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王太子の茶会

 

 舞踏会の数日後。

 ナギとスズは、王太子夫妻が主催するお茶会に招待されていたので、スズの付き添いとしてアナベルも王宮のサロンに来ていた。

 ルイスとキャロルや、王太子夫妻と同年代の貴族の子女もお茶会に招かれていて、サロンは多くの招待客で賑わっていた。


『両殿下、ようこそお越しくださいました。身重の妻のためにわざわざ王宮まで足をお運びいただき感謝します』


 プラチナブロンドにサファイアの瞳という、ルイスと同じ配色の王太子ヘリオは、太陽のような明るい雰囲気を纏い、満面の笑みでナギ達に挨拶をした。


 その傍らに立つ王太子妃アウローラは妊娠六ヶ月。黒髪に黒い瞳という事もあってか、ヘリオと並ぶとどことなく陰のある印象を与える細身の彼女は、腹部の膨らみはまだ目立たないものの、腰を締め付けないエンパイアドレスを着て、王太子ヘリオに支えられるようにしてジェパニ一行を迎えた。


『本日はお招き頂きありがとうございます。王太子ご夫妻におかれましては、ご懐妊誠におめでとうございます』


 にこやかに挨拶を交わすナギは、まだ怪我を隠す必要がある為、洋装を身にまとっていた。スズもすっかり気に入ったドレス姿での参加でご機嫌な様子だった。


 挨拶を終えると、一同は席へと移動する。

 天窓から陽の光が優しく降り注ぐ空間に作られたソファー席には、一箇所だけこんもりとクッションが盛られた場所があった。


『ああ、申し訳ありません。妻は体を労らねばならない時期なので、このようにさせていただいております』


 ヘリオはそう言って、アウローラをクッションの海に沈めるように座らせた。


『ヘリオ様……やはり恥ずかしいですコレ……』

『硬い椅子に座ってお腹の子に何かあったら大変じゃないか! 皆さんも分かってくれるから大丈夫だよ』

『王宮の椅子はどれもフカフカですから……!』


 仲睦まじい様子の王太子夫妻に、ルイスが苦笑いをこぼしながら口を挟む。


『兄上、いい加減にしないと義姉上に嫌われますよ? いつも泰然としていた兄上が、お子が出来た途端に随分心配性になって驚きですよ』

『それは自分でも驚いているよ。アウローラはこうして私にどんどん新しい感情をくれるんだ。やはり君は私のヘカテーナだ』

『ひ、人前では恥ずかしいからやめて下さいぃぃ!』


 クッションに埋もれたアウローラを優しく抱きしめ、頬擦りをするヘリオと、それを必死で剥がそうとするアウローラ。

 王太子夫妻が仲睦まじい事は周知の事実ではあったが、思っていた以上に王太子が妻を溺愛していたとは知らず、アナベルは無表情をキープしつつ驚いていた。


(そういえば、王太子殿下自らがアウローラ様を妃にお選びになったのよね)


 イトゥリとの政略結婚が決まった時、王太子ヘリオは四人いる王女の誰を妃にするか、直接会って決めたいと言ってイトゥリを訪問したのだ。

 世間では、年頃も近く一番美しいと評判の三女が選ばれるだろうと予想されていた。ところが、もう適齢期をとっくに過ぎていて、これといった長所のない長女のアウローラが選ばれた事は、当時両国で話題になった。

 しかし、イトゥリでは妹姫達の陰に隠れて存在感がなかったアウローラだったが、実は国の政務を手伝って素晴らしい政策を幾つも打ち出していた才媛だった事が婚約を機に世間に知れ渡り、アウローラを選んだヘリオの慧眼を称えると共に、アウローラ自身の評判も両国で一気に高まった。


 因みに、ヘカテーナとは童話『二人の王子』に登場する、太陽王の妃で、ギリシア神話の冥府の女神のひとりであるヘカテーが元になっていると言われている。


『二人の王子』はルイスの六歳の誕生祝いに献上された童話で、ルイスをモデルとした月の王子と、ヘリオをモデルとした太陽の王子が協力して悪いドラゴンを倒すといった内容だった。


