表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/69

惚れ薬

 

 静かになった室内で独り、スズは満足気な溜め息を吐いた。

 アナベルの容態は心配だが、きっとこれでアナベルとランスロットは仲直り出来るはずだと思ったからだ。


『二人が上手くいかなくなると、お兄様がまた横恋慕するかもしれない……。そうなったら困るのよね』


 スズはそれを阻止したかったから、キャロルの計画に協力する事にしたのだ。


『お兄様にはキャロル先輩とくっついてもらわないとね! そうしないと私がルイスと結婚できないもの……!』


『……スズ様はルイス殿下の事がお好きなのですね?』


 スズが驚いて振り返ると、ナギの元へ行っていたはずのイヨが、いつの間にか後ろに立っていた。


 こんなに早く帰ってくるとは思わず、ひとりだと思ってつい呟いたのを聞かれてしまったらしい。聞かれてしまったなら仕方ないと諦めてスズは頷く。


 イヨは少し考える素振りを見せた後、懐から小瓶を取り出した。


『でしたらこちらをお試しになってみますか? ……古くから伝わる惚れ薬です』

『惚れ薬……?』


 この世界には魔法という概念はないし、前世の記憶があるスズは、惚れ薬なんて空想の産物だと知っている。


(媚薬……催淫剤みたいなものかしら?)


 イヨはスズの耳元で囁いた。


『惚れ薬と言っても、これは相手に飲ませる物ではなく自分で飲む物です。暗闇を飛ぶ蛾のメスが、オスを誘う匂いのようなものを出す事をご存知ですか? この薬を飲むと一時的にですが、それと同じ様な効果が強力に出るのです。ですからこれを飲んで殿下とお会いになれば……』


 そう言ってイヨは意味深に笑った。


(蛾のメスはフェロモンを出してオスに自分の居場所を知らせるって、前世でテレビの動物番組で見た事がある。きっとこの薬はフェロモンを増幅させて私を魅力的にしてくれるんだわ……)


 スズはテーブルに置かれた透明な小瓶をじっと見つめた。


 前世の記憶を思い出したからには自分も【キミ薔薇】の舞台で悪役皇女として活躍したかった。

 悪役なんて普通は誰もやりたがらない役だけどスズは違う。

 ヒロインが新しいジェパニの攻略対象者達を攻略する為の踏み台になることで、初代【キミ薔薇】の攻略対象者だったイケメン達と恋人になれるのだ。


(何それ、控えめに言って最高じゃない?)


 そう思ったスズはあの手この手で父帝にお願いし、なんとか親善大使一行に加わる事が出来た。

 スズの人生で生まれて初めての遠出。長旅で疲れて体調を崩してくじけそうになりながらも、漸く辿り着いた聖地で迎えてくれたのは初代メインヒーローであり、最推しのルイス。


 キャロルが婚約者として紹介されたということは、前作のデータ引継ぎプレイ確定。つまり、二人が婚約破棄する為に自分がルイスとくっつく必要がある。


(なんてラッキーなの!?)


 そう思ったのにキャロルは続編のプレイを拒否し、婚約破棄するつもりもないという。


(それじゃあ私がいる意味がないじゃない! せっかくここまで来たんだから、このチャンスを逃したくない……!!)


 スズは再び、魅入られたように小瓶を見た。


 媚薬の類いは相手に上手く飲ませなければならないのが難しい。漫画や小説の中ならいざ知らず、現実世界で一国の王子に薬を盛るというのはハードルが高いし、万が一ルイスに何かあっては、即国際問題、下手したら戦争になりかねない。


(お兄様に迷惑をかける事はしたくないわ……)


 その点この薬は自分が飲めばよく、フェロモンが増幅するだけの物。……であれば試してみる価値はある。


(もしかして、ここが婚約破棄イベント達成の分岐点なのかもしれない……。もしそうなら、この薬を飲んでルイスに告白すればきっと……!!)


『……この薬はどれくらい効き目があるの?』


 スズがおずおずと聞くと、イヨは色素の薄い硝子玉のような瞳を細めて微笑んだ。


『飲めばすぐに効き目が出て、効果は半刻程と伝えられております。有り体にいえば、その間に何かしらの既成事実をお作りになる事が出来ればスズ様の勝ちですわ』


 既成事実と聞いてスズは頬を赤らめた。


(それってつまり、キスとか……そういうコトよね!?)


『キャロル様はルイス殿下を探しに王宮に向かわれましたが、確認したところ実は殿下はもう薔薇の宮にいらっしゃるんです。今ならちょうど我が国の者達だけですから、怪しまれることなく直ぐに殿下の元へお連れできます』


『そう……』


 小瓶を手に取って明かりに透かして見る。

 ふと、小瓶の中の液体のように心が揺れる。


(こんな騙し討ちみたいな手を使って良いのかな……?)


