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雪合戦


「はぁ……」


 もう何度目かわからないスズの溜め息が静かな室内に響く。


 睡眠薬の効果が切れてから丸一日以上経ち、スズの体調はすっかり良くなっていた。

 先程までキャロルがお見舞いに来ていて、スズの好きなお菓子や可愛らしい花を置いて帰っていったところだった。

 スズが誘拐されたのは自分のせいだと思っているキャロルが、申し訳なさそうにしているのを見る度に、キャロルを裏切った卑怯者の自分が、そして、それを打ち明けられない臆病者の自分が嫌になって、気持ちが沈んでしまうのだ。


(早く元気にならないと……)


 そんな事を考えていると、頬杖をついていた目の前の白いテーブルに大きな影が落ちた。

 見上げるとそこにいたのは、昨日からランスロットの代わりに護衛として傍にいてくれているアレックスだった。


『スズ、外、遊ぼう』


『遊ぶ……?』


 アレックスのたどたどしいジェパニ語に、スズがこてんと首を傾げると、アレックスは困ったように頭を搔いて辺りを見渡した。そして、イヨを見つけると近寄っていって何やら説明している。

 やがて、近づいてきたイヨがクスクスと笑いながら言った。


『スズ様、アレックス様が気分転換にお庭に散歩にでも行きませんかと仰っています。スズ様に元気がない事を心配しておられるようですよ?』


 アレックスを見ると、ニッカリと笑ってドアを指差し、外に行こうというジェスチャーをしている。

 そんな様子に自然と笑みを誘われて、スズは思わず頷いた。

 植木に嵌って動けなくなった時も、誘拐されかけた時も助けてくれたアレックスを、スズはすっかり信頼していた。


(アレックスについて行けば、気持ちの切り替えが出来るかもしれない……)


 そう思ってスズは外に出る準備を始めた。



 外は雪が積もっていて、バラ園も綺麗に雪化粧をしていた。

 ジェパニにも雪は降るため、それ自体は珍しくもないが、祖国とは全く違う景色に降る雪を見るのは新鮮で心が躍った。


『スズ、寒いですか?』


 心配そうに聞いてくるアレックスにスズは笑顔で首を横に振った。

 スズは動きやすいワンピースに、城下町の若い女の子たちの間で流行っているという、フード付きモコモコケープを着ている。マフラーと手袋もしていて、防寒対策はバッチリだった。


『大丈夫だよ! 景色が綺麗!』


 そう言うと、知っている単語だったようで、アレックスはニッカリと笑った。


『綺麗! 知ってる! 綺麗、綺麗』


 言葉を覚えたばかりの子供のように何度も繰り返すアレックス。

 その様子が、ふた回り近く年上の筈なのに、なんだか可愛らしく感じてスズは思わず笑ってしまった。


(前世で【キミ薔薇】をやってた時は、イケオジ枠のアレックスは正直そんなに魅力を感じなかったけど、今は精神年齢が上がったからか、ものすごくアリなんだよなぁ……)


 そんな事を考えていると、アレックスは雪がこんもりしている所を見つけてしゃがみこんで、何かを作っている。

 スズが覗き込むと、小さな雪だるまらしき物が出来ていた。


『雪だるまだ!』

『ユキダルマダ? ユキマルダダ?』


 雪だるまは知らない単語だったらしいアレックスは首を傾げて何度か呟いた。


『ゆ、き、だ、る、ま!』


 スズが指をさしてゆっくり発音すると、アレックスもそれに合わせて発音の練習をした。

 スズはすっかり先生になったような気分になって、雪だるまの隣に小さな雪うさぎを作った。うさぎの耳と目は、近くに落ちていた薔薇の葉と赤い花弁を使った。


『ゆ、き、う、さ、ぎ!』


 指を差してアレックスに発音を教えると、アレックスは嬉しそうに頷いた。


『うさぎ、知ってる! 可愛い!』


(そんなアレックスが可愛いんだけど!)


