只のスズとして
スズの診察が終わり、異常がない事が分かって、キャロルがアナベルの様子を見に飛び出して行った後――。
ルイスと侍従達も、この事件に関しての対応を国王と相談すると言って出て行き、部屋の中にはナギとスズ、そしてハヤテとスオウだけが残った。
『さて、スズ……。お前は一体何をやらかしたんだ?』
『な、なんの事……?』
枕を背もたれにしてベッドに座っているスズは、幼い子を叱るようにナギに睨まれ、ぎくりとした。
『とぼけるんじゃない。お前が嘘をつく時は絶対目が泳ぐから直ぐに分かる。拐われた時の事、記憶が曖昧だと言っていたが本当は憶えているんだろう?』
『うぅ……』
言葉に詰まるスズに、ナギは更にたたみかけてくる。
『憶えているのに言わないって事は、人に言えない事をしたんだろう? 怒るけど許すから、本当の事を話すんだ』
『普通は怒らないからって言わない!?』
スズが涙目で訴えるが、ナギは形の良い眉を吊り上げたまま。
『……っ、ごめんなさい! ただ、ルイス様に告白しに行こうとしただけなの! こんな事になるなんて思わなかったの!』
ついに根負けしたスズは話し始めた。
『どうしてもルイス様のお嫁さんになりたくて……。それで、告白の前に魅力を増幅させるっていう薬を飲んだの! そしたら眠くなってきて……その後は憶えてない!』
そう言ってスズはギュッと目をつぶった。他に隠している事があると見破られないように……。
(本当の事を言ってしまったら、イヨが罪に問われてしまう……。イヨが中止しようって言ったのに、薬を飲んだのは私なんだもの……!)
明らかにまだ何か隠していそうなスズの様子に、ナギは深い溜め息を吐いた。
『魅力を増幅させるって……その怪しげな薬はどこから入手したんだ?』
『……ジェパニにいた時に贈られたものを持って来たの。誰から贈られたかは分からない……』
スズが目を瞑って顔を背け続けているので、それが本当の事かどうか、ナギは判断しかねているらしかった。
『じゃあ次、私が何度も国際問題になるような言動は控えろといったのに、どうしてそこまでルイス殿下に固執するんだ?』
自分ばかりが聞き分けのない子供だと言われたようで、スズはカチンときた。
『そういうお兄様だって、婚約者のいるアナベルに言い寄ってるじゃない! それだって充分国際問題だわ!』
スズが睨みつけると、ナギは一瞬言葉を詰まらせた後、言い訳するように弱々しく言った。
『……私のアレは、ちょっとしたいつもの癖だ。彼女だって本気にしていないさ……』
『本当にそうだって言える? お兄様の目はいつもアナベルを追ってるって気付いてないの? 彼女と話してる時どんなに嬉しそうな顔をしてるか、鏡で確認した方がいいんじゃない? 私の目には、お兄様がアナベルに本気で惚れてるように見えるけど?』
スズがそう指摘すると、ナギは動揺したように視線を泳がせ、慌てて話を切った。
『い、今は私の事はどうでもいい! 問題は、何故お前がルイス殿下に告白しようとしたかだ!』
再度問い詰められ、スズはやけっぱちな気持ちで叫んだ。
『だって……せっかくモブなんかじゃなくて、物語の鍵を握るスズになれたから! ちょっとくらい夢見たって、チャレンジしてみたっていいじゃない! そりゃ、キャロル先輩には申し訳ないってすごく思ったけど! ……でも、どんな手を使っても私はもうジェパニに帰りたくないの!』
そう言うと毛布に顔を押し当てて溢れる涙を隠した。
『モブだの物語だの、何の話かよく分からないが、国に帰りたくないなんて、何でそんな事を……』
国に帰りたくないという言葉に驚いたナギが困惑したように呟くと、スズは泣き濡れた顔を上げてナギを睨んだ。
『お兄様はいいわよね! そりゃ、皇太子になれなかったのは無念だろうけど、重責から解放されて今やいろんな所を自由に遊び回ってるじゃない! でも私は──女はあの国では何も出来ない!』
スズは寝乱れた自分の長い髪を厭わしそうに引っ張り、ナギに見せつけた。
『こんなに重たい髪と着物を引きずってオシャレも出来ない! 誰も来てくれない寂しい部屋からロクに外にも出られない! 顔も見えず直接喋る事も出来ない男にどうやって恋しろっていうのよ!』
そこまで一気に言い切って、弾んだ息を整えるように何度か深く息をしたスズは、毛布を握りしめて俯いた。
『この国の女性もそれなりに不自由さはあるみたいだけど、それでもジェパニよりは遥かにマシよ……。オシャレだって恋だって、何だって出来る。だから私はどうしてもルイス様のお嫁さんになってこの国に居たいの……』
『なるほど、そういうご事情ならお役に立てると思いますよ?』
ナギでもハヤテ達でもない声がしたかと思うと、入口からルイスが入ってきた。
『ルイス様……! どうして……』
自分の想いを聞かれてしまったと、スズは助けを求めるように慌ててナギを見やると、ナギは気まずそうに視線を逸らした。
