お助けキャラのハッピーエンド
今日という日を祝福するように曇りなく晴れた空の下、新緑に囲まれて佇む荘厳な教会の一室。
柔らかな朝日がステンドグラスに降り注ぎ、極彩色の美しい紋様が浮かび上がる窓辺を、ウエディングドレス姿の花嫁──アナベルはやや落ち着かない様子で眺めていた。
今日これから、この教会で結婚式を挙げる為に、控え室で待機している所なのだが、いざ準備を終えて何もする事がなくなると途端に緊張してしまい、身の置き所がなくなっていた。
まだ日が昇る前に起きて身を清め、侍女達総出で入念なメイクとヘアセット。夢見心地のまま教会に着てドレスの着付けをして、鏡の前に立って自分の姿を見て、ようやく実感が湧いたのだった。
(私……今日結婚するのね……)
薔薇の宮でランスロットのプロポーズに頷いてから約一年。
長かったような短かったような婚約期間にアナベルは思いを馳せた。
お互い忙しい合間を縫って一緒に過ごし、日に日に育っていくランスロットへの愛情を、ジェパニから来たスズへの嫉妬という形で思い知り、不安に涙を零した時もあった。
ナギとの事でランスロットと気まずくなってしまった時は、体調を崩すほどに思い悩んだけれど、ランスロットの心の内を知り、自分の気持ちも伝えて想いを通じ合わせる事が出来た。
色んな人の力を借りながら二人で進めてきた結婚の準備。それが今日実を結ぶのだと思うと、気持ちが高揚してソワソワしてしまう。
心を落ち着かせようと、普段ブレスレットをしている手首を触っていると、木製のドアをノックする音が響いた。
「ベルおはよ〜! 準備万端だね! 綺麗〜!!」
「ホント! 花嫁通り越して女神様みたい!!」
「アナベルおめでとう!!」
シルクで仕立てた揃いの白いドレスを身にまとい、ミニブーケを持ったキャロルとスズ、そして数人の女官仲間が部屋に入ってくるなり歓声を上げた。
彼女達は今日アナベルのブライズメイドをしてくれる事になっているのだ。
花嫁に付き添って色々なお世話をするブライズメイドは、古来より悪魔から花嫁を守る為に、花嫁と似た衣装を着て悪魔の目を誤魔化すという風習があった。
「皆さん、今日は私の為にありがとうございます。特に、スズ様とキャロル様にまでこんな役目をしていただいて良いのかと、申し訳ない気持ちでいっぱいです……」
一国の皇女スズと、来月には王子妃になるキャロル。通常ならばブライズメイドなどやる筈のない立場なのだけれど、当人達の熱烈な希望で役目を任せる事になったのだ。
「大丈夫よ! だって今はまだ、未婚の田舎の男爵令嬢だし! ベルの為に何かしたかったんだもの!」
「その通りです! 私ももう祖国を離れました。そしてアレックス様の妻になります! だから問題ない!」
キャロルとスズが鼻息も荒く主張するので、アナベルは思わず笑った。二人のお陰で少しだけ緊張が解れた気がした。
一旦ジェパニに帰っていたスズは、あっという間に迎えに来たアレックスと共に、つい先日王都に戻って来た。
離れている間も一生懸命勉強したようで、この数ヶ月で随分この国の言葉が身について、まだ言い回しのおかしな所はあるものの、日常会話は問題なく通じるようになっていた。
ブライズメイド達と賑やかなひと時を過ごしていると、再びノックの音がした。
「姉さんおめでとう……! すごく綺麗だ……!」
「アナベル……綺麗だわ……フリージア達に見せてあげたい……!」
弟のノアと王妃アイリス、そしてレヴィガータが入ってきて、アナベルを見るなり感嘆の声をあげた。
ノアは、この春に成人として認められ、グレイス侯爵家の庇護を卒業し、正式なガードナー伯爵となった。その夫人の座を狙って多くの縁談が舞い込んできているが、どうやら心に決めた女性がいるようで、近々嬉しい報告が聞けるのではないかと、密かに楽しみにしているところだ。
王妃アイリスはアナベルの母親代わりだと主張し、警備体制が不安だとか前例がないとか難色を示す役人達を説き伏せて、式への参列権をもぎ取りこの場に来ていた。
「王妃だから参列出来ないという事なら、その間離縁しましょう?」と、王に満面の笑みで提案して周囲を唖然とさせたという。
そして、その話を夫から聞いたレヴィガータが王宮に乗り込んで、学院時代に戻ったようにアイリスに懇々と説教をしたらしい。
「アナベルさん、とても美しいわ。お母様にそっくりね……」
レヴィガータはそう言うとアナベルにブーケを差し出した。
