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隣室で眠るキャロル様を起こさないよう声を落としながら、ランドルフ公爵令嬢マリア様のお茶会の事、寄付をしたと思われる北の孤児院の市井での評判の事、王妃様にお会いしたことを全てランスロット様へ報告をした。
話すことが得意でない私の拙い説明でも、新緑の瞳を逸らすことなく辛抱強く聞いてくれる様子に不覚にも胸が高鳴ってしまう。
サラサラとした漆黒の髪、騎士の鍛錬の賜物である健康的で浅黒い肌を隠す禁欲的な詰襟の白い近衛騎士の制服が逆にエロい!!
…と毎日毎日キャロル様が叫んでいるので、どうやら自分の思考まで汚染されたようだ。
「なるほど、状況は分かった。この事は殿下に報告するとして、ミス・ノースヒルの滞在費で至急必要な分はいくら位だ?」
「ご心配には及びません閣下。キャロル様はご自分の滞在費を、舞踏会の為の必要最低限の宝飾品購入と語学とダンスの講師費用に使い、残額を孤児院へ寄付するご予定でした。宝飾品は私の物をお貸ししますし、語学とダンスも私がお教えすればお金は一切かかりませんので。」
そう言うと、ポーカーフェイスなランスロット様には珍しく、ポカンとしたあどけない表情をされていて、また私の脳内キャロル様が「ギャップ萌えー!!」と叫んでいた。
キャロル様の実家はあまり裕福ではなく、今までドレスを用意するのがやっとで、宝飾品を買うことも、語学はもちろんダンスの教師を雇うことも出来なかったそうだ。
今回も選考会最後の舞踏会で上手く踊れるかとても心配していて、支度金を使ってのダンスレッスンに熱意を燃やしていた。
ダンスに関しては必要に迫られているので分かるが、語学に関しては急ぐ必要はないのではないかと何日か前に聞いてみたところ、『知性パラメーター』を上げないと好感度が上がらないからと、また不可解言語が飛び出した。
いまいちよく分からずにいると、キャロル様は可愛らしく首を傾げ、少し考えたあとこう言った。
「今の外務大臣のメイナード公はお年を召してきたけどお子様がいないから、きっとその後を継いで甥のルイス殿下が外交を担当される事になるでしょう?その王子妃なら、なるべく多くの国の言葉を話せた方がいいに決まってるから頑張るのよ。」
その言葉に思わず瞬きを忘れて驚いてしまった。
言動行動が突飛でつい考えなしのご令嬢かと思っていたから、まさか第二皇子殿下の今後の役割まで冷静に予想しているとは思わなかったのだ。
現に、薔薇の宮で過ごす他のご令嬢達は、なぜ多くの国の語学の教師が用意されているのかなど考えもせず、お茶会やら宝飾品の購入に勤しんでいると聞く。
動機はまあ横に置いておくとして、先の事を考えて僅かな時間でも頑張って学ぼうとするキャロル様の姿勢が好ましく感じられたから、自分に出来る限り応援しようと思っていたのだ。
「学びたい気持ちがあるのに金銭的な理由で学べない。そういう人を見るのは嫌なんです。ですから私は私の出来る事をして助けたいと思っています。幸い私は近隣5ヶ国語の日常会話程度は習得していますので、キャロル様のお役に立てるはずです。」
私は13歳の時、王立学院入学を目前に領地を襲った流行病で両親と多くの領民を亡くした。
追い打ちをかけるように冷害、大規模な水害などが立て続けに起こり、領地の財政は一気に傾いた。
こんな状況でまだ10歳の弟を領地に残して行く事は出来ず、私は楽しみにしていた進学を諦めた。
その後すぐに、学院時代に両親と友人であったという王妃陛下の計らいで、弟が成人するまで王妃陛下のご実家であるグレイス侯爵家の後見を受けられる事となり、姉弟二人して教えを乞いながら領地の復興を目指して頑張った。
そして領地が落ち着いてきた頃、王妃様は私を女官としてお傍に呼び寄せてくれて、学院で学ぶ以上の事を学ばせてくださった。
学院に行けなかった事は残念だけれど、私の学びたい気持ちを王妃様は救ってくださった。
だから今度は私が学びたい誰かの助けになりたい。
孤児院の子供達も、キャロル様も…。
昔を思い出してつい熱くなってしまった事が恥ずかしく、恐る恐るランスロット様を見ると、優しげな笑みと共に頷いてくれた。
「なるほど、貴女らしいな。私にも何か手伝える事があれば遠慮なく言ってくれ。」
ランスロット様が理解を示してくれた事が嬉しくて、思わず口元が綻んでしまう。
「ありがとうございます閣下。キャロル様にご満足いただけるよう誠心誠意務めさせていただきます。」
そう言うと、ランスロット様は僅かに眉を顰めた後、席を立って対面に座っている私の傍に来た。
何だろうと驚いて動けないうちに、床に片膝をついて私の片手を引き寄せた。
「レディ・アナベルの清廉なる善意に心からの敬愛を。」
そう呟いた唇が、私の手の甲に軽く触れた。
敬愛のキスをくださったのだと思い至るや顔に熱が集まった。
脳内キャロル様が何かを叫んで悶えているが、全身熱いし瞬きが止まらない私はそれどころではない。
そんな私を優しい瞳がすくい上げるように捕らえる。
「それから…貴女はいつも私の事を閣下と呼ぶが、これからは名前で…そうだな、長いからランスと呼んで欲しい。」
名前しかも愛称で呼ぶ…?!
脳内ではランスロット様と呼んでいるけど、実際口に出して言うのは難易度が高すぎてとても出来る気がしない。そう思っているのが伝わったのか、引き寄せられたままの手が強く握られる。
「頷いてくれるまでこの手は人質にとることになるが、どうする?」
そう言っていたずらっぽく笑うランスロット様。
脳内キャロル様は鼻血を垂らして倒れた。
クールで大人な印象のランスロット様にも、こんな子供っぽい一面があると分かって何だか親しみを感じてしまう。それに人質の手も回収しなければならないので、おずおずと頷く。
「お、公の場以外であれば…。」
「ありがとう、ベル。」
愛称呼び捨てキターー!!
と、脳内キャロル様が吠えた。
え、もしや私もランスと呼び捨てにしないといけないのだろうか?いやまさか。無理ですよ絶対に。
その日以来ランスロット様は、
「おはようベル」
とサラっと名前を呼ぶようになり…
「お、おはようございます、ラ、ランス様…。」
無言の圧力で愛称呼びせざるを得ない。
嫌な訳ではないのだが、キャロル様やメイド達の前でもそうなので無性に恥ずかしく、「公の場ではちょっと…」とやんわり止めていただけるようお願いしてみたが、いい笑みで瞬殺された。
「公の場とは、式典や謁見などの時と理解している。」
ソ、ソウデスカ…。
『勤務中以外』としておけば良かったと激しく後悔した。
そんな私達をキャロル様はニヨニヨと気持ち悪い笑みを浮かべて見てくる。
馴れ馴れしく愛称で呼ぶなんて!と怒るかと思っていたが逆に感謝された。
「デレを通り越して囲い込みに入るランスロットとかレアすぎてマジやばい。最大級の萌えをありがとうアナベル!」
……5カ国語を修めた私にも未だにキャロル語は理解出来ない。