アリバイと思い出せない名前
『紫の君! もう大丈夫なのかい?』
アナベルがスズと共にナギの元へ到着すると、ナギがホッとしたような表情で話し掛けた。
「ご心配とご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。この通り回復致しました」
スオウの通訳を通して挨拶を交わすと、アナベルは席に着いたスズの後方に控えようとした。
すると──。
『今日は紫の君も招待客だから、こちらに座って?』
ナギが空いている席を指し示すので、アナベルは困って周りを見渡した。
「ナギ様が、アナベル様もお座りになるようにと仰っています」
スオウがそう通訳してくれたものの、国賓と同じ席に着くなんて畏れ多いと、丁重に辞退しようとしたが、今日の重要任務を思い出して、そのまま招待を受ける事にした。
(この方があの日の事をさり気なく話題に出しやすいはず……)
火災があった日のハヤテの行動を聞き出す事。頭の中はその事でいっぱいで、ジェパニ産の珍しいお茶や菓子の味も全く分からない程だった。
どうやって話を切り出そうかとあれこれ悩んでいると、スズがお菓子を頬張りながら例の火災について話題にした。
『火の回りが速くて、大きな屋敷があっという間に焼け落ちてしまったんですって……!』
侍女が仕入れて来たという情報をもとに、スズが身振り手振りで火災のすごさを伝えると、スオウが相槌を打った。
『そうなんですよ! あの時ちょうど私とハヤテは港に居たんですが、遠くからでも赤く染まった空と黒煙が見えた程でしたから!』
アナベルはその言葉につい声をあげそうになった。
(ハヤテ殿は本当に外出していたのね……! しかも港なら、伯爵邸からそれ程遠くない!)
もっとその話を詳しく聞きたいが、スズとスオウはアナベルがジェパニ語を使える事を知らない為、こちらから質問する訳にもいかない。
どうしたらいいかと視線を泳がせていると、スオウが会話の内容を通訳して聞かせてくれたので、アナベルは努めてさり気なく質問した。
「お二人は港にいらっしゃったのですね? 何かご用事があったのですか?」
「ええ、ナギ様からのお手紙を送りにいったんです」
その日ハヤテとスオウはナギが国元に宛てて書いた手紙を、ジェパニの御用商人に託す為に港へ行ったそうだ。
スオウと商人との話が長引きそうだったので、その間ハヤテは婚約者に土産を買いに行く事にして、しばらく別行動をとったという。
そして、スオウが商人との話に夢中になっていると窓から黒い煙が見え、伯爵邸の火事を知ったのだという。
(つまり、スオウ殿は商人と一緒に港にいて、ハヤテ殿はどこにいたか分からないという事……?)
ますます疑いが増すハヤテに、アナベルは思い切って質問をしてみた。
「ハヤテ殿は婚約者様へのお土産は何になさったのですか?」
するとハヤテは動揺したように目を泳がせた。
『それが……色々な店をまわって何にするか散々迷った挙句、何も買えませんでした……』
『半刻近くも別行動したのに何も買えなかったのか!?』
いつもハキハキ喋るハヤテが珍しく口ごもって答えたのを聞いて、スオウが驚いたような声を上げた。
(半刻近くハヤテ殿は一人だった……。それだけあれば、伯爵邸に行って事件を起こして帰ってくる事ができる。ハヤテ殿が犯人なのかしら……)
頬に傷のある男の目撃情報に、不明確なアリバイ。どれもがハヤテを疑えと主張してくるが、アナベルはハヤテを疑いたくなかった。
でもこれで今日の最重要任務はこなせたと、アナベルは密かに胸を撫で下ろした。
(後はルイス殿下にお任せしよう、そうしよう……!)
最後に念の為と思い、アナベルはスオウにさり気なく聞いた。
「スオウ殿が話していた商人は何というお店のどなたですか? ジェパニの宮廷にも出入り出来る商人のお話であれば、今後の国交継続の為に有益なものとなるはずです。きっとルイス殿下も興味を持たれる事と思いますので、紹介させて頂きたいのです」
商人の情報を聞いておけば、後からスオウのアリバイを確認出来ると思っての事だった。ところが、スオウは額に手をやって悩み始めた。
「店の名前……なんだったかな? うわ! ド忘れしてしまって……! 申し訳ありません、顔は浮かぶんだけど名前はなんだったか……」
『なんの話をしているんだい?』
アナベルとのやり取りでスオウが困った顔で口ごもっているのを見て、ナギが通訳を求めた。
『ええ、その、港にはどれくらいの商人がいるのかと聞かれて、ちょっと私には分からないという話をしていました』
スオウの通訳を聞いて、アナベルは無表情を保ちながら内心で首を傾げた。
(そんな話はしていなかったけれど……。訳を間違えたのかしら?)