 物語の最後に、太陽の王子は即位して太陽王となった。

 そして地底の国で、世界中の嘆きの全てをその身に抱えて苦しんでいた醜い王女ヘカテーナを救い出し、王妃に迎える事となる。


 太陽王が愛を込めてヘカテーナを抱きしめると、ヘカテーナの中の嘆きは浄化され、世にも美しい姿を取り戻し、世界も平和になったという物語だった。


 この童話は、王室の支援によって国内のどんな小さな本屋にも格安で置かれた為、字が読める者でこの本を読んだことがない人は居ないとされるほど、国中で有名な童話となった。


 ヘリオが公の場でもよくアウローラを愛おしげに抱き寄せるので、アウローラはいつからか『二人の王子』のヘカテーナに例えられるようになり、再び注目を浴びた『二人の王子』はイトゥリでも翻訳されて出版されたという。


 そういった王太子夫妻の馴れ初めを、ルイスがナギとスズに話して聞かせると、二人は思い思いに目を輝かせた。


『我が国は妻問婚なので、私も理想の妻を探しにあちこちそぞろ歩きますが、まだ外国にまで探しに行ったことはありませんでした。せっかくだから、この国で探してみたら、王太子殿下のように運命的な女性に出会えるかもしれませんね』

『物語みたいな出会い……。羨ましいです! 私もこの国でそんな風に素敵な出会いがしてみたい……!』


『それは良いですね。我が国の者と縁付いて下さったなら、より一層両国の友好も深まるでしょう』


 ルイスが蜂蜜スマイルでそう言うと、スズは何やら期待に満ちた目でルイスを見つめた。それを見て口元をひくつかせるキャロル。


(だから! ルイス様は渡さないんだから!)

(そんな事言ってないで、ちゃんとヒロインらしく続編プレイしてくださいよ!)


 お互いに微笑み合うキャロルとスズのそんな心の声が聞こえてきそうで、アナベルはまたかと苦笑しそうになった。


 キャロルとスズは会う度にルイスを巡って喧嘩を始めてしまう。

 ナギとキャロルをくっつけたいスズと、それを拒否するキャロル。二人の意見はどこまで行っても平行線だ。

 しかし、意外にも二人の間にギスギスした雰囲気はなく、寧ろそんなやり取りを楽しんでいるようにも見え、これはこれで友情の形なのかもしれないとアナベルは思い始めていた。


 生まれた国は違えども、【キミ薔薇】という二人にしか分からない世界を共有している事もあって、キャロルとスズは暇さえあれば一緒に過ごしている。

 ジェパニ語が分からない設定のアナベルは、そんな二人の会話に入る事が出来ず、少し淋しい思いをしていたりするのだ。


『おっと、そうでした! 王太子妃殿下のご懐妊を祝して、ジェパニから贈り物を持参しました。どうぞお受け取りください』


 ナギが思い出したように、美しく装飾された漆塗りの箱を差し出すと、アウローラは目を丸くした。


『……っ! わたくしごときの為にそんな! 勿体ないです!』


 顔を引き攣らせながら両頬に手を当てて、この世の終わりのように嘆くアウローラに、ナギはギョッと驚く。


『ホラホラ、また悪い癖が出ているよアウローラ? こういう時は、とびきりの笑顔でお礼を言えばいいんだよ』


 ヘリオがアウローラの鼻を指でツンツンとつつくと、アウローラは


『ヒィィ! とびきりの笑顔なんて無理ですう! ヘリオ様こそ、そのように眩しい笑顔は控えてください! 眩しいモノは苦手なんですぅぅ!』


 と叫んで、クッションで顔を隠してしまった。


『申し訳ありません。妻はかなり恥ずかしがり屋でして。そんな所も可愛いんですけどね?』


 輝くような笑顔で惚気けるヘリオに、周囲は生温かい視線を送る。


『アウローラ様が社交をとっても苦手としているって事は知ってたけど、恥ずかしがり屋っていうかコミュ障?』

『王太子殿下は陽キャでアウローラ様は超絶陰キャって感じですね! ゲームじゃ全然出てこなかったから知らなかったです!』

『そうなのよね! 選考会編でも隠しキャラの王太子ルートの悪役令嬢ポジは、実質ルイスだったから……』


 隣合って座っているキャロルとスズは、周りに聞こえないようにヒソヒソと囁き合う。


(《コミュ障》《陽キャ》《陰キャ》後でキャロル様に聞こう……)


