能面で、自分よりも他に適任がいるのではないかと、遠回しに断った。
私は怒りで目の前が真っ赤に染まったような錯覚を覚えた。
私が必死で得ようとするものをこの女はいつもすました顔で要らないと棄てる。
欲の欠片もない清らかな天使にでもなったつもりなのか。虫唾が走る。
いつかこの女のおキレイな羽根をもいで地べたに這いつくばらせて、その背中を踏みつけてやる。憎しみに満ちた目で私を睨む女を見下ろすのはさぞ快感だろう…。
その為には…。
ひしゃげた報告書を伸ばして、最後まで読み直す。
『別れ際に、ガードナー伯爵令嬢は2日後が休日だが、殿下は公務が重なっていて逢えないのが残念だといった会話をしていた。』
あの女は2日後が休みなのか。殿下と会わないとなればきっといつも通りに南の孤児院に行くだろう。であれば…。
思わず口元に笑みが浮かぶ。
私は部屋の隅に控えていた私付きの侍女を傍に呼んだ。
「2日後に屋敷と孤児院に行くから、護衛の兵を寄越してと屋敷に連絡して。」
「かしこまりました。しかし、2日後は休日ではないですが…。」
「大丈夫よ、マリア様には明日許可をいただくから。他ならぬ私の頼み事だし、孤児院へ寄付を持っていくんだと言えば殿下の為だと許してくださるに決まってるわ。」
公爵は教育を間違えたと断言出来る程に無知で傍若無人なマリア。学院にいた頃からそうだったが、数年経った今でも全く何も変わっていない。
親の権力を笠に、学院でもやりたい放題だった彼女の取り巻きとして私もだいぶ甘い蜜を吸わせてもらった。
もちろん今回の配属も、学院で知り合いだった事を全面に押し出して彼女付にしてもらった。
彼女の操縦の仕方は心得ている。今回も私の為にその素晴らしい権力を行使して貰おう。
だって頭の悪い彼女には宝の持ち腐れだものね?
待っていてアナベル…。
最後に笑うのはこの私。