優美な羽を広げた蝶のような、大輪の白い胡蝶蘭、瑞々しく元気なマーガレット、水色の可憐なベルフラワーが散らされたブーケから美しく枝垂れて揺れるのは、薄紫色の房状の花。
「摘みたてのウィステリアよ。……ジェパニ語では『フジ』と言うのだそうね。アナベルさんが見たがっていたとランスから聞いていたから、タウンハウスに移植してあったものをブーケにしたの」
「これがウィステリア……」
アナベルは受け取ったブーケにしばし見入った。
レヴィガータから、ブーケの手配は任せて欲しいと言われ、当日を楽しみにしていたのだが、まさか貴重なウィステリアを入れてくれるとは思ってもみなかった。
ランスロットも好きだというウィステリア。数本だけでもこんなに美しい花が、頭上から無数に垂れ下がる光景は確かに幻想的で感動するだろうとアナベルは思った。
「レヴィガータお母様、ありがとうございます……! とても綺麗で感激しています……!」
「……領地のパーゴラのウィステリアももう少しで満開になるから、落ち着いたら休暇を利用して見に来るといいわ」
耳を赤らめてそっぽを向くレヴィガータに、アナベルは満面の笑みで頷いた。
「もうフジの季節ね……。やはり綺麗。この国でも見られる事はとても嬉しいです」
スズにとっても思い出深い花なのだろう。何かを懐かしむようにウィステリアを見つめて優しく微笑んだ。
「フジの花言葉には、『決して離れない』というものがあります。今日という日に相応しいですね」
スズの言葉に部屋中が祝福の空気に包まれた。
そろそろお時間ですと知らせがあり、室内にはアナベルとノア、そしてアイリスだけが残った。
「アナベルのベールダウンは絶対私がやりたい! って無茶を言って出席したの。そのせいで仰々しい警備になってしまってごめんなさいね……」
アイリスはぺろっと舌をだして申し訳なさそうに謝った。
未来の第二王子妃や友好国の皇女だけでなく王妃も列席するとあって、近衛隊は勿論、第一騎士団も休日返上で多くの団員が警備に志願した為、一般貴族の結婚式としては大分……いや、かなり物々しい警備体制が敷かれている事実に、アナベルは笑って首を横に振った。
「私も、アイリスお母様に来て頂きたかったので、願いが叶って嬉しいです。……今日まで本当にお世話になりました。亡き両親に代わって私達姉弟を見守って下さったこと、とても言葉では言い表せないほど感謝しています……」
アナベルとノアが胸に手を当てて深々と腰を折ると、アイリスはハンカチを目元に当てた。
「……だからもう! 泣かせないで頂戴!」
アイリスにつられて瞳を潤ませたアナベルを見て、ノアが慌ててハンカチを差し出した。
「姉さん、幸せになってね……。万が一辛い事があったら、いつでも戻ってきて大丈夫だから! 僕は、そしてガードナー家の皆はいつでも姉さんの味方だってことを覚えていて……!」
頼もしく成長したノアの優しい言葉に、さらに瞳を潤ませたアナベルとアイリスは、その後なんとか涙を引っ込めると、労りあうようにそっと抱きしめあった。
「アナベル、幸せにね……。フリージア達もきっと一番にその事を願っているわ……。私はいつまでも変わらず貴女の第二の母なのだから、何かあれば相談しなさい?」
「はい……。ありがとうございます……」
柔らかな光に包まれた控え室で、ノアが見守る中、アイリスは慈しむようにそっとベールを下ろした。そして、アナベルの手を取って椅子から立ち上がらせると、全身を見渡して最終チェックをして満足気に微笑んだ。
「さあ、行きましょう……!」
パイプオルガンの荘厳な音色が響く礼拝堂、深紅の絨毯が敷かれた道を、アナベルは一歩一歩ランスロットの元へと向かう。
(天国のお父様お母様……。今日まで私とノアを護ってくださってありがとう……)
父親代わりとして隣を歩くノアにエスコートされて、参列者の暖かい笑顔に見守られながら進む長い道。その先に待つ、愛しい人の姿にアナベルの胸は高鳴った。
(今日から私はランスロット様と共に生きていきます……。彼とならきっと、お父様とお母様のような温かい家庭を築いていける……。だから安心して見守っていてください……)
祭壇へ辿り着いたアナベルは、近衛隊の正装を身にまとった凛々しいランスロットと手を取り合って神父の前に立つ。
二人の門出を祝うように響く温かな賛美歌。
健やかなるときも、病めるときも、いかなるときでも互いを愛し、その命ある限り真心を尽くす。
神と、親しい大切な人達の前でそう誓い合い、指輪を交換する。