 新出単語を心のメモに書き留めて、アナベルは密かに決意した。


 ヘリオに宥められたアウローラがようやく復活して、贈り物について楽しく語り合い、そのまま和やかにお茶会が進むかと思いきや……。


『あのっ! 私、ルイス様にお願いがあるのですが!』


 話の切れ目に突然スズがルイスに話しかけた。


『……どういった事でしょうか?』


 優しげに微笑みながら小首を傾げるルイスの様子に、頬を染めながらスズは身を乗り出した。


『歓迎の舞踏会の時、ルイス様と踊れなかったので一緒に踊ってみたいんです……!』


 スズのその言葉にルイスは笑顔のまま表情を固め、ナギは呆れたようにこめかみに手をやった。


『ちょっと、いきなり何言ってんのよ!』


 キャロルが慌てて小声でスズに話しかけると、スズはぷくりと頬を膨らませた。


『だってルイス様と踊るっていう、悪役皇女の役目をまだ果たせてないんですもん! ちゃんとクリアしないと婚約破棄からのハピエンに辿り着けないじゃないですか……!』

『だから、婚約破棄なんてしないって何度も言ってるじゃない……!』


 スズとキャロルが小声で言い合っているうちに、周囲の席がざわつき始めた。

 どうやら参加者の中にジェパニ語が聞き取れた者がいて、スズの発言が瞬く間に広がったようだった。


「ルイス殿下と皇女様がダンスをしたいと言っているらしいぞ」

「それってもしかして……?」

「それでピアノのあるこちらのサロンが会場になったのかしら?」


 会場中が密やかなざわめきに包まれ、隠しきれない好奇の視線がキャロル達に向けられる。

 断れば皇女の面目を公の場で潰すことになり、かといって二人が踊れば政略結婚の可能性を匂わせることになりかねない。

 ルイスの判断を周囲が固唾を飲んで待っていると、ヘリオが颯爽とジャケットを脱いで立ち上がった。


「そういうことならルイス、旅の思い出に踊って差し上げるといい。私がピアノを演奏しよう」


 そう言って張り切ってピアノの椅子に座り、邪気のない笑顔でシャツの袖をまくるヘリオを見て、ルイスは束の間考えた後、しっかりと頷いた。そして、席を立ってスズの元へ行き、恭しく手を差し出した。


『お手をどうぞ姫君』


 頬を薔薇色に染めたスズと優しげな笑みを浮かべたルイスが、会場の空いているスペースに立つ。

 ヘリオが弾き始めたのは、スズが舞踏会でも踊った定番のワルツの曲。

 小柄なスズは目をハートマークにしてルイスを見上げ、嬉しそうにステップを踏んでいる。


 その様子を笑顔で見つめるキャロルだが、その手が震えていることに気付き、アナベルは心配になった。

 このお茶会はヘリオが懇意にしている貴族達のみが招かれているため、キャロルの事を表立って悪く言うような人物は居ないが、このダンスを機にあれこれ憶測が飛び交い、キャロルを傷つけるような噂が社交界に広まってしまうのではないかと不安になった。