 心の中でついそんな事を叫んでしまい、スズは恥ずかしくなった。


(ルイスにフラれたばっかりなのに、もう他の男の人にときめいて……。私ってば現金なやつ……)


 またしても憂鬱な気持ちになってしまうのを誤魔化すように、スズはしゃがみこんでアレックスが作った雪だるまに雪を足し始めた。

 雪を足して固めて、また雪を足して固めて……。

 作業をしながら、アレックスに話し掛けた。といっても、アレックスには聞き取れないはずだから、実質独り言だった。


『私ね……優しくしてくれる先輩の事を裏切っちゃったんだ。しかもズルして惚れ薬まで使って……。だからあの事件はきっと神様からの罰だったんだと思う。それなのに先輩は自分を責めてしまって……』


 アレックスはスズをじっと見つめていたが、黙ったままスズの作業を手伝い始めた。手の大きいアレックスが雪を盛ると、みるみる雪だるまは大きくなっていく。


『先輩が苦しんでるのに、本当の事を打ち明けて謝れない自分サイテーだと思う。先輩に嫌われちゃったら嫌だからって、怖気付いてる自分サイテー』


 途中から流れ始めた涙もそのままに、最低な自分を雪で埋める儀式のように、ひたすら雪だるまを大きくしていく。


『心配してわざわざこの国までついてきてくれたお兄様に酷い事言った自分もサイテー。ばぁやだって、長旅に付き合わせて無理させたから腰を痛めちゃったし……。私はあのままジェパニで大人しくしてたら良かったのかな?』


 鼻水をすすりながら、雪を掬っていると、温かい何かが頭に乗った。見上げると、手袋を外したアレックスがその大きな手でスズの頭を優しく撫でていた。


『スズ、良い子。頑張った』


 金の瞳を優しげに細めて、アレックスは何度もそう言ってスズの頭を撫でた。


(目元の笑い皺……最高。推せる……)


 すっかりイケオジの虜になったスズは、アレックスに慰められながら思いっきり泣いた。

 ルイスにフラれた事よりも、大切な人達を傷つけてしまった事が何より辛かったのだと気づいて、自分の中のモヤモヤが流れ出て行くように感じた。


(勇気を出してちゃんとキャロル先輩に謝ろう……。お兄様にも……)


 アレックスが付け足した方だけ歪に大きくなった雪だるまが、頑張れと応援してくれている気がした。



 しばらくそうして泣いて、ようやく涙がおさまって来た頃、アレックスがいきなり後ろを振り向いて抜剣した。そしてバシャという音がしたと思ったら構えたサーベルに当たった雪玉が地面に滑り落ちた。


「団長ぉぉ! 何してんスか! 小さい子イジメちゃダメでしょぉぉ! 副団長に言いつけますよ!?」


 スズが声のした方を見ると、見覚えのある黒い軍服の騎士達──宮殿を警備している第一騎士団員の数人が、少し離れた所から叫んでいた。


「イジメてねぇし、小さい子じゃねぇ! スズ様だ無礼者! そんで仮にも上司に向かって雪玉投げるんじゃねぇ! 万が一スズ様に当たったら危ねぇだろぉが!」


 アレックスが叫びながら騎士達に次々と雪玉を投げ返すと、騎士達はギャーギャー騒ぎながら雪玉を避けている。


「えっ! スズ様! マジかよ! ってか、この超精密コントロールを誇る俺が的を外すわけないっしょ! あと、団長の雪玉は殺傷能力高いんだから、投げるのやめてくださいよ!」


 会話の内容は分からなかったが、騎士達のあたふたした様子が可笑しくて、スズはクスクスと笑ってしまった。

 それに気づいたアレックスは、スズに大きな雪玉を手渡した。


『投げる! 投げる!』


 そう言って騎士達を指差して、投げるジェスチャーをする。

 スズは何だか楽しくなって、アレックスに促されるように思いっきり雪玉を投げてみた。

 大きすぎた雪玉は両手で投げるしかなく、当然すぐ近くにベチョッと落ちたが、騎士達がまたわぁわぁ騒ぎ出した。


「なに! スズ様も参戦か!? 絶対権力しかもか弱い婦女子を味方につけるなんてズルいぞ団長ぉぉ!」

「お前ら団長を狙えぇぇ! 万が一にもスズ様に当てるんじゃねぇぞ! 当てたら極刑だぞ!」


 そう叫ぶと、見事なコントロールで的確にアレックスを狙っていく。


「お前らこそ複数で一人を狙うなんて卑怯だぞ!」


 アレックスはそう叫ぶと、雪まみれになりながらスズ用に即席の雪の壁を作って、反撃を開始した。

 スズはその雪の壁に隠れながら、せっせと雪玉を作っては投げる事を繰り返した。


(雪合戦なんて前世でやって以来だわ!)