『皇女様のご様子が気になったので、ナギ殿下に許可を頂き扉口に控えておりました。盗み聞きするような真似をして申し訳ありません』
ルイスはスズの近くに来ると、自分の胸に手を当てて、さも申し訳なさそうに眉を寄せて、切なげな表情でスズに謝罪した。
『顔面国宝……』
スズはついその場の状況を忘れて、ルイスに見蕩れてしまった。
『皇女様、我が国をそんなにも気に入っていただき、ありがとうございます。僕に嫁ぎたいと言ってくれた事も。……ですが、残念ながら僕にはキャロルという心に決めた相手がいて、何があってもそれは変わりません。たとえ貴女と結婚する事が国にとっての利益になるのだとしても……』
国益を全面に押し出して結婚してもらおうと思っていたスズは、先手を打たれてきっぱり断られたことに唇を噛んだ。
『皇女様とキャロルが共有する物語の話を、更には皇女様から教えて貰ったという続きの物語も、僕はキャロルから聞いて知っています』
キャロルは前世の事をルイスに話しているのかと、スズは驚いた。
──正確には、かつてキャロルがうっかりポロッと喋った前世の話を、ルイスが根掘り葉掘り、キャロルが「もう勘弁して〜!」と懇願するまで聞き出したのだが。
『失礼ですが、物語の通りであるなら、貴女の役割はヒロインの踏み台という損な役回り。そんなものに縛られる事なく、皇女様ひとりを心から愛してくれる相手を見つけて嫁ぐべきです』
悪役皇女スズは、キャロルがスムーズに婚約破棄して、新しい攻略対象とハッピーエンドを迎える為の踏み台。確かにそうだ。
推しと結婚出来るならそれでも良い、悪役を全うする事で大好きだった乙ゲーのハッピーエンドにも貢献出来ると思っていたスズだったが……。
(叶うなら私だって、ヒロインみたいに素敵な恋愛がしたい……!)
前世は恋愛をする前に死んでしまったスズ。そのせいもあって、物語のような恋愛や結婚に憧れていたから、ルイスと仲睦まじくしているキャロルが羨ましかった。
乙女ゲームのヒロインとヒーロー。そんなシステムで決められた枠組みには収まらないくらい、キャロルとルイスの繋がりは強く深いもののように見えた。
ゲームでのルイスは何事も兄王子を優先に考える人だった。だからこそ、スズと結びつく事で得られる国益に傾き、キャロルと婚約破棄をするのだ。
けれど──。
(こんなに想い合っている二人の仲を割く方法なんて、どう頑張っても思いつかないよ……)
スズは静かに涙を零した。
ゲームとそっくりだけどゲームじゃないこの世界。ハッピーエンドに貢献する為に自分なりにあれこれ頑張ってみたものの、きっとルイスは婚約破棄なんてしないと、心のどこかで分かっていた。
(フラれちゃった……。でも、いつまでも未練たらしくしがみつくより、こうしてルイスにすっぱりフラれて良かったのかもしれない……。これからは悪役皇女としてではなく、只のスズとして生きていく事が出来そうだから……)
『私一人を愛してくれる相手……。そんな人見つかるのかな……?』
泣き疲れたスズがついそんな不安を零すと、ルイスは眩しいほどに良い笑みで頷いた。
『という訳で、ランスロットの代わりにアレックスを皇女様の護衛につけることにしますね』
『え、なんで……!?』
ルイスの予期せぬ発言に、スズはポカンと口を開けて固まった。
『状況はどうあれ、ランスロットは任務を無断で放棄したので護衛から外します。近衛でも随一の手練である彼の代わりには、実力的に第一騎士団の団長たるアレックスが適任ですから』
その言葉を聞いて、スズは青ざめた。
『ランスロットの言いつけを守らずに、勝手をした私が悪いんです! だから、ランスロットに罰を与えるのはやめてください! お願いします!』
『私からもお願いしたい。婚約者が側にいる状況であっても、彼は常に任務を優先してスズを護ってくれていた』
スズとナギの申し出を聞いて、ルイスは微笑んだ。
『御二方のお言葉、必ず王に伝えます。ちょうど王の公務の関係でランスを護衛に戻して欲しいという要請が出ているので、表向きはそういう理由で配置替えを行います。ですから、今回の事件が公に知られる事はありませんのでご安心ください』
スズが誘拐されかけたと公になれば鎖国派の思うツボ。この件は闇に葬り去る必要があるのだ。
『何より、アレックスは皇女様に求婚している身ですからね。全力を尽くして皇女様をお護りする事でしょう。皇女様もこの機会に是非、間近で彼の為人を確認してみてください』
ルイスの言葉にスズは頬を染めた。
(色々あって求婚されていた事なんてすっかり忘れていたのに、アレックスと近くで過ごす事になるなんて……!)
今、失恋したばかりなのに、スズはもう明日からの事で頭がいっぱいになってしまった。
『アレックス殿は今回スズを救ってくれた。彼なら安心して任せられる。ハヤテもスオウも異論はないね?』
ナギがそう言って側近二人を見ると、二人とも『異論はありません』と頭を下げた。