 スズはスズで、悪役皇女としての役目を果たそうと必死なのだろう。けれど、キャロルのお助けキャラとしては、これ以上波風を起こさないで欲しいと切実に願ってしまう。

 やがて、大きな拍手に包まれて、二人のダンスは終わった。


「もしかして、二人の政略結婚もあり得るのか……?」

「選考会に関しては未だに色々言う者もいるからな……」


 そんなざわめきを軽やかなピアノの音で抑えて、ヘリオは注目を集めた。


「次は私の未来の妹の、王子妃教育の成果を皆に見てもらおう」


 ヘリオがそう言って朗らかに微笑むと、ルイスは心得たとばかりにスズを席に戻して、今度はキャロルに手を差し出した。

 不安そうに瞳を揺らして戸惑うキャロルの手をしっかりと握って、ルイスは安心させるように微笑んだ。


「大丈夫。僕を信じて」


 その言葉に、キャロルの蒼白だった頬には色が戻り、いつも通りの可愛らしい笑顔を見せて頷いた。

 どうやら今度は現婚約者であるキャロルが踊るらしいと、招待客達は興味津々といった様子で成り行きを見守っている。


「兄上、成果を披露するならあの曲をお願いします」


 ルイスの言葉に、ヘリオは心得ているとばかりに笑ってピアノを弾き始めた。

 曲のイントロを聞いて会場に小さなどよめきが起きた。


 ヘリオが奏でるのは、最高難易度と言われるダンスの曲。

 ダンス愛好家がその技を自慢するために披露することはあれども、一般的な舞踏会ではまず踊る機会のないダンスだった。


 ステップが難しいのはもちろん、パートナーとのタイミングが少しでもずれてしまうと、たちまち不格好になってしまうのだが、あちらこちらから感嘆の溜め息が聞こえるほどに二人は完璧に踊ってみせる。

 それだけではなく、美しい二人がお互いを一心に見つめ合って楽しそうに踊る様子は、見ているこちらまで幸せになれるような素晴らしいものだった。


「顔だけの令嬢なのかと思ったら、なかなかやるじゃないか」

「ジェパニ語も堪能だしな……」

「それにルイス殿下があんなに楽しそうなお顔を見せるのは珍しいですよね……?」


 そんな囁きも聞こえてきて、アナベルは密かに拳を握った。


(そうなんです……! キャロル様はやれば何でも出来ちゃう《ハイスペックヒロイン》なんです……!)


 やがて称賛の拍手が、見事に踊り切った二人を包み込む。

 ひと際大きな拍手をしていたヘリオが二人に歩み寄り、にっこりと微笑んだ。


「ルイスの幸せそうな笑顔を見ることが出来て嬉しいよ。キャロル嬢、ルイスの事よろしく頼みます」


 ヘリオは二人に向かってそう言うと、今度は招待客に向けて声をあげた。


「皆さん、ご覧の通り未来の第二王子妃は懸命に様々な事を学んで日々成長中です。これからこの国の外交を担っていく二人と、今後ともどうぞ仲良くしてください」


 その言葉に、会場中から温かい拍手が送られた。

 ルイスの婚約者として社交界に顔を出し始めていたキャロルだったが、その為人ひととなりを知る人間はまだ少ない。知らないからこそ人々は勝手な想像でキャロルのイメージを造り、無責任な噂は広まっていた。

 その事に、本当の彼女を知るアナベル達は胸を痛めていたが、今日のようにキャロルの事を知ってもらう機会が増えれば、やがて悪意ある評判は消えていくに違いないと明るい気持ちになった。


『……私とルイス様の政略結婚の話題で持ちきりになるハズだったのに、どうしてこうなっちゃうのよ……!』


 唇をかみしめて呟くスズのつぶやきに、アナベルはハッとした。

 確かに、スズが踊った直後の会場はそんな囁きがあちらこちらから聞こえていた。けれど、今はキャロルに関する話で賑わっている。

 スズとダンスをして顔を立て、その後にそれをかき消すような話題を提供する。さらに、ヘリオはキャロルの事を「未来の第二王子妃」と表現し、ジェパニとの政略結婚は考えていないと暗に示したのだ。


 ヘリオの巧妙な作戦と、それを瞬時に悟ったルイスにアナベルは心の中で盛大に拍手を送った。


(世間ではルイス殿下の方が優秀だと噂されているけれど、ヘリオ殿下も充分すぎる程に優秀なのよね……)


 アナベルが、王妃から聞いた兄弟王子に関する逸話をあれこれ思い出していると、スズのつぶやきを聞いたナギが苦笑気味に言った。


『箱入り小娘の幼稚な企みなど、英邁えいまいなる王子達にとっては取るに足らない物だということだ。諦めなさい』

『イヤよ! まだイベントは沢山残ってるんだから、他の方法で攻めるわ……!』


 まったくへこたれていない様子のスズに、アナベルは漠然とした不安を覚えるのだった。


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