 先程まで泣いていた事もすっかり忘れて、スズは久しぶりに楽しく遊んだ。



 日頃の運動不足が祟ってスズがすっかり疲れきってしまった頃、筋肉だらけの雪合戦は終了した。


『アレックス様ありがとう! こんなに遊んだのは久しぶりで楽しかった!』


 スズがお礼を言うと、アレックスはスズの頭を撫でて優しく笑った。


『スズ笑顔になる。可愛い!』


 アレックスの行動にスズが頬を真っ赤に染めて動揺していると、雪まみれになった騎士達が寄ってきて、口々に挨拶を始めた。


『初めまして?』

『会えて嬉しいデス』

『好きな食べ物は何ですか?』


 たどたどしいジェパニ語を一生懸命披露してくれる騎士達にスズは感動した。


(今まで国交の無かった小さな島国の言葉を、こんなに沢山の騎士達が勉強してくれているなんて凄い……)


 そして、親善大使に立候補したにもかかわらず、この国の事を何も勉強してこなかった自分を恥ずかしく思った。


(私も勉強しよう……。少しずつでもこの国の人達と、そしてアレックスと仲良くお喋りが出来るようになりたいもの……)


 悪役皇女をお役御免になって、何をしたらいいか分からず途方に暮れていたが、親善大使の一員としてすべき事が見つかり、スズは途端にヤル気が漲ってくるのを感じた。


 ****


 スズと団員達がワイワイと喋っている輪から抜けて、シリルは少し離れた所から優しげに見守っている実兄アレックスの隣に立った。アレックスはシリルを横目でチラリと見て頷いた。


「……助かったぞ、シリル。お陰で煩わしい視線がなくなった」

「目視出来ただけで三人。どいつも王宮の使用人の服装でした」


 アレックスと同じ金の瞳を光らせたシリルが淡々と言うと、アレックスは溜め息を吐きながら頭を搔いた。


「王宮の使用人の服ってのは、どっかで安売りセールでもやってるのか? 流出しすぎだろ……めんどくせぇ」

「似せて作ってるんでしょ。……あいつら捕獲しなくて良かったんすか?」


 シリル達は宮殿の外周を巡回中、せっせと雪だるまを作るアレックス達と、物陰に隠れてその様子を窺う複数の不審者を発見した。あわよくば皇女を襲撃しようという魂胆のようだった。通常であれば直ぐに捕獲に動くが、ジェパニ側の意向で極力騒動を起こすなと、ルイス殿下からのお達しが出ている。

 誘拐未遂事件が起きたばかりで、上層部はピリピリしているのだ。


 そこで、皇女に気付かれないようにアレックスに警戒を促すと共に、指示を貰おうと雪玉を投げた。

 アレックスは雪玉を見事撃ち落として、警戒を怠っていない事を知らしめた。

 捕獲の指示が出るだろうとシリルは思っていたが、アレックスから出たハンドサインは【待機】だった。

 たちまち雪合戦が始まり、アレックスはさり気なく不審者達の隠れている所に豪速球を投げつけていく。

 自分達の存在がバレていると知った不審者達は直ぐに逃げていった。


「スズ様は怖い思いをしたばかりだからな。せっかく元気を取り戻したのに、今また怖い思いをさせたくはない」


 アレックスの答えに、シリルは金の瞳を丸くした。


(うっかり団長のくせに、イケメン彼氏が言いそうな事言ってる……。スズ様に求婚した事になってるって聞いたけど、ひょっとしてマジで春が来るのか……?)


 さっそく副団長に報告せねばと、シリルが心のメモに書き付けていると、アレックスは優しげにスズを見つめていた金の瞳を捕食者のそれに変化させて呟いた。


「それに、簡単に気配を悟らせる奴らなら、何人来たって問題はない。おいおい狩ってやるさ」


(怖ァ……)


 アレックスに狙われて無事だった獲物はいない。

 次に現れたが最期、雑魚があっという間に捕まるのは確定事項として──。

 その調子でスズ様の心も射止めてくれと、なかなか良縁に恵まれないアレックスを心配する家族のひとりであるシリルは、そんな事を狩猟の神に祈るのだった。


「……ところでそろそろ部屋に戻らないと、あんな小さいお姫様、すぐに風邪ひいちゃうんじゃないすか?」


 筋肉だらけの世界で育ったシリルは、筋肉に護られていない人間を見ると、無性に心配になる習性があった。

 いつの間にか団員たちが付け足したらしい、立派な大胸筋と腹筋を有した雪だるまを見て、楽しそうに笑っているスズは、よく見ると鼻も頬も真っ赤だった。

 アレックスは思ってもみなかったらしいシリルの指摘に、その通りだと慌てた様子でスズに呼びかけた。


『おーい! アリス・・・! そろそろ部屋に戻る!』


 ――その瞬間、世界から一切の音が消えた。(※あくまで個人の感想です)