緊張で手を震わせながら、何とか互いの薬指に誓いの証を煌めかせると、ベールがそっと上げられた。
目が合った瞬間、ランスロットは一瞬驚いたように瞬きをした後、ステンドグラスから降り注ぐ眩い光にも負けない程の眩しい笑顔で微笑んだ。
「驚いた……。あまりに綺麗で女神様かと思ったよ」
甘い声で褒められて頬に熱が集まる。
「ありがとうございます……」
(綺麗になろう大作戦、上手くいったみたいで良かった……)
婚約して以来、少しでも美しい花嫁になって喜んでもらおうと、キャロルと一緒に美容に気を遣った生活をしてきた。肌の保湿やオイルマッサージ、ヨガ、美容に良い食事など、流行に敏感な同僚達の誰も知らないような情報を次々に教えてくれるキャロルは、今では王宮の美容部長と呼ばれるようになっている。
そんな事を思い出してつい笑みを零すと、ランスロットの手がそっと頬に添えられた。
いつの間にかキスの前の合図になったそれに、ドキドキしながらゆっくりと瞳を閉じる。
自分のものとは全く違う大きくて逞しい手が、慈しむように触れてくれる感触がとても好きだと、アナベルはいつも思う。
いつまでも変わらぬ愛を──。
新郎新婦はそっと口づけを交わして未来を誓った。
挙式の後、アンバー侯爵邸では二人の結婚を祝うパーティーが催された。
挙式に招待できなかった知人達も呼んで、パーティーは賑やかで盛大なものとなった。
夜も更けて、ランスロットとアナベルは招待客に挨拶をして一足先に会場を後にした。
向かった先は二人の新居。
結婚後も仕事を続けるアナベルの為に、王宮の近くにある小さな家を借りたのだ。ランスロットの両親は、王宮から少し遠くてもしっかりしたタウンハウスを建てる事を勧めたが、それは子供が出来てから追々にと考えていた。
今はとにかく、少しでも長く一緒の時間を過ごせるようにと、二人で選んで決めた家だった。
「お帰りなさいませ。ご主人様に奥様」
新居に到着すると、家の管理を任せる家政婦と、一足先に来ていたアナベルの侍女達が二人を出迎えた。
奥様と呼ばれた事に盛大に照れるアナベルは、挨拶もそこそこに侍女達に浴室に連れて行かれ、驚くべき速さで身を清められ、身支度が整えられた。
ランプのほのかな灯りだけの寝室で、アナベルはベッドの端に腰掛けた姿勢のまま、微動だにせずランスロットを待っていた。
──初夜。
女所帯で過ごしていたアナベルだから、聞かずとも勝手に耳に入ってくるその手の知識は人並みにあった。
だから、この後どんな事があるのかも知っていて、覚悟も決めていた。でもきっと、緊張でうまく言葉が出ないし、体が震えてしまうかもしれない。
(優しいランス様の事だから、少しでも私が怯えたように見えたらきっと、気を遣ってしまうのではないかしら……)
そう思ったから、女官仲間が贈ってくれた、着るのに少し勇気がいるネグリジェを思い切って身に着けた。
身も心も貴方の妻になりたいという想いを精一杯伝える為に。
やがて静かなノックの音と共にランスロットが扉を開けた。
部屋の入り口に立ったままこちらを見つめるランスロットの視線に、アナベルは猛烈な恥ずかしさを覚えた。
ゆっくりと近づいて来て隣に座ったランスロットからは、普段と違う湯上りの石鹸の香り。緩く着崩した夜着からは逞しい肌が見える。それだけでもう胸が高鳴って、アナベルは何も言えなくなってしまった。
恥ずかしくて少し怖いけれど、貴方とひとつになりたい。
そんな期待を込めて見上げると、ランスロットと視線が絡み合う。
「ベル……愛してる」
吐息ともつかない、囁くようなその声に、ランプの灯りに揺らめくその熱を孕んだ眼差しに、アナベルの体は酒に酔ったかのように熱を持ち、力が入らなくなった。
「私も……愛しています……」
回らない口で何とか伝えると、新緑の瞳が幸せそうに細められる。
愛おしげに頬に添えられた大きな掌。許しを請うように唇をなぞる指先。
勇気を出してその手に自分の手を重ねて、そっと目を閉じる。
いつもの合図から始まるのは、いつもと違う初めての夜──。
言葉は無くても、触れ合った肌から伝わる想いに酔いしれる。
そんな二人にあてられたのか、カーテンの隙間から見えていた月も、いつの間にか恥ずかしげに雲の陰に隠れてしまったが、お互いしか目に入らない新婚夫婦にとっては、全く与り知らぬ事だった──。
ザック:ぐふっ……。
花待里:ザックゥゥゥ!!!! どなたかお医者様はいらっしゃいませんかァァァ!!!!