スオウの通訳は今まで完璧だっただけに、何故だか今回のミスがとても気になった。
商人の件についてもう少し突っ込んで聞きたいと思ったが、スオウが港で見た珍しい魚の話を始めて、それにスズが興味を示した為に、話が一気に逸れてしまった。
それ以降、火災の件に話題が戻る事はなく、お茶会は終わった。
「アナベル様、少しよろしいですか?」
スズの居室に帰る途中で、追いかけてきたスオウにアナベルは声を掛けられた。
スズ達には先に帰ってもらい、アナベルはスオウの話を聞く事にした。
「実は先程はハヤテもいたので言えなかったのですが……火災現場で頬に傷のあるジェパニ人が目撃されたらしいと小耳に挟んだのです……」
アナベルは驚いて、何故それを知っているのかと思わず聞きたくなったが、無表情を維持したまま耐えた。
「まぁ……そうなのですか? そんな不明確な噂をするような人間は、この宮殿には出入りさせていないと思うのですが、どの者から聞きましたか? 男性ですか? 女性ですか?」
(目撃情報は箝口令を出して広まらないようにしているとルイス殿下は仰っていた……。もしかしたらスオウ殿にその話をした者がスパイかもしれない……)
そう思い、詳しく聞こうとするとスオウは慌てて言った。
「扉が空いている部屋の中で話しているのが偶然聞こえてしまっただけなので、姿は見ていないんです……! 女性の声だったと思いますが……それよりも!」
アナベルがメモを取り出し、更に細かく聞き出そうとするのを遮って、スオウはアナベルに耳打ちをした。
「あの日ハヤテと合流してみると、お土産を探していたはずのハヤテから、煤のような臭いがしたんです。……もしかして本当に火災現場に居たのかもしれません」
スオウはそう言って、不安げに辺りを見渡した。
「私がこんな事を言ったというのはナギ様やハヤテには内緒にしてください……」
「勿論です。貴重な情報ありがとうございます」
アナベルがそう言うと、スオウは狐目をさらに細めて、ホッとしたような顔で笑った。
「仲間を疑うような事はしたくないですが、万が一何かあれば取り返しがつきませんからね……」
スオウはそう言うと一礼して、来た道を戻ろうとした。
「スオウ殿、港で会った商人の名前は思い出せましたか?」
アナベルが再度そう聞くと、スオウは振り向いて申し訳なさそうに肩を竦めた。
「申し訳ありません、まだ思い出せなくて……。思い出したらお教えしますよ」
スオウはそう言うと今度こそ、その場を去っていった。
(思い出せない名前……。ハヤテ殿の煤の臭い……)
ルイスに報告すべき内容を心に刻みつけ、アナベルもスズを追いかけて歩き出した。
****
人々が寝静まり、積もった雪が世界中の音を吸い込んでしまったかのように、しんと静まり返った夜更け──。
イヨはワインと軽食の入ったバスケットを提げて、とある一室へ向かっていた。
目的の部屋のある区画の手前で複数の軍靴の音が聞こえたと思ったら直ぐに巡回中の騎士達と遭遇した。イヨは内心舌打ちしながらも、しずしずと騎士らに頭を下げて通り過ぎる。
なるべくなら遭遇したくないのだが、この宮殿を警備している第一騎士団は、巡回ルートや時間を固定していない為、動きが読めないのだ。
決められた時間に決められたルートをただ漫然と歩くだけの手抜き警備なら良かったのに、どの騎士も油断なく周囲を見渡して巡回するので気が抜けない。
もっとも今のイヨはどこをどう見ても、ジェパニの官僚の為に寝酒を運ぶ、ただの下女なので、そこまで過敏になる必要はないのだが……。
目的の部屋のドアをノックすると直ぐに応答があり、中に招き入れられた。
『巡回と遭遇しましたので、怪しまれないよう手短にお願いします』
イヨがそう言うと、部屋の主の男はわざとらしく大きな溜め息を吐いた。
『まったく……。仕事熱心な騎士団のお陰で、動きにくいったらないな……』
そう言うと、男は小さな紙切れを差し出した。
イヨはそれを素早く読み、暖炉の火にくべた。
『なかなか成果が出ず、国のお偉方はお怒りだ。何とか次の行動を起こしたいが……』
両国の友好に亀裂を入れるような何か大きな事件を起こし、国際問題に発展させて再び鎖国政策に戻そうとしている貴族からの依頼で動いているイヨ達。
手始めに旅の途中、邪魔な医者や護衛官数名に遅効性の毒を飲ませて一行から離脱させた。棘のあるソムニウムをナギに取りに行かせたり、ミリオン伯爵をそそのかして舞踏会で騒動を起こそうとしたが、どれもあと一歩という所で阻止された。さらには千載一遇のチャンスだった誘拐事件も見事にもみ消されてしまい、悔しい思いをしていた。
『てっきりお前は誘拐事件で捕まってしまうかと思っていたが、どうやって誤魔化したんだ?』
この機を逃すまいと、捕まる覚悟で皇女に睡眠薬を飲ませ、誘拐の手引きをしたイヨは、今も通訳として平然と皇女のそばにいる。
男が興味深げに尋ねると、イヨは口の端を僅かに吊り上げた。
『お優しいスズ様が庇ってくださっています。ですが、嘘をついている事に耐えられず、全て話してしまう日も遠くなさそうです』
イヨが薬を渡した事は誰にも話さないという約束をスズは律儀に守っていた。しかし、あの日の行動を後悔しているらしい彼女が、その素直な性格ゆえに我慢出来ず、全てを白状して許してもらいたいと思っている事にイヨは気付いていた。
『それまでに何か他の方法で騒ぎを起こせないか?』
『機会を窺ってはいるのですが、護衛騎士が思った以上に厄介で隙がありません』
ランスロットといい、後任のアレックスといい、たかが小国の皇女の為に随分と手練の騎士が配置されている事に、イヨは密かに驚いていた。特にアレックスの危機察知能力はずば抜けていて、既に金で雇った工作員達が何人も捕まっている。
自分で何か事件を起こそうと思っても、すぐにバレてしまいそうな気がひしひしとしていた。
(……自分でするのが無理なら、人を使えばいいじゃない……)
そう気づいてイヨはニヤリと笑った。上手くいけば、睡眠薬の件も擦り付けられるかもしれない名案を思いついたのだ。
良い案を思いついたと笑うイヨを見て、男はワインを注いだグラスを掲げた。
『私の方も、最後の宴で事を起こす。互いに上手くいくよう、八百万の神々に祈るとしよう』
そう言うと男はグラスの中身を一気に飲み干した──。
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