 キャロルの顔が思い浮かぶ。

 自分の婚約者を横取りしに来たスズなのに、前世の記憶を持つもの同士だからか、何かと良くしてくれるし、ルイスを巡っての堂々巡りのケンカも今は挨拶のようにすらなっている。


(もし私がルイスと想いを通わせたら、今までのような関係には戻れなくなる……)


 固まったように動かないスズの迷いを察したイヨは、小瓶を持っているスズの手にそっと両手を添えた。そして悲しそうな顔をして首を横に振る。


『……やはり、やめておきましょう。スズ様は国にお帰りになれば、帝のお定めになる素敵な夫君候補の方達がお待ちでしょうから……。スズ様のお力になりたいと思うあまりに、余計な事を言ってしまい申し訳ありませんでした』


(国に……帰る……?)


 イヨのその言葉を聞いて思わず小瓶を握りしめた。


(あの閉鎖的で息苦しい国に帰る……? 絶対イヤ!)


 前世の記憶が戻ってからというもの、ジェパニでの暮らしが苦痛で仕方なかった。

 こんなに長くて重たい髪も今すぐに切りたくてしょうがないし、着物なんかじゃなくてカジュアルな服が着たい。自分好みの化粧をしてオシャレもしたい。

 それなのに肌を見せてはいけない、外に出てはいけない、してはいけない事だらけの籠の鳥。ウンザリだった。


 この国も前世に比べれば生きにくそうだが、少なくともジェパニでは得られない自由が沢山ある。

 なんとかこの国に留まりたいと、スズはその思いに憑りつかれたようになった。


(ルイスの妃になれれば、願いが叶う。この薬を飲んでルイスに会いさえすれば……)


『……飲むわ』


『えっ、でも……。やはりおやめになった方が良いと思います。万が一何かあった時に私が罰を受けてしまいます』


『何があってもあなたの名前は出さないと八百万の神々に誓う。これは私が国にいた時に密かに入手して持ってきた物よ』


 真剣な眼差しでイヨを見つめると、イヨは口を引き結び頷いた。


『……そこまで仰るのであればイヨは従います。至急、移動の手配をしてきますので、その間にお飲みくださいませ』


 そう言うとイヨは直ぐに部屋を出ていった。


(これでいいのよ。キャロル先輩には申し訳ないけど私には後がないの。それに、悪役皇女の使命を全うして物語をハッピーエンドにする必要があるわ。ごめんなさい先輩……)


 そう心の中で謝って、スズは小瓶の栓をあけて中身を一気に飲み干した。


 苦いかもしれないと覚悟していたが、薬に味はなかった。しかし、鼻から抜ける強烈に甘ったるい香りに意識がくらりとする。今から自分の体にどんな変化が起こるのかと固唾を呑んで待っていると、イヨが行李を台車に乗せて運んできた。


『スズ様、こちらにお入りください。今からルイス殿下への献上品としてお運びします。人払いをしてから中を確認して下さいと託けますので、あとは頑張ってくださいませ』


『分かったわ』


 ろくに動かず日に当たらず育ってきたせいか、スズは体が小さくて華奢だった。大柄な人間が多いこの国の人達は、まさかこんな小さな行李に人間が入っているとは思いもしないだろう。


 布が敷いてある行李に横たわり膝を抱える。今日は外出の予定がなく、こちらの国で誂えたシンプルなドレスを着ていた為、そちらは難なく収まった。問題は異様に長い髪の毛の方で、ある程度結って束ねてあるにも関わらず量も多く、収める際に一部乱れてしまったが、直している時間はない。上から布を被せられ、蓋が閉められた。


 暗闇に目が慣れる間もなく台車が動き出す。


 行李の中の匂いが、子供の頃にかくれんぼで隠れた押入れの中の匂いと似ていて、こんな状況なのに、スズはワクワクした。そして今からルイスの所に行って告白をする。そう思うと体がだんだん熱くなって、高い熱が出た時のような浮遊感を感じるようになった。


 暫く行くと台車が止まり、外からイヨと男のくぐもった話し声が聞こえる。ジェパニ語ではないそれに、もうルイスの部屋に着いたのかと思ったが、やがて台車がまた動き出す。

 行李の隙間から入って来る冷たい空気、そしてガタガタと揺れが大きくなった事から、レンガで舗装されたような道──屋外に出たのだと分かった。


(どこに行くのかしら……。ルイスは薔薇の宮にいるってイヨは言ったわ。なのに外に出るなんておかしいんじゃないかしら……?)


 ――逃げた方が良い。直感的にそう思った。


(早くここから出ないと……)


 そう思うのに、猛烈な睡魔が襲ってきて体が動かない。フワフワと夢見心地で漂っていた海の、暗い水底から何かに長い髪を引っ張られてズブズブと沈んで行くように、スズの意識は途切れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