「ちょ、団長! スズ様ですって! うっかり副団長の愛称呼んじゃう癖、いい加減に直してくださいよ!!」

「ハッ! しまった! つい……」


 たどたどしいジェパニ語だったし、名前を呼び間違えるなんて不敬が、どうか皇女様に認識されていませんようにと、シリルはさっき以上に必死で狩猟の神に祈った。


『アリス……? 誰? 私?』


 スズが不思議そうに首を傾げたので、団員達は蜂の巣をつついたように大騒ぎした。


「いや、これには深いようでめっちゃ浅い、しょーもない事情がありまして……!」

「実はアリスっていうのは愛称で、うちの副団長の名前がアリスティドって言いまして……!」

「団長は学校の先生をついお母さんって呼んじゃう系の、うっかり常習犯で……!」


 慌てるあまり、この国の言葉で喋るのでスズに全く伝わらないカオス。


『副団長の名前はアリスティドです! 彼の愛称はアリスです! 団長と副団長は親友です!』


 慌ててシリルが輪の中に割って入り、教科書の例文を思い出しながらジェパニ語で説明を試みた。


『あぁ、なるほど! 副団長さんがアリスなのね!』


 スズがパッと笑顔になってパチンと可愛らしく手を叩いたので、あたふたしていた筋肉達は一斉に安堵の溜め息を吐いた。


「さすがジェパニ語検定二級まで合格したシリルだぜ! 俺ぁ副団長って単語が分からなかった!」

「俺も俺も!」


 シリルのナイスリカバリーを称える筋肉達を他所に、スズは近くに来たアレックスをじっと見上げた。


『ねぇ……アリスって、もう一度呼んでみて?』

『もう一度? 呼ぶ……?』


 通訳してくれと、困惑気味にシリルを見てくるアレックス。


(いや、団長が聞き取ったので合ってるけど、俺も意味がわからない……)


「えーと、なんでか知らないけど、もう一回アリスって呼んで欲しいって言ってますね……」


 期待に満ちた漆黒の瞳でアレックスを見上げ続けるスズ。

 その視線に耐えきれず、アレックスはおずおずと呼びかけた。


「アリス?」


 すると、スズは頬を桃色に染めて、照れたように可愛らしく微笑んだ。


「嬉しい……。懐かしい……」


 筋骨隆々の副団長の愛称で呼ばれて何故喜ぶのか──。

 筋肉達の頭上では、筋トレも兼ねてハテナマークが懸命に反復横跳びしていた。


 そんな状況に気付いたスズは慌てて説明を始めた。


『えっと、前世の名前……じゃ分からないか! ……私の昔の名前がアリスです。これで伝わるかな……?』


 この中で一番ジェパニ語力のあるシリルに視線が集まった。


「えーと、スズ様の昔の名前がアリスらしいです。幼名ってやつですかね?」

「驚く程ジェパニっぽくない幼名だな!?」

「ジェパニ語にアリスって発音の単語があるのか?」

「ミュー先生に聞いてみようぜ!」


 なんだかよく分からないが、団長のうっかりが誤解されなくて良かったとシリルは胸をなで下ろした。

 お見合いからデートに漕ぎつけた女性をうっかりアリスと呼び、相手に誤解されたり怒らせたりして、ダメになってしまった苦い経験は一度や二度じゃない。


(幼名に愛着があるのか? 何にせよ悪印象にならなくて良かった……! 年齢差と身長差がなかなかに激しいけど、もしかしたら領地の母上に良い報せを送れるかもしれない……)


 騎士として生涯を剣の主に捧げる為に、独身を貫く者も中にはいるが、子供に早く身を固めて欲しいと親が願うのも仕方のない事で……。

 アレックスとシリルの母親である辺境伯夫人が必死で、脳みそ筋肉な息子達の見合い相手を探している事は、領地では明日の天気より有名な話だった。


『アレックス様、たまにアリスって呼んで欲しいな……?』


(え、だからなんで……!)


 普段と違う呼び方をされると特別感があって良いという事なのか……。

 やはり筋肉を装着していない人間の考える事はよく分からないと、遠い目をするシリルだった。


学校の先生をお母さんて呼んじゃうあるある。

タイトルを「筋肉だらけの雪合戦」にしようか30分ほど迷いました